クリスチャンの社会生活

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第1ペテロ2章13〜25節

(2013.9.8)

参考資料



聖書からのメッセージ

イントロ

今回の箇所は、クリスチャンが社会の中でどのような態度で生きるべきかについて述べています。国や地域の法令や制度との関係、職場での上司との関係などです。

ペテロはローマ皇帝を頂点とする古代世界に生きていて、当然その社会制度や習慣を背景として語っていますが、その命令を現代の私たちはどのように適用したらいいのでしょうか。

1.基本

良き社会人であれ

権威者、それは私たちに従順であることを要求する人たちです。子どもにとっての親、学生にとっての教師、労働者にとっての雇い主や上司です。

日本国は民主国家であって、主権者である王も皇帝もおらず、国民が主権者です。しかし、その国民が選挙によって選んだ政治家たちが、代表して権威を行使していますので、彼らが動かしている政府も、第1ペテロでいう権威者と言うことができるでしょう。

ペテロは、クリスチャンは権威者を尊敬し、権威者の下した命令や、権威者が定めた制度に従順に従うようにと命じています。ペテロだけでなく、パウロも同じように命じています(テトス3:1)。

ペテロやパウロの命令は、自分が置かれている社会や組織の中で、良き社会人、良きメンバーであれということです。法令には積極的に従わなければなりません。納税などの義務は忠実に果たさなければなりません。業務上の責任は、誠実に、そして熱心に果たさなければなりません。

その理由は、神さまが権威者が権威を行使することを認めておられるからです。たとえその権威者がクリスチャンではなかったとしても、です(日本では、そうではない方が多いでしょう)。

それは、法律や制度や秩序を定めることによって、社会の中に正義が実現し、人々が幸せに暮らすためです(14-15節)。

良き社会人以上であれ

そればかりか、私たちクリスチャンは、単に社会や組織の決まりを守るというだけでなく、それ以上の倫理基準で行動します。なぜなら、クリスチャンはイエス・キリストの教えにも忠実に従おうとするからです。

ペテロの勧めの中にも、「主のゆえに」(13節)、「神のみこころだからです」(15節)、「自由を、悪の口実に用いないで、神の奴隷として用いなさい」(16節)、「神を恐れ」(17節)、「それは、神に喜ばれることです」(20節)、「その足跡に従うようにと」(21節)というふうに、神さま、イエスさまに従うべきことが繰り返し出てきます。

ローマ時代に、クリスチャンについて未信者が書いた手紙が残っています。そこには、クリスチャンたちは、それぞれ住んでいる地域の法令を誰よりも忠実に守っているということが書かれています。さらにその著者は、クリスチャンたちが、他の住民よりも道徳的により高潔で愛情深く行動していると、感嘆しています。

「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という言葉がありますが、誰も責めなくても、誰も見ていなくても、神さまはご覧になっています。私たちは神さまが悲しまれることではなく、神さまが喜ばれることを行なっていきましょう。

法律や規則を守るというのは、その最低限のことだということです。

2.そうは言っても

ひどい政治家や、横暴な上司

ただ、基本的にこの世はサタンの支配下にあって、神さまに逆らっています。そして、ひどい法律で国民を苦しめる政治家や、労働者にひどい扱いをする雇い主や上司がいることも確かです。そんなときはどうするのでしょうか。泣き寝入りでしょうか。

神の権威が優先する

先ほど、神さまが権威者が権威を行使するのを認めておられるのは、社会正義を実現し、人々が幸せに暮らすためだと申し上げました。たとえ未信者を通してでさえ、神さまはご自分のみこころを実現しようとしておられます。

ですから、
  • 権威者が正義や愛を無視した行動をするとき
  • 聖書を通して示されている神さまのみこころと真逆の行動をその権威者がしているとき
  • 権威者が「キリストかカイザル(皇帝)か、どちらに従うのか」という究極の二者選択を迫ってくるとき
こういうときには、たとえ迫害されたとしても、クリスチャンは神さまに従う方を選びます。すなわち、権威に逆らう行動を取り、法律に違反し、制度に反する行動を取ります。

ただし、その場合でも、怒りにまかせて攻撃的な行動を取ったりはしません。神さまのみこころや、特に問題ない他の法律や制度には忠実に従わなければならないからです。

ペテロやパウロも、ユダヤ議会やローマ政府から、イエス・キリストを宣べ伝えてはならないと厳命されましたが、彼らはそれに逆らって伝道し続け、最後は殺されてしまいます。しかし、だからといって、彼らはテロによる国家転覆など謀りませんでしたし、そのほかの点に関しては、ユダヤやローマの法令を遵守しました。

自分がつらくて苦しい場合は

社会正義の問題というよりも、この自分が権威者に苦しめられているという場合にはどうでしょうか。

まずはイエスさまがそうであったように、悪に対して悪で対抗するのではなく、じっと忍耐し、神さまの介入を祈り求めるようにとペテロは勧めます(23節)。

ただし、それでも耐えきれないときには、その場から逃げて離れたしても罪にはなりません。神さまは、私たちに平和を与えようとしてくださっています。ですから、それが可能であれば、より私たちが平安を感じることができる環境に移るということは、神さまのみこころの内です(第1コリント7:15参照)。

ブラック企業で不当に搾取されていたとして、いつまでも我慢してとどまっている必要はないということです。

まとめ

私たちクリスチャンは、政治家や官僚の人たち、天皇家の人たち、職場の上司たち、親たち、先輩たちのために祈りましょう。その人たちから守ってくださいという祈りだけでなく、その人たちがあらゆる面で祝福され、神さまのみこころをできるだけ行なうことができるようにと祈りましょう。

そういう祈りができるためには、私たち自身が、イエスさまの愛を十分味わい、聖霊さまの助けをいただかなければなりませんね。「あなたがたはすでに、主がいつくしみ深い方であることを味わっているのです。主のもとに来なさい」(2:3-4)

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