謙遜に、穏やかに

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第1ペテロ1章1〜12節

(2013.7.14)

参考資料



聖書からのメッセージ

イントロ

前回、夫婦関係についての学びから、クリスチャンの人間関係の原則について学びました。今回もその続きですが、特に自分に対して嫌なことを行なったり言ったりする人がいる場合の心構えについて書かれています。

1.復讐したくなったとき

悪をもって悪に報いず

ひどいことを行なったり、心ないことを言ったりする人がいます。そんなことをされると、私たちは腹を立てます。怒りというのは、悲しみや不安や幻滅や失望などの、嫌な感情から生まれます。嫌な思いをさせた相手に対して感じる、復讐したいという思い、これが怒りの正体です。

「悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず」とペテロは命じています(9節)。言い方を変えれば、復讐するなということです。

嫌な思いをさせられたら、怒りがわき上がってくるのはある意味当然のことです。しかし、相手がこちらを傷つけることが悪であるとすれば、こちらが相手を傷つけ返すことも悪です。

そうはいっても、実際に怒りを抑えて、怒鳴りつけたり、仕返しをしたり、傷害事件を起こしたりという行動に出ないというのは、時に大変なことです。どうすればいいのでしょう。

まずは、自分の中に復讐心がわき上がっているということを自覚することです。気づかなければ、押さえることもできません。

昔々、長女が遊園地で迷子になったとき、私の心は不安や心配でいっぱいになりました。そして、無事に見つかって、長女があっけらかんとしている姿を見たとき(3才前の幼児なのですから、当たり前ですが)、怒りがむくむくとわき上がりました。それは、不安や心配をさせ、しかもそれに対する反省のない長女に対して、復讐してやりたいという思いから出てきたものです。

幸い、その時には、自分の怒りの正体に気づくことができました。そして、自分は最初から怒っていたのではなく、不安や心配を感じていたのだと自覚しました。そして、その不安や心配は娘を愛するが故に感じたことです。怒りによって娘を攻撃することは、愛情の上手な表し方ではありません。そう気づいたとき、落ち着くことができました。

かえって祝福を与えなさい

しかし、聖書は、ただ単に復讐しないというだけでなく、相手を祝福するように命じています。それは、私たちクリスチャンが、のろいではなく、祝福を受け継ぎ、それをこの地上に現すという使命を与えられているからです。

この命令は、実際に復讐の行動を取らないというだけでなく、心の中で相手を呪い、怒りを温めることもしないということを示しています。それだけでなく、その人の祝福のために祈れと。

それはとても難しいことです。しかし、聖書は、「むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい」(15節)と命じています。

私たちが主とあがめ、その後に従おうとしているイエスさまは、敵を祝福するという難しいことをしてくださいました。

神さまを否定し、神さまに従おうとしない私たちの罪は、神さまを深く傷つけています。神さまは、怒りにまかせて私たちを滅ぼしても良かったのです。ところが、人となられた神イエス・キリストは、私たちの身代わりとなって十字架にかかって死に、私たちに罪の罰がくだらないようにしてくださいました。そればかりか、復活して天に昇り、今この時も私たちが祝福に満たされるよう、父なる神さまに取りなしてくださっています。

以前、クリスチャンの祭司としてのつとめについて学びました。その際、イスラエルの祭司がイスラエルの祝福のために祈るよう命ぜられていた祈りを紹介しました。「【主】があなたを祝福し、あなたを守られますように。【主】が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。【主】が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように」(民数6:24-26)

愛する者のためだけでなく、あなたを迫害し、あなたに意地悪をし、あなたの足を引っ張り、あなたをいらだたせるあの人たちのためにもこの祈りをささげましょう。

その時、あなたは苦々しい思いから解放されます。怒りや恨みを心の中に持ち続けることは、ある意味で快感です。しかし、確実にあなた自身の心や体をむしばみ、膨大なエネルギーと時間を浪費させます。ですから、怒りや恨みから解放されることは、何よりあなた自身にとって平安であり、喜びです。

2.信仰について弁明するとき

用意をしていなさい

さらにペテロは、伝道の場面における注意事項について述べています。「あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい」(15節)。

「だれにでも」ということは、クリスチャンの信仰に興味を持って尋ねてくる人だけでなく、あなたの信仰を馬鹿にしたり、否定したりするために議論をふっかけてくる人にも、です。

「用意していなさい」ということは、事前に何をどのように語るか準備し、シミュレートしておくということです。お勧めなのは、以下の3つのポイントを整理しておくことです。
  1. 以前の状態
  2. 今の状態
  3. どうして変わったか
もちろん、人を造り変えるのは神さまですから、「どうして変わったか」のポイントについては、あなたがどのように神さまと出会い、イエスさまを信じたのかも語る必要があります。

そして、あなたが変えられた側面は1つだけではないはずですから、何パターンも挙げることができます。そして、証しするチャンスがあったとき、相手や状況に合わせて整理した内容を話せばいいのです。

穏やかに弁明しなさい

しかも、 「ただし、優しく、慎み恐れて、また、正しい良心をもって弁明しなさい」とも命ぜられています(16節)。

「正しい良心」というのは、どんな動機で伝道しようとしているのかが問われているということです。議論に勝つこと、あるいは相手をやっつけること、こちらの優位性を示すこと、それが動機になってしまってはいけません。

「あなたはキリストを信じない愚か者。だから、賢い私が真理を教えてあげましょう」「そんな邪悪な生き方をしていたら地獄行き。だから、聖い私があなたを正しい道に引き戻してあげます」というふうに上から目線で語ったり、なかなか信じようとしない人に向かって「どうして信じないのだ、この俗物が!」というような怒りを向けたりしないということですね。喧嘩を売ったら、伝道は失敗です。

相手に対する、深い愛がわき上がり、その愛に基づいて穏やかに優しくていねいに語ることができるよう祈りましょう。

そのためには、やはり「心の中でキリストを主としてあがめなさい」(15節)です。イエスさまがどれほど私たちのことを愛してくださっているか。そのためにどれだけの犠牲を払ってくださっているかを、いつも思い起こし、感動し、感謝することから始めましょう。

その感動や感謝が、他の人にもこの喜びを知って欲しいという動機となり、たとえ意地悪をしてきたり、なかなか信じようとしなかったりする人たちを愛することができる力を生み出します。

まとめ

私たちの口や体から出てくるものが、攻撃的なものではなく、いつも祝福でありますように。そのために、祝福の源であるイエスさまとの関係が、ますます深くなりますように。

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