万物の終わりが近いから

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第1ペテロ4章7〜19節

(2013.10.13)

参考資料

「キリスト者」(16節)とは、クリスチャンのことです。「キリストに付く者」「キリスト馬鹿」というような意味のあだ名です。アンテオケという町の教会の人々がそう呼ばれるようになり、この呼び名が広まっていきました(使徒11:26)。

「神の家」(17節)とは教会のことです(第1テモテ3:15、ヘブル3:6)。

聖書からのメッセージ

イントロ

この箇所にも様々な勧めがなされています。しかし、何をするのかも大切ですが、もっと大切なのは何のためにそれをするのかという目的です。そうでないと、様々な状況の中で応用が利きません。私たちクリスチャンの人生の目的を教えていただきましょう。

1.世の終わりが近い

様々な勧めと時代認識

7-11節に、様々な勧めがなされています。「祈りのために、心を整え身を慎みなさい」、「熱心に愛し合いなさい」、「つぶやかないで、互いに親切にもてなし合いなさい」、「賜物を用いて、互いに仕え合いなさい」

そして、ペテロは、そういう勧めをする根拠として、「万物の終わりが近づきました。ですから」……と語っています(7節)。ペテロは、世の終わりが近いという時代認識を持っていました。それが、様々な勧めの根底にあります。

さばきが神の家から始まる

世の終わりが近いという時代認識の中で、ペテロは「さばきが神の家から始まる」と語っています(17節)。

さばきという言葉は、刑罰という意味で用いられることがありますが、元々は裁判という意味です。そして、17節のさばきは、世の終わりに行なわれるいわゆる最後の審判、聖書の言葉で言うと「白い御座のさばき」と呼ばれるものとは異なります。白い御座のさばきは、イエス・キリストによる救いを信じなかった人たちが、どのような刑罰を受けるかを決定するための裁判です(黙示録20:11)。

一方、17節で語られている神の家(すなわち教会)が経験するさばきというのは、「キリストのさばき」と呼ばれるものだと考えられます。このキリストのさばきについて書かれている、2箇所を開きましょう。

「そういうわけで、肉体の中にあろうと、肉体を離れていようと、私たちの念願とするところは、主に喜ばれることです。なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現れて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです」(第2コリント5:9-10)。

「というのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現れ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。もしだれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。もしだれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、自分自身は、火の中をくぐるようにして助かります」(第1コリント3:11-15)

問われる生前の行ない

私たちクリスチャンは、すでに罪の刑罰から解放されていて、永遠の祝福が与えられることが約束されています。たとえ自己中心的で、自分の欲望を最優先するような生き方をしても、私たちクリスチャンは完全に赦されているのですから、将来神の国に入ることは決まっています。この点は決して忘れてはいけません。

しかし、イエスさまの再臨後、地上に実現する神の国(千年王国)の中で、どれほどの祝福を味わうことができるかは、一人一人異なります。それを決定するのがキリストのさばきです。そして、その査定基準は、生きている間に何を行なったかということです。

自己中心的な生き方や、地上の栄光だけを追い求める生き方は、キリストのさばきではプラス評価されません。ですから、ペテロは、地上生涯を本当に価値あることのために費やすようにと勧めているのです。「万物の終わりが近づきました。ですから……」というのは、そういう意味です。

では、どういう生き方が永遠に価値ある生き方なのでしょうか。

2.人生の大目的

何のためか

11節の後半に、さまざまな勧めの目的が書かれています。「それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです」

イエス・キリストを通して現される神さまの栄光、すばらしさが明らかになって、自分も周りの人たちも、神さまをますますほめたたえるようになること。これが私たちの行動の基準です。

パウロも語っています。「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい」(第1コリント10:31)

今年の中通りコミュニティ・チャーチのテーマ聖句を思い出しましょう。「私たちにではなく、【主】よ、私たちにではなく、あなたの恵みとまことのために、栄光を、ただあなたの御名にのみ帰してください」(詩篇115:1)

私たちの人生の目的は、神さまのすばらしさをますます明らかにし、神さまをほめたたえて礼拝することです。私たち自身の自己実現ではありません。私たち自身の安心安全ではありません。

神さまのすばらしさを知り、神さまを礼拝することこそが、私たちの希望であり、慰めであり、励ましであり、力であり、勇気の源です。

伝道や奉仕というような働きから、食べるとか飲むとかいう些細なことに至るまで、私たちは常にその動機を問われています。「あなたは、何のためにそれをしていますか?」

苦しみに遭ったら考えよう

そして、ペテロは、私たちが地上で味わう苦しみもまた、私たちが人生の目的や、行動の動機を考える機会になることを教えています。12節で、ペテロは苦しみのことを「火の試練」と呼んでいます。火で焼かれるかのような痛みや苦しみを表す言葉ですね。と同時に、火によって試されるというキリストのさばきを思い起こさせる表現でもあります。

キリストのさばきは死んだ後に体験しますが、この地上でも、私たちは様々な苦しみによって行動の質を試されます。

苦しみに遭ったとき、私たちは立ち止まって考えなければなりません。わたしはなぜこんな苦しみに遭っているのだろうかと。

何でもかんでも自分の罪の結果、天罰を受けているのだと考えるのは間違っています。私たちはイエスさまの犠牲によって完全に赦されている存在なのだということは、常に忘れないようにしましょう。しかし、自分で蒔いた種を刈り取っているだけなのか、それとも神さまのみこころに忠実に従った結果なのか、それは賢く判断しなければなりません。

そして、いつの間にか軌道を外れていて、自己中心的な生き方、欲望を満足させるだけの刹那的な生き方になっていたなと気づいたら、神さまのみこころにかなう生き方へと軌道修正しましょう。

神さまのみこころにかなう生き方をして、それで苦しみを味わっているのだとすれば幸いです。その忍耐は神さまに覚えられていて、永遠の世界で必ず報いをいただくことができます。神さまに信頼して(19節)、ますますその行ないを続けていきましょう。

まとめ

私たちの人生を通して、神さまのすばらしさが明らかになり、多くの人々と共に神さまをほめたたえることができるようになりますように。

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