パラダイスへの道

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ルカの福音書23章32〜47節

(2013.10.27)

参考資料

人が死んだ後、世の終わりに行なわれる最終的なさばきまでの間、いわば待合室のような所に留め置かれます(これを中間状態と言います)。この中間状態は、安らぎに満ちた場所と苦しみに満ちた場所の2つに分かれていて、その振り分けは、生きている間に神さまによる罪の赦しを受け取ったかどうかで決まります。2つの中間状態のうち、安らぎに満ちた所がパラダイスです。「アブラハムのふところ」とも言います(16:23)。

聖書からのメッセージ

イントロ

本日は、召天者記念礼拝です。昨年、私たちの教会は○○姉を天にお送りしました。改めて、○○姉を偲ぶと共に、私たちにも与えられている将来の希望について考えましょう。

今回の箇所で、イエスさまと対話している犯罪人の名は、聖書には記されていません。しかし、伝統的に「ディスマス」という名で呼ばれています(ちなみに、もう一人はゲスタス)。そこで、このメッセージでは彼のことをディスマスと呼ぶことにします。

さて、今回の箇所で、犯罪人の一人は、イエスさまから直接「あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます」(43節)と約束されました。イエスさまは、彼の何を評価して、このような約束をなさったのでしょうか。

1.パラダイスとは

中間状態

まずは「パラダイス」とは何かという話をします。

聖書によると、この世の終わりの時代に、最終的なさばきが行われます。その結果、人は永遠の祝福の場所か、永遠の苦しみの場所か、そのどちらかに振り分けられます。

では、最終的なさばきが来る前に死んだ人はどうなるのでしょうか。世の終わりのさばきの前に死んだ人が置かれている状態を、学者たちは「中間状態」と呼んでいます。

神さまに受け入れられた人、すなわち救われた人は、「パラダイス」(別名「アブラハムのふところ」)と呼ばれる場所に入ります。パラダイスという言葉は、王の庭、楽園という意味のペルシャ語から来ています。転じてユダヤでは、すべての祝福の源である神さま、王の王である救い主が治める楽園を指す言葉になりました。

パラダイスの場所

旧約時代や、イエスさまが昇天なさるまでの時代は、パラダイスは地の下の黄泉(ヘブル語でシオール、ギリシャ語でハデス)の中にありました。しかし、イエスさまが昇天なさったとき、中の人々と共に天に移動しました。

ですから、今のこの時代に救われた人が死んだとすると、肉体は朽ちていきますが、その魂は天にあるパラダイスに移されます。一般的に「死んだら天国」と言われるのは、このことを指しています。

そして、やがて世の終わりの時、今の天地は消えて無くなり、代わりに新しい天地が造られます。その時、天にあったパラダイスは新しい地上に降りてきます。そして、この新しい地上のパラダイスは永遠に続きます。

問われているのは、生前の生き方

ここで大切なのは、「すでにパラダイスに入っている人が、改めて試験を受けて、新しい永遠のパラダイスに入れるかどうか評価されて、場合によっては資格が取り消され、永遠の滅びの場所に入れられる、というようなことはない」ということです。要するに、すでにパラダイスに入った人は、永遠の祝福が約束されています。

死んだ後にパラダイスに入ることができるかどうか、そして永遠の祝福を味わうことができるかどうかは、どうやって決まるのでしょうか。それは、生きているときの生き方によって、です。

では、今回の箇所に登場するディスマスは、イエスさまにどんな生き方が評価されて、パラダイス行きを保証されたのでしょうか。

この人は、犯罪人です。彼は強盗の罪を犯して捕まり、死刑、しかも十字架刑という最も厳しい刑を言い渡されました。ですから、単なる強盗でなく、盗みに入った先で殺人を犯していたのかもしれません。この罪が冤罪などではなく事実だということは、犯罪人本人が認めています。

ディスマスはまったくひどい生き方をしてきました。多くの人が、「この人が天国行きだなんてとんでもない」と思うことでしょう。では、なぜイエスさまは、彼の天国行きを保証なさったのでしょうか?

イエスさまが彼をパラダイスに迎えることを決めたのは、彼が信仰を持ったからでした。では、どんな信仰が、彼を救ったのでしょうか。

2.犯罪人の信仰

イエスが約束の救い主であること

ディスマスはイエスさまに向かって、「あなたが御国の位にお着きになるとき」と語っています。

御国とは、旧約聖書が何度も地上に実現すると約束している、祝福に満ち満ちた理想的な王国のことです。福音書では、「神の国」「天の御国」と呼ばれることもあります。御国は、神さまが遣わしてくださる救い主が王として支配する国です。救い主は、あらゆる悪を滅ぼして、選ばれた人々を救い出して神の国に招き入れ、永遠の祝福を与えてくださると約束されています。

ディスマスは、イエスさまこそ、この約束の救い主だと信じました。

軍馬にまたがり、金ぴかの鎧をまとい、軍旗の下で颯爽としている姿のイエスさまを神の国の王、救い主だと信じるのはそんなに難しくないでしょう。しかし、むち打たれてぼろぼろになり、十字架につけられて苦しんでいる人を、王の中の王だと信じるのは難しいことです。

それでも彼は信じました。そして、イエスさまはその信仰に応えて、彼を救ってくださいました。彼は今、天のパラダイスにいます。そして、やがてこの地上に実現する神の国に、彼は入れられます。

イエスが自分の罪を赦してくださること

ディスマスは、自分が罪深い人間であることを自覚していました。ですから、行ないによって評価されたら、とてもパラダイスに行けるような人間ではないことを知っていました。

しかし、それでも彼はイエスさまに「わたしを思い出してください」と言いました。すなわち、私もパラダイスに入れてくださいとお願いしたのです。ずいぶん図々しいですね。どうしてこんな図々しいことが言えたのでしょうか。

それは、「イエスさまというお方は、罪を赦すことができるお方だ」と知ったからです。

十字架にかけられた人は、苦しみのあまり、自分を十字架につけた人たちを口汚くののしります。あまりにうるさいので、受刑者の舌を切り取ったという記録が残っているくらいです。しかし、イエスさまは、まったく違うことをなさいました。

イエスさまは、自分を十字架につけた人たち、自分に向かってあざけりの言葉を投げかける人たちを十字架の上から眺めながら、天の父なる神さまに祈りました。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」。

イエスさまの祈りは、単なる言葉ではありません。イエスさまは十字架にかけられ、血を流し、ご自分の命さえささげようとしていました。罪のない方が罪人としてさばきを受けて死ぬことによって、人の罪が赦され、神さまとの関係が回復する道が開けました。

人々は、「十字架から降りてきたら救い主だと信じてやる」と言いました。しかし、イエスさまは、十字架から降りないことによって、ご自分が救い主であることを証明なさったのです。

ディスマスは、イエスさまによって自分の罪が赦されるという、考えられないような逆転サヨナラホームランの道があることを知りました。そして、そこにすがりました。もう彼にはそれしか希望がなかったからです。

「イエスさま。あなたは私の罪を赦してくださる、恵みに満ちた救い主です」。ディスマスの心は、そのような信仰告白をしています。イエスさまは、その信仰に応えて、彼の罪を赦し、神さまの子どもにし、永遠の祝福に至るパスポートを与えました。

イエスが復活すること

そして、ディスマスは、イエスさまはこのまま自分と一緒に死ぬかもしれないけれど、たとえ死んでも必ず復活すると信じました。そして神の国の王となり、自分も復活させて神の国に迎え入れてくださると。

私たちクリスチャンもそうです。イエスさまの十字架によって自分の罪が赦され、神さまの子どもにしていただき、死んでもパラダイスに入れられ、そのまま永遠に続く祝福をいただくことができると信じています。それが単なる戯言ではないことは、イエスさまが復活したことによって証明されました。

イエスさまは今も生きておられます。今も、信じる人たちを赦し、救うことができます。そして、亡くなった人たちを天のパラダイスに迎え入れ、考えられないような慰めや平安や喜びで満たしてくださいます。

まとめ

今、○○姉はどこにいらっしゃるでしょうか。○○姉は確かにイエス・キリストの十字架と復活を信じ、救われていました。ですから、すでに天のパラダイスにいます。

そこには天の父なる神さまがおられます。聖霊さまが満ち満ちておられます。そして、私たちの救い主、イエス・キリストがおられます。アブラハム、イサク、ヤコブがおり、ダビデや預言者たちがおり、使徒たちがおり、そして今回登場した犯罪人ディスマスがいます。○○姉は、そこで、彼らと共に大きな慰め、平安、喜びを体験しておられます。

私たちも、イエスさまを信じる信仰によって、パラダイスへのパスポートを与えられています。私たちがその信仰をますます確かなものにすること。○○姉が天のパラダイスから願っておられるのは、そのことです。

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