平和があるように

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ルカの福音書2章1〜14節

(2013.12.22)

参考資料

ギリシャ語の「キリスト」(11節)は、ヘブル語ではメシヤと言い、救い主という意味です。

「ダビデの町」(11節)は、首都エルサレムのすぐそばにあるベツレヘムです。旧約聖書に出てくるイスラエルの王ダビデの出身地なのでこう呼ばれています。救い主は、ダビデの家系から生まれるという預言があります。

聖書からのメッセージ

イントロ

羊飼いたちに、救い主イエスさまの誕生が知らされたとき、天使の大軍勢が現れて、「天に栄光、地に平和」と賛美しました。天の神さまのすばらしさが明らかになるように、そして、神さまの御心にかなう人々に平和が実現するように、と。

なぜ、クリスマスがこんなにめでたいのか……。それは、神のひとり子であるイエスさまが人として来られたことによって、私たちに平和、平安が与えられたからです。

私たちに与えられる「平和」とは、いったいどういうものでしょうか。

1.問題から守られる

奇跡の神

聖書の神さまは、奇跡の神です。そして聖書は、イエス・キリストは、神が人となって来られた方だと語っています。

実際、この地上で、イエスさまは多くの奇跡を行なわれました。病気の人をいやし、悪霊を追い出し、嵐を鎮め、湖の上を歩き、たった5つのパンと2匹の魚で5千人の人たちのおなかを満たし、そして死人さえもよみがえらせました。

八方ふさがりでも

この地上では、いろいろな問題がやってきます。そのため、人は悩んだり苦しんだりします。たとえクリスチャンでも、です。

しかし、たとえ八方ふさがりで、もう何もかもが絶望的で、愚痴をこぼしたりあきらめたりしたくなるような状況でも、それでも私たちクリスチャンは希望を失わないでいられます。何とかなると思えます。それどころか、絶望的な状況のまっただ中で、感謝し、わくわくし、喜ぶことさえできるのです。

それは、私たちに何かができるからではありません。奇跡の神さまがついていてくださると信じることができるからです。

私たちを愛し、私たちを守るとおっしゃるイエスさまが、その奇跡の力によって、問題を宝に変えてくださるのです。あなたはそれを信じなさいますか?

祈りによって

聖書は、「人にはできないことが、神にはできる」と宣言しています。私たちは「できる」と言われるイエスさまに向かって祈ります。そのとき、神さまの全能の力が私たちの人生を覆うのです。

今、あなたは困難の中にいらっしゃいますか? 全知全能の神さまがあなたと主にいて下さいます。お任せして、平安を得ましょう。

2.価値を認められる

存在価値と平安

私たちが心の平安を失うとき、それは私たち自身の存在価値が揺るがされているときです。すなわち、自分なんかいなくても同じだと感じたり、いない方がいいと思ったり、ダメな人間だと思ったりしたとき、私たちの心は揺れるのです。

逆に、私たちは、自分の存在が大切なんだと思ったとき、自分はここにいていいと感じたとき、自分は何者にも取り替え不可能なかけがえのない宝物なんだと感じたとき、心に安心感が生まれます。

人にクリスマス・プレゼントを渡したとき、ありがとうと言ってもらえなかったとします。それでいやな気持ちになったとしたら、きっと心の中で「この人は、私のことを大切だと思ってくれていない」と感じたからです。

これまで牧師・カウンセラーとしていろいろな方と出会いましたが、心の病の多くは、「自分は大切でだ。自分は生きていてもいい、すばらしい存在だ」という確信を見失うところから生じていると気づかされました。

存在証明

人は、「自分なんか生きる価値のないダメな存在だ」なんて思いたくないですから、自分の価値を信じられない人は、一生懸命自分の価値を証明しようと躍起になります。証明の方法は、人によって違います。
  • ある人は、完璧主義者で、物事を完璧に行なうことができたら、自分は良いと思えます。
  • ある人は、愛情にあふれ、他の人を助け、他の人の問題を解決してあげ、他の人から感謝されることで、自分は良いと思えます。
  • ある人は、社会的に成功し、人々から認められることで、初めて自分は良いと思えます。
  • ある人は、人と違うことによって、たとえば個性的なファッションで身を包んだり、人と違う体験をしたりすることによって、自分の存在を確かに感じることができます。
  • ある人は、人から頼まれたことは、何でも行なうしもべのような生き方ができて初めて、人に自分の存在を認めてもらえると感じています。
  • ある人は、強い刺激や快楽を感じているとき、生きているという実感を感じ、自分を肯定することができます。
  • ある人は、人々から認められるような立派な行ないをすることで、自分の存在を認めてもらえると感じています。
しかし、このような自分の証明の仕方をしていると、その条件を達成できているときはいいですが、達成されなかったときに強烈な不安に襲われますし、たとえ今は達成できていても、今度はいつそれを失うかとまた不安になるでしょう。

聖書の教え

聖書は、あなたはそのままで価値があると教えています。もちろん、いつでも人として成長できるし、成長すべきです。しかし、だから価値が認められるのではなく、今そのままの姿で神さまに受け入れられ、価値を認められています。

神さまは、遠く天国から、「ここまで昇ってこい。そうしたら救ってやる」とおっしゃったのではありません。神さまの方から下ってきてくださって、人間になり、私たちが神さまにとってどんなに大切な存在なのかを証明してくださいました。これがクリスマスの意味です。

3.赦される

聖い正義の神

私たちは完璧ではありません。もし、自分のしてしまったことを、細かく追求されたとしたら、私たちは平安ではいられません。聖書の神は何でもご存じで、しかも聖いお方だと聖書は言います。隠しても無駄です。だとしたら、こんな恐ろしいことはありません。

赦しの神

しかし、聖書の神さまは赦しの神さまです。私たちの罪も失敗も不完全さも、すべて赦してくださいます。

それは、罪をいい加減に扱っているからでも、「そんなのたいしたことないよ」と思っておられるからでもありません。イエスさまが、私たちの罪の罰を、全部身代わりに負ってくださったからです。だから、私たちは神さまからそのままで受け入れられ、愛されているのです。 この話をお読みください

死ぬために生まれた赤ちゃん

イエスさまは、このクリスマスに、十字架にかかって死ぬために生まれてくださいました。

小さな赤ちゃんが生まれてうれしい……というような心温まる話だからクリスマスがめでたいのではなく、イエスさまがご自分の命をかけて私たちを愛してくださった故に、クリスマスはめでたいのです。

まとめ

私たちは、イエスさまが命を捨てても惜しくないと思われるほどに、大切な存在なのだということを、今年のこりの1週間も、そして来年も忘れないで生きていきたいと思います。そして、他の方々にも、あなたは神さまに愛されているんだと言うことを伝えていきたいと思います。

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