いつも、絶えず、すべての事について

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テサロニケ人への第1の手紙5章16〜18節

(2014.1.5)

参考資料




聖書からのメッセージ

イントロ

新しい年を迎えた私たちに、神さまはどんな教訓を与えてくださるでしょうか。

1.前提

できないときがある、ということ

神さまは私たちに「喜びなさい。祈りなさい。感謝しなさい」と命じておられます。

確かにうれしいことはあるでしょうし、神さまに積極的に祈りたい気持ちになることはあるでしょうし、感謝したくなるときもあるでしょう。そんなときは、別に命ぜられなかったとしても喜び、祈り、感謝するでしょう。

しかし、わざわざ命ぜられているということは、私たち人間には、喜べないとき、祈りたくもない状況、感謝なんかとてもできないことがあるということです。

去年一年間、そんなときがなかったかどうか振り返ってみましょう。

選択、決断

私たちには、喜んだり、祈ったり、感謝したりできない時や状況があります。それにも関わらず、「いつも」「絶えず」「すべての事について」とも言われています。

ということは、喜ぶことも、祈ることも、感謝することも、私たちの気分次第ではなく、選択次第であり、決断次第だということでもあります。

普通だったら喜べないし、祈りたくもないし、感謝なんかできないけれども、それでもそうすることを選び、そうしようと決断して実践するわけです。そして、「今の状況を喜びます」と神さまに祈り、「この状況を感謝します」と宣言します。

感情の原因

このように、たとえ心が伴わなくても、喜んだり、祈ったり、感謝したりすることはできるのかもしれません。ただ、どうせなら気持ちも伴っているといいですね。ただ、感情をコントロールするのは非常に難しいということを、皆さんは経験してこられたのではないでしょうか。

しかし、次のことを知っていると、少し感情のコントロールが楽になります。それは、感情がどのように生まれるかというからくりです。

感情は状況から直接生まれるものではありません。感情は、実はその人の考えによって生じます。遭遇した出来事について、その人がどのように考えるか、すなわちどのようにその出来事を意味づけし、解釈するか、それによって感じ方が変わってくるということです。

同じ出来事に遭遇しても、人によって感じ方が違いますね。それは、一人一人その出来事について考えることが違うからです。

たとえば、子どもに何か指示したとき、「うるせぇ!」と言われたとします。
  • あるお母さんは、「年少者に馬鹿にされた」と考えます。すると頭にくるでしょう。
  • あるお母さんは、「子どもを怒らせるなんて、私は母親失格だ」と考えます。すると罪責感を抱くでしょう。
  • あるお母さんは、「子どもに嫌われた」と考えます。すると悲しくなるでしょう。
  • あるお母さんは、「殺される!」と考えます。すると恐ろしくなるでしょう。
感情を直接変えるのは難しいですが、考え方、意味づけの仕方、解釈の仕方を再検討して、よりうれしくなるような、神さまを信頼して祈りたくなるような、そして神さまに感謝したくなるような、そんな考え方に修正してみるわけです。

すると、ただ単に意思の力だけで喜び、祈り、感謝するだけでなく、気持ちも込めてそれらを行なうことができるでしょう。

2.考え方の変な癖

否定的な感情を生み出す考え方の癖

「無くて七癖」と言いますが、私たちには、考え方、意味づけの仕方、解釈の仕方にもそれぞれ癖があります。普段から落ち込みやすい人、いらいらしやすい人、悲しくなりやすい人、絶望しやすい人、投げやりになりやすい人は、そう感じるのにふさわしい考え方の癖を持っているのでしょう。

これから、そんな癖の例をいくつか紹介します。他ならぬ、私自身の癖でもあるのですが。

論理的な飛躍

根拠もなく「こうだ」と決めつける傾向です。決めつけの根拠が合理的な根拠になっていません。
(1) 悲観的予測
何の根拠もないのに、否定的・破壊的な未来を予想してしまいます。

「もうダメ。家族はバラバラになって、みんな不幸になる。私も家族も、もう死ぬしかない」。
(2) こころの読み過ぎ
勝手に人のこころを読み取って、きっと自分に否定的な感情を持っているに違いないと決めつけます。

「ウェイトレスが、不機嫌な対応をした。きっと私のことが邪魔で、『お前みたいな奴は早く帰れ』って思ってるんだ」。
(3) 感情的決めつけ
自分が否定的な感情を持っているから、現実も良くないと決めつけてしまいます。

「この世の中は地獄だ。だって、私はこんなにも悲しくてたまらないから」 。

過剰な一般化

わずかな証拠を、拡大解釈してしまう傾向です。
(4) 反復予測
一つのいやな出来事が起こると、それがこれから永遠に繰り返されると思いこんでしまいます。

「○○さんが、メールの返事をすぐにくれなかった。きっとこれからも決して返事をくれないに決まっている」。
(5) レッテル貼り
わずかな出来事を理由に、自分や他人や世の中に対して、否定的なレッテルを貼ってしまいます。そして、今度はそのレッテルで「この人はこうだ」「この世はこうだ」と決めつけた反応をしてしまいます。

「私はダメ人間。私は生きていてはいけない人」。
「どうせ誰も私のことなんか嫌いなんだ」。
「この世の中なんてつまんない」。

視野狭窄

視野が狭くなることですね。物事の一面だけを極端に気にして、他を無視する傾向です。
(6) 過大評価
自分の欠点や他人の成功など、自分を責める理由が、実体よりも大きく見えてしまいます。双眼鏡をのぞくと、ものが大きく見えますよね?

「私は、○○さんのように英語がしゃべれないから、この世では通用しないつまらない人間なんだ」。
(7) 過小評価
自分の長所や物事の良い面(自分を勇気づける理由)が、実体よりも小さく見えてしまいます。双眼鏡を逆からのぞくと、ものが小さく見えますよね?

「ピアノが弾ける? そんなの英語がしゃべれることに比べたら、大した能力じゃないよ」。

超道徳的思考

不必要な責任を自分に負わせて、それをまっとうできない自分を責めるような傾向です。
(8) 全か無か思考
○か×か、白か黒か、100点かさもなければ0点という、物事を極端に二分して考える癖です。「完璧でない=まったくダメ」と考えますから、自分を責めたり、人や世の中に絶望したりする種はたくさんあることになります。

「仕事を探しに行ったけれど、面接に落ちた。やっぱり私は社会では働けないんだ」 。
(9) べき思考
自分や他人に対して、なんでも「〜すべき」「〜すべきでない」と考え、違反した者にはひどい罰が下らなければならないと考える傾向です。

「私は人の依頼に対して完璧に応えないといけない。あるいは、私は絶対に同じ失敗を繰り返してはいけない。さもなければ、社会から抹殺される」 。
(10) 個人化
何か良くないことが起こると、何でもかんでも自分のせいだと考えてしまう傾向です。

「両親がケンカして、母が悲しそうにしている。私がもっといい子なら母を幸せにできるのに。お母さん、悪い子の私をごめんなさい」 。

3.神はどんなお方?

クリスチャンの考え方

私たちが起こった出来事を意味づけたり解釈したりする際、自分の経験やこの世の常識だけで判断することはできません。私たちは神さまの存在を信じています。聖書とイエス・キリストを通してご自身を表された神さまはどんなお方ですか?

全知全能

神さまは何でも知っておられ、何でもすることがおできになります。神さまにコントロールできないものは何一つありません。あなたの人生も、神さまがしっかりと握っておられます。

しかも、その神さまはあなたを愛しておられます。全知全能の力を、私たちをいじめ、滅ぼすためではなく、私たちを幸せにするために使ってくださいます。

私たちクリスチャンは、これらを前提として起こった出来事を解釈します。たとえ、すぐにこれがどうして自分の身に起こったのか分からなかったとしても、それでも神さまの全知全能と愛の後性質を信じるが故に、私たちはいつも喜び、信頼して絶えず祈り続け、そしてすべてを感謝するのです。

まとめ

今年一年が、喜びと祈りと感謝に満ちあふれますように。

そのためにいつも神さまがどんなお方であり、自分のことをどのように扱おうとしておられるかということを忘れないようにしましょう。

あなた自身への適用のためのディスカッションガイド


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