私たちはどんな存在か

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コリント人への第一の手紙1章1〜3節

(2014.1.19)

参考資料

「ソステネ」(1節)についてはよく分かっていません。ただ、コリントの会堂管理者が同じ名前です(使徒18:12-17)。使徒行伝のソステネは、町のユダヤ人たちがパウロを総督に訴えて受理されなかったとき、人々に打ち叩かれています。誰が打ち叩いたのかも、打ち叩いた理由もはっきりしませんが、もしかしたらソステネがキリスト教に傾倒していたために、ユダヤ人たちから腹いせに打ち叩かれたのかも知れません(使徒18:8によると、ソステネの前に会堂管理者だったクリスポは、一家を挙げてクリスチャンになりました)。もしそうだとすると、第1コリントのソステネと同一人物だと考えられます。

「コリント」(2節)は、アカヤ地方(ギリシャ南部)の首都。地図で見るとちょうど「くびれ」の部分にあり、そのために交通の要所で、通商都市として栄えました。経済的には繁栄しましたが、その反面、貧富の差の増大、道徳的退廃などを招きました。アフロディーテ神殿には1000人の神殿娼婦がいたとされ、「コリント人のように振る舞う」という言い回しは「不品行を行なう」という意味だったとか。パウロは、第2回伝道旅行の際にコリントを訪れて(紀元51年頃)、ここに教会を生み出し、約1年半滞在しました。その後、使徒ペテロや、説教に優れたアポロという指導者もここを訪れています。

コリント教会には様々な問題がありました。それを解決するために送った指導のための手紙が、コリント人への第一の手紙です。

聖書からのメッセージ

イントロ

手紙の冒頭には、書き手にとって読み手がどんな存在なのかということが、よく表れているものです。パウロにとって、そしてこの手紙を書くように導かれた神さまにとって、コリント教会の人々はどういう存在だったのでしょうか。そして私たちは?

それを知るために、この部分に使われている3つの「εν」(英語の in に当たります)という言葉に注目してみましょう。

1.キリストにある……キリストの教会

聖なるもの

コリント教会には、問題が満ちあふれていました。分派分裂、不品行、差別、結婚に関する無秩序、礼拝の混乱、律法主義……。その混乱ぶりは、教会外の人が驚くほどのものだったようです。しかし、パウロは彼らを「聖徒」「聖なるもの」と呼んでいます。

神さまはきよいお方です。神さまから見れば、完全な人間など誰一人としていません。確かにコリント教会の人々はいろんな問題を持っていました。私たちは「あの人に比べれば、まだ私の方がマシだ」と思うことがあるかもしれません。しかし、神の基準の前には、すべての人が呪われ罰せられても仕方のない罪人なのです。

ところが、その不完全な私たちのことを、神さまは「きよいもの」「すばらしい存在」「大切な子ども」と呼んでくださっています。それは、私たちが「キリストにある」からです。どういうことでしょうか。

等価交換の原則

等価交換の原則があります。もし私が骨董品を買うとします。ある壺に100万円の値札が付いています。この壺にはそれだけの価値があると私が思えば、私は100万円とその壺を交換して壺を手に入れます(もちろん、実際の私には、骨董品にそんな大金をつぎ込む趣味はありませんけど)。

では、あなたを罪の滅びから救い出して手に入れるために、神さまは何を支払ってくださいましたか? そう、イエス・キリストの命です。イエスさまは、ご自分のいのちと交換にしても惜しくないと思うほど、あなたのことを高く値積もってくださいました。キリストにあるとは、キリストと等価であるということです。

キリストによる赦し

どうして、不完全な私たち、時に汚れたことを考えたり実行したりしてしまう私たちがきよいと言えるのでしょうか。それは、神さまの恵みによって赦されているからです。

イエス・キリストの十字架の死は、私たちの罪の罰の身代わりでした。それを信じるだけで、私たちの罪は赦され、神さまの子どもとされ、永遠のいのちをいただくことができます。イエス・キリストを信じたあなたは、誰が何と言おうとも、神さまの目に聖なる存在なのです。

これがキリストにあるということです。

2.コリントにある……地域の教会

聖徒として召された

パウロはコリント教会の人たちのことを「聖徒として召された」と言いました。きよいという言葉には、汚れがないという意味の他に、「神のために特別に区別する」という意味があります。

私たちは、神さまの働きのために、特別に召し出されました。ということは、私たちには、この地上に生きる意味があるということです。あなたが今ここに生きておられるということは、あなたを通してでなければ実現しない、すばらしい出来事があるということです。

働きの場

召された以上、働きの場があります。コリント教会の人たちは、ローマでも、エペソでも、アレキサンドリアでもなく、コリントに置かれていました。私たちは、今置かれているその場、その状況、その環境で、神さまの働きを表すことができます。 この話をお読みください

どんな経験も生かされる

その「今置かれている場」とは、私たちの感覚で判断すると、全くうれしくないような状況、とても価値を見いだせないような環境も含みます。

「もしも、ここがこうだったら」「もし昔あんなことさえなければ」と思うことがありませんか? そうしたら、もっとすばらしいことができるのに、と。その過去の生活も、栄光も、傷も、長所も短所も、ハンデもすべてひっくるめて今の私たちです。今のあなたでいい、いや、今のあなたがいいと神さまはおっしゃるのです。 この話をお読みください

3.至る所で……公同の教会

世界中の聖徒たち

皆さんが特別に愛され、選ばれたように、イエスさまに召されたすべての人々が世界中にいます。それらの人たちと協力して、私たちは神さまの働きを進めていくのです。

今言った「すべての人」とは、地域を超え、国籍を超え、人種を超えたすべてのクリスチャンのことです。

あらゆる時代の聖徒たち

さらに時代を超えてイエス・キリストを信じる人々も含みます。今生きているクリスチャンだけでなく、これから誕生するクリスチャン、さらにペテロやパウロ、ウェスレーやカルバン、キング牧師やマザー・テレサのようなすでに亡くなったクリスチャンも、です。

この、地域を越え、国籍を超え、人種を越え、時代を超えて存在するクリスチャンの群れを、公同の教会と呼びます。

また、ノアやモーセやダビデといった旧約時代の聖徒たちもまた、イエス・キリストの十字架と復活を信じたわけではありませんから、クリスチャンとは呼べませんが、私たちと同じ神さまによる一方的な救いを信じて仕えました。

信仰と働きの継続

それらの方々は、今ここに生きているあなたのために様々な働きを継続してくれました。今も続けてくれています。そして、今ここに生きているあなたのために祈ってくれています。そういう祈りや働きの積み重ねの中で、あなたは救われたし、様々な祝福に満たされているのです。

あなたは一人ではありません。

では、私たちは? 世界のクリスチャンたちのために、またこれから誕生するクリスチャンの祝福のために祈り、今私たちに委ねられている働きを忠実にしていきましょう。

まとめ

神さまが私たちをどんな存在としてご覧になっているかを忘れず、それにふさわしい生き方を目指していきましょう。

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