豊かにされた者

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コリント人への第一の手紙1章4〜9節

(2014.1.26)

参考資料

5節の「ことば」は、神さまの教えを伝える力、「知識」は神さまの教えに関する知識のことを指しています。いずれも神さまの教えと関係しています。

7節の「イエス・キリストの現れ」、8節の「イエス・キリストの日」とは、イエスさまが王として地上に帰って来られる再臨の日のことです。

聖書からのメッセージ

イントロ

パウロは、最初のあいさつに続いて、コリント教会について神さまに感謝を捧げています。その理由は、コリント教会の人たちが「すべてにおいて、キリストにあって豊かな者とされたからです」。特に、「ことばと知識」が挙げられています。このことは、今の私たちにどういう教訓を与えているでしょうか。

1.ことばと知識

信仰の知的側面

ここで言う「ことば」とは、神さまの教えを他の人に伝えるということです。知識とは、特に神さまの教えに関する知識です。すなわち、信仰の知的な側面のことです。

コリントはギリシャの町です。ギリシャ人は昔から議論好きの国民として知られていました。神さまはその特性を生かしてくださって、コリント教会に神さまのみこころを知り、それを伝える力を豊かに与えてくださいました。

愛のない知識は不十分

8章に行くと、「知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます」(8:1)とパウロは語り、単なる知識だけではいけないこと、その知識が愛に裏打ちされていないといけないことが教えられます。

教会のホームページを長年コツコツと更新してきたせいか、全国の方々から相談のメールをいただくことがあります。クリスチャンの方に多いのが、「教会に行くと、牧師や他のクリスチャンから聖書を使ってさばかれて、かえって苦しくなった」という相談です。

もちろん、明らかに罪だと分かっていることを続けるのは誤りですし、クリスチャンは常に神さまのみこころを追い求め、成長していかなければなりません。そのため、互いに戒め合うようにとも命ぜられています。

ただ、同じことを伝えるにしても、その言い方や表情、態度などによって、違ったニュアンスが相手に伝わります。
  • 「こんなこともできないあなたはダメ人間だ」というニュアンス
  • 「できないあなたに比べて、神さまの命令を守っている自分は、何と立派できよい人間なんだろうか」というニュアンス
  • 「あなたはこんなにも神さまや私たちに大切に思われている。だから、人生を無駄にしちゃいけないんだ」というニュアンス
あなただったら、どのニュアンスの忠告を素直に受け入れやすいですか? どれを、愛に基づく忠告だと感じやすいですか?

コリント教会では、聖書のことば、神さまの教えを使って他の人の不完全さを暴き、代わりに自分自身のきよさを誇る風潮があったようです。 当然、愛に裏打ちされた行動ではありません。だから、パウロはそんな彼らの行動を戒めました(次回学びます)。

知識のない愛も不十分

一方で、知識に裏打ちされていない愛も不十分です。

神学生時代にこんな話を聞きました。ある熱心なクリスチャンの若者たちのグループがありました。リーダーが、マタイ5:29-30を読みました。「もし、右の目が、あなたをつまずかせるなら、えぐり出して、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに投げ込まれるよりは、よいからです。もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切って、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに落ちるよりは、よいからです」

そして、他の若者たちにこう勧めました。「イエスさまに忠実に従っていきたいと思うなら、今、右手の小指を切り捨てよう。それによって、神さまへの愛が本気だということを表現しよう」。そのリーダーと数名の人が、実際に指を詰めたそうです。

この若者たちは神さまを愛しています。熱心に献身し、伝道しています。しかし、ちゃんとした聖書知識があれば、このような愛の表し方が間違っていることはすぐに分かります。

医は仁術と言います。患者さんへの愛情も理想もなく、ただお金儲けのためだけに医療を行なうような医者にかかりたいとは思いませんね。しかし、愛情も理想もたっぷりだけれど、医学の知識も技術もない無免許の医者にかかりたいとも思わないはずです。

愛は大切。しかし、同時に知識も大切です。信仰もこれと同じです。私たち日本人は、どちらかというと情緒的な民族です。愛されている感じがするとか、喜びがわき上がってくるとか、興奮するとか、温かい雰囲気だとか、そういうものを自然に大切にしています。それはすばらしいことです。

しかし、だからこそ、意識して信仰の知的な側面を大切にしていく必要があるでしょう。雰囲気や気持ちはともかく、神さまは何を良しとなさり、何をダメだと考えておられるのかということを、私たちがしっかりと知って、その知識に基づいて行動するということです。

2.ことばと知識を磨く

聖書

神さまの教え、神さまのみこころはどうやって知ることができるでしょうか。神さまは、ご自身のみこころを聖書という形で私たちに伝えてくださっています。

ですから、神さまのみこころを学ぶには、聖書を読む必要が絶対にあります。

文脈

しかし、ただ単に聖書のことばを読むだけでは不十分です。先ほど紹介した、若者たちのグループは、聖書のことばに基づいて指を切り捨てました。

聖書のことばは、そこだけで意味を判断してはいけません。必ず前後の文章の流れ、その文書全体のテーマ、聖書全体の教えなどと照らし合わせながら読む必要があります。これは、聖書に限らず、どんな文章を読むのでも同じです。 この話を読みましょう

体系的な学び

中通りコミュニティ・チャーチでは、第1日曜日の午後に聖書塾という集まりを持っています。これは、聖書の教えを体系立てて学ぶためのものです。また、キリスト教書店でも、神さまの教えを体系的に教える本がたくさん出版されています。

そういう学びの機会を持つことで、個人的に聖書を読んだ時の理解度が、格段にアップすることでしょう。

3.知識に基づく信仰生活

気持ちと知識が対立したら

私たちの気持ちと聖書の教えが対立することがあります。そんなときは、知識の方を選びましょう。ここに私たち日本人クリスチャンの信仰の戦いがあります。 この話を読みましょう

まとめ

信仰の知識を磨き、ますます成長させていただきましょう。

あなた自身への適用のためのディスカッションガイド


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