人生の軸

トップページ聖書のメッセージ集2014年 > このページ


コリント人への第一の手紙3章5〜9節

(2014.2.23)

参考資料

アポロは、パウロの後にコリントを訪問した伝道者で、すばらしい説教者でした。また、使徒ペテロもコリントを訪問したことがあります。

聖書からのメッセージ

イントロ

これまで見てきたように、コリント教会には分派分裂の問題がありました。そして、パウロもアポロも(そしてペテロも)、勝手に派閥の旗頭にされていました。

パウロにとって、ここには大きな危険がありました。一つは、自分も派閥の人々と一緒になって、アポロやペテロを批判し、張り合うようになる危険。もう一つは、リーダーであるパウロが偶像化され、派閥や教会がカルト(指導者を盲信し、独善や反社会的行動に走る宗教組織)化する危険です。

パウロは(そしてパウロが批判していないところを見ると、他の2人も)、そうはなりませんでした。スケートのスピンでも、スキーの回転でも、ジャンプでも、体の軸がしっかりしていることが大切です。人生も同じ。ほめられても、けなされても、比較されても、舞い上がって自分を見失ったり、落ち込んだりしないためには、パウロのように、人生の軸をしっかりさせることが重要です。

パウロが持っていた人生の軸は、どのようなものでしょうか。

1.なすべきことをしただけだという認識

主がおのおのに授けられたとおりのことをした

5節の最後で、パウロは「(アポロも自分も)主がおのおのに授けられたとおりのことをしたのです」と語っています。

自分たちは、神さまが自分たちに与えてくださった使命を、それぞれに忠実に果たしただけであって、何かすごいことをやっているわけではない。だから、偉い人間であるかのように祭り上げられるのは御免被る、というニュアンスです。

ルカ17:7-10

あるとき、イエスさまが弟子たちにこんなことをおっしゃいました。

「ところで、あなたがたのだれかに、耕作か羊飼いをするしもべがいるとして、そのしもべが野らから帰って来たとき、『さあ、さあ、ここに来て、食事をしなさい』としもべに言うでしょうか。かえって、『私の食事の用意をし、帯を締めて私の食事が済むまで給仕しなさい。あとで、自分の食事をしなさい』と言わないでしょうか。しもべが言いつけられたことをしたからといって、そのしもべに感謝するでしょうか。あなたがたもそのとおりです。自分に言いつけられたことをみな、してしまったら、『私たちは役に立たないしもべです。なすべきことをしただけです』と言いなさい」

この教えは何を表しているのでしょうか。私たちがすばらしい業績を上げたとしても、すばらしい愛の実践をしたとしても、それは当然のことをしたまでで、別に威張るほどのものではないし、それによって神さまを感動させて、もっと祝福をいただくことはできないということです。

恵みの原則

「役に立たないしもべ」だなんて聞くと、ちょっとがっかりですね。しかし、この話は、「神さまは、私たちが何をしようと気にとめない」とか、「私たちの努力も工夫も一切認めてくださらない」とかいう意味ではありません。私たちの言動にかかわらず、とにかく神さまは私たちを愛しておられるし、祝福しようと決めておられるということがこの話のポイントです。

私たちクリスチャンが決してずらしてはいけない軸は、神さまの愛は出来高制ではないという信仰です。神さまとの素晴らしい関係は、何かのごほうびではなく、一方的に与えられるものだということです。これを「恵み」と言います。

パウロは恵みの信仰に立っていました。ですから、ほめられても舞い上がらず、けなされても落ち込まず、他の働き人と比較することで自分の価値を証明しようともしなかったのです。

2.神のプロジェクトの一員だという認識

プロジェクト

企業が何かのプロジェクトを遂行しようとします。たとえば商業ビルの建設とかの。しかし、建設の実行部隊だけではビルは建ちません。設計、営業、開発、経理、総務、カスタマーサポート、人事など、様々な部門とそこに属するメンバーたちが、それぞれの仕事を忠実に行なって、初めてビルが完成します。

ですから、プロジェクトの中の目立つ部門や個人だけが、功績や賞賛を独占するのは誤りです。プロジェクト全体の成功は、プロジェクトに参加したすべての人が共有しなければなりません。

神の協力者

パウロは自分がたった一人で神さまの働きを行なっているなどとは考えていませんでした。神さまが、全世界を救うという途方もない大プロジェクトを立ち上げておられ、自分はそのプロジェクトに招かれたメンバーの1人であるという認識を持っていました。

パウロは、自分やアポロたちのことを、「神の協力者」と呼びました。確かに、コリント教会はパウロが開拓しました。そして、アポロやペテロの働きによって大きく成長しました。しかし、コリント教会の人たちを救ったのは神さまであり、質的にも量的にも成長させてくださっているのも神さまです。全世界を救うという大プロジェクトの中で、コリント教会を生み出して成長させるという小プロジェクトを立ち上げ、最終責任を持っておられるのは神さまです。

パウロは、自分たちは神さまの協力者としてプロジェクトに参加し、それぞれ自分に割り当てられた仕事を忠実に果たし、それによってプロジェクト全体が進んでいくのだと語っています。

自分だけが特別だと思わない

私たちが派閥を作って他の人たちを見下げたり、自分や他の人を偶像化してカルトのようにならないためには、自分や自分の属しているグループだけが真理を持っており、真理を実行しているのだと思い上がらないことが大切です。

聖書の知識においても、行ないにおいても、私たちは不完全です。ですから、他のクリスチャンや他の教会・教団・グループの存在によって、互いに欠けているところを補い合うことが必要です。

それは信仰の世界だけではありません。夫婦にしても、企業にしても、友人関係にしても同じことです。私たちは、独善的になって、他の人を見下げたり、批判したりしていなかったでしょうか。

3.神のために生きるべきだという認識

大切なのは神

パウロは7節で、大切なのはパウロでもアポロでもなく、神さまなのだと語っています。

パウロもアポロもペテロも、自分たちの栄光を現すために(すなわち、自分のすばらしさを証明するために)、様々な活動をしているわけではありませんでした。彼らの共通する願いは、自分たちの一挙手一投足を通して、神さまのすばらしさが明らかになること、そして神さまのみこころ(神さまの願い、計画、意思)が少しでも実現することです。

神からの報酬

その結果として神さまが報酬をくださいます。パウロは、世の人々からの賞賛とかグループ内での権力とかいう人からの報酬ではなく、神さまからの報酬を求めていました。

自分がなすべきことを忠実に行なった人に与えられる神さまからの報酬とは何でしょうか。それは、世界を救うという神さまのプロジェクトの中で、より大きな責任と働きの場が与えられるということです。

え? そんなのは大変なだけで、ちっとも報酬なんかじゃない……と思うような人には、この報酬は与えられませんのでご安心を。それが喜びとなる人に、この報酬が与えられます。

有名なタラントのたとえ(マタイ25:14-30)を読んでください。それぞれ5タラントと2タラントを運用して利益を出した2人のしもべが主人からほめられ、倍の仕事を任されるようになったのは、彼らが利益を出したからではありません。その証拠に、2人のしもべの出した利益は倍以上違いますが、全く同じ言葉でほめられています。

この主人が喜んだのは、2人が自分が彼らに期待していることをしっかりと受け止め、自分を喜ばせようと一生懸命に知恵を尽くし、計画を立て、がんばってそれを続けてくれたことです。主人の喜びが自分の喜びとなっていた2人にとって、より大きな責任と働きの場が与えられることは、喜びがさらに増し加わることでした。

一方、1タラントのしもべが叱られてクビになったのは、もうけを出さなかったからではなく、主人は彼に商売をして欲しかったのに、その思いをないがしろにし、結局何もしなかったからです。

誰のために生きるか

私たちは神さまのしもべであり、神さまは私たちの主人です。私たちは、自分の幸せだけを求めて生きるのではなく、神さまが自分に何を望んでおられるかを学び、それを全力挙げて実行すべきです。

しかも、神さまは私たちを苦しめるだけの暴君ではありません。むしろ、私たちの本当の幸せのために、ご自分が犠牲を払ってくださった愛に満ちたお方です。

ですから、神さまが私たちに何かを望まれるとき、たとえ表面上は損に見えても、様々な犠牲が伴うとしても、大変な忍耐を要することだとしても、それでもそれを行なうことは私たちの幸せにもつながります。

まとめ

パウロのように、人生の軸をしっかりと定めて、人々の評価や状況に振り回されないように生きていきたいですね。

あなた自身への適用のためのディスカッションガイド


Copyright(c) 2014 Nakadoori Community Church All Rights Reserved.