神の神殿

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コリント人への第一の手紙3章16〜23節

(2014.3.9)

参考資料

「ケパ」(22節)とは、使徒ペテロのこと。

聖書からのメッセージ

イントロ

今回の箇所で、パウロは神殿を破壊する罪について語っています。罪というとなんだか気持ちのいい話ではありませんが、実は私たちにとって大きな慰めや励ましを与えてくれます。

1.神殿を破壊する罪

クリスチャンは神の神殿

16-17節で、パウロはコリント教会の人々に向かって、「あなたがたは神の神殿なのだ」と語りました。6:19にもこのように書かれています。「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか」

イエス・キリストを信じた時、聖霊なる神さまがその人のうちに住んでくださいます。また、聖霊さまが働いて初めて、人はイエス・キリストを救い主と信じることができます。「ですから、私は、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも、「イエスはのろわれよ」と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です」と言うことはできません。」(12:3)

イエスさまを信じることと、聖霊さまが内に住んでくださることとは、ワンセットの出来事です。

また、パウロは「あなたがたは」と、複数形で語りかけています。「あなたがたは神の神殿だ」と。クリスチャン個人だけでなく、聖霊さまを内に宿したクリスチャンたちの共同体である教会もまた、聖霊さまが臨在なさる神の神殿です(教会の建物が神殿なのではなく、共同体が神殿と呼ばれています)。

神殿を破壊する罪

そこで、教会の中に分派分裂をもたらして、共同体としての一致を破壊する者は、神殿を破壊するのに等しい罪を犯すのであって、神さまはその罪を放ってはおかれないとパウロは警告しています。

昔、バビロニア帝国がエルサレムを占領し、神殿を破壊しました。神さまはその罪を問い、バビロニアはペルシャ帝国に滅ぼされてしまいます。だから、分派争いなどやめなさいとパウロは勧めているのです。

また、クリスチャン個人についても、これを破壊しようとする者がいれば、神さまが黙ってはおられません。クリスチャンの内には聖霊さまが住んでおられるからです。

では、このことが私たちにどんな意味を持っているのでしょうか? 私たちが神の神殿だとすれば、どのような生き方が求められているのでしょうか。

2.自分で復讐する権利を捨てよう

泣き寝入りはしない

私たちは、教会としても個人としても、この世にあって攻撃を受けることがあります。迫害されたり、馬鹿にされたり、暴力や暴言を受けたり、いじめられたり、だまされたり……。

パウロ自身も様々な攻撃を経験しました。彼は決してやられっぱなしにはなりませんでした。状況に合わせて、権利を主張するなどの平和的な方法で戦ったり、あえて戦わずに逃げ出したりして、自分の体や心を守りました。たとえば、
  • ピリピでろくな取り調べも受けずにむち打たれ、投獄されたときには、自分がローマ市民であることを示して、それにふさわしい扱いをするよう主張しました。
  • ダマスコやテサロニケで命を狙われたときには、教会の仲間たちの助けを借りて逃げ出しました。
  • エルサレムで暴動に巻き込まれ、命の危険を感じたときには、ローマ軍に身柄の保護を求めました。
暴力を受けたり、いいように搾取されたりしているなら、自分の権利を主張したり、場合によっては逃げ出したりしなければなりません。あなたは神さまの神殿であり、大切な存在なのですから、自分の体や心を粗末に扱ってはいけません。

自分で復讐することはしない

その一方で、パウロは攻撃者に対して自分で復讐しようとはしませんでした。

旧約聖書でも、たとえばダビデもまた、自分で復讐するのを控えました。彼は、王であるサウルの嫉妬によって命を狙われ、放浪生活を余儀なくされます。途中、何度かサウルの命を奪う機会があったのに、ダビデはそれをしませんでした。

クリスチャンは神の神殿だとパウロは言いました。そして、神殿を破壊する者にはさばきが下ると。ですから、クリスチャンは自分の手で復讐する必要はありません。神さまにお任せしましょう。

さらに、ローマ12:20ではこのように勧められています。「もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです」

神さまに信頼しよう

もちろん、神さまにお任せするというのは、危険も伴います。すべて神さまのお考え次第ですから、神さまがその攻撃者をひどい目に遭わせないかもしれません。

しかし、とにかく神さまは最高のことをしてくださいます。それを信じましょう。そして、攻撃者を憎むという、自分自身も疲弊してしまうような心を捨て去りましょう。少なくとも、それだけでも復讐をやめるだけの価値があります。

3.聖霊を悲しませない生き方をしよう

神さまへの愛を意識しよう

聖霊さまが私たちの内におられるということは、私たちが何をしても、何を考えても、聖霊さまはそれを見ておられ、ご存じだということです。いつもそのことを意識して、何かを選択しなければなりません。

私がしようとしているこの行動は、あるいは私が今考えているこのことは、聖霊さまを喜ばせているだろうか、それとも悲しませているだろうか。それを考えましょう。「神の聖霊を悲しませてはいけません」(エペソ4:30)と聖書は勧めています。

また、ヤコブ4:5にこのように書かれています。「それとも、『神は、私たちのうちに住まわせた御霊を、ねたむほどに慕っておられる』という聖書のことばが、無意味だと思うのですか」

このみことばは、神さまへの愛よりも自分の欲望の方を優先させることへの戒めです。欲望自体は悪くありません(もし欲望を一切なくしたら、人は生きていけません)。問題は、欲望を満たすことが、神さまを愛することよりも優先されてしまうことです。

あなたがしている、あるいはしようとしているその行動は、神さまへの愛に基づいていますか? その考えはどうですか?

神さまからの愛を意識しよう

21-22節は、神さまが私たちに、あらゆる祝福を与えてくださっているということを教えています。神さまは、聖霊さまや御子イエスさまでさえも、私たちに与えてくださいました。それは、私たちが神さまに愛されているからです。

ヨハネ3:16「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」

私たちは神さまに愛されています。それが、私たちが聖霊の宮、神の神殿であるという意味です。愛されていることに感動し、感謝するからこそ、クリスチャンは自分で復讐する権利や、自分の欲望を最優先にする権利を捨て去るのです。

まとめ

自分の内に聖霊なる神さまが住んでくださっていることを、いつも意識しながら生活しましょう。

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