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コリント人への第一の手紙7章1〜40節

(2014.4.13)

参考資料

1節「男が女に触れ」るとは、あるいは3節「義務」や4節「権利」とは、夫婦間の性的交わりに関連した表現です。5節の「しばらく離れている」も、別居のことではなく、性的接触を控えることです。不品行(夫婦以外の人と性的関係を持つこと)への警戒感が行き過ぎて、夫婦の性的交わりも良くないものだと考える人たちがコリント教会にいたのでしょう。

7-8節の「私のよう」とは、独身であること。パウロは独身でした(9:5)。

18節の「割礼」は、ユダヤ人の男の子が生後8日目になったとき、その男性器の包皮を火打ち石で切り取る儀式です。これは、神と契約を結んだ民ユダヤ人であることを表しています。

29節の「時」は、世の終わりが来るまでの期間。終末時代には、悪の力が猛威を振るうため、信者にとっては信仰の試練の時です。

聖書からのメッセージ

イントロ

パウロは、コリント教会から寄せられた、結婚や離婚についての質問に答えています。

1.命令と勧め

結婚についての指導

男女の結婚、あるいは離婚について、コリント教会からの質問が寄せられました。パウロは、それに答える形で指導しています。整理してみると、
  • 1-2節、8-9節。結婚していない男女。そのまま独身を勧めるが、独身は神さまからの賜物なので、できない人は結婚しなさい。【パウロの見解】
  • 3-6節。夫婦であっても、性的交わりを控えるべきかどうか。それは夫婦にとっての権利であり義務でもあるので、あえて控えてはならない。ただし、双方合意の上なら良い。【パウロの見解】
  • 10-11節。クリスチャンの夫婦は離婚してはならない。【キリストの命令】
  • 12-16節。夫婦どちらかが未信者の場合、未信者の方が同居に同意しているなら離婚してはならないが、相手が離婚を望むならその限りではない。神さまは我々に平和な生活を与えたいと願っておられるのだから。【パウロの見解】
  • 17-24節。すでに割礼を受けている人、まだ受けていない人、奴隷や自由人について。基本的には今の状態を変えようとしなくて良い。ただ、奴隷については、可能なら自由を得なさい。【パウロの見解】
  • 25-40節。未婚の女性について。独身を勧めるが、結婚したからといって罪になるわけではない。【パウロの見解】

パウロが心がけたこと

この章で、パウロは様々な指導をしています。特に注目したいのは、その勧めなり命令なりを「誰がしているのか」ということを、パウロが注意深く区別していることです。これは主であるイエス・キリストが命じておられるのか、それともパウロが自分で考えて導き出した教えなのか、という区別です。

上述の、結婚や離婚に関する教えの場合、「これはイエスさまがなさった命令である」と明言しているのは、クリスチャン夫婦の離婚についての教え(10-11節)だけです。あとは、パウロが考えている行動の指針でした。

もちろん、自分で考えたといっても、勝手気ままに規則を作り出したわけではありません。パウロは聖霊に導かれた祈りを積み重ね、聖書に書かれていることや、他の使徒たちから聞いたイエスさまの生前の教えや、神さまが直接パウロに語られたことなどを考え合わせて、このケースはこういうふうに考えた方がいいだろうと結論を出したのです。

ただし、明確に神さまが命じておられることでない限り、「これは神のみこころである」「これは神からの教えである」などと、勝手に神さまの名前を持ち出して権威づけたりはしませんでした。

今回の教えにしても、パウロが自分の見解だと言っていることについては、パウロと違った結論を出す人がいたとしても、必ずしもおかしくはないということです。もちろん、大切なのはそういう結論を出した理由です。これについては後述します。

聖書にはすべての行動が書かれているわけではない

私たちの毎日は、一瞬一瞬選択と決断の繰り返しですね。クリスチャンとして、当然神さまのみこころにかなう選択と決断をしなければなりませんが、残念なことに、聖書の中に具体的な答えが載っているとは限りません。

もちろん、明確に記されていることもあります。たとえば、自分が欲しいと思っている物を誰かが持っている。だからこっそりその人から盗み取る……これはダメです。自分には配偶者がいるけれど、すてきな異性が現れた。誘われるままにその人と関係を持つ……これもダメです。盗みも不倫も、聖書で明確に禁じられています。

しかし、
  • 二人の人からプロポーズされたけれど、どちらを選ぶべきだろうか。
  • 将来、どんな仕事に就いたらいいだろうか。
  • 転職すべきだろうか、今の仕事を続けるべきだろうか。
  • 今回の集会で、どれくらい献金したらいいだろうか。
  • ガンだと言われたけれど、手術すべきだろうか、化学治療だけにすべきだろうか。
  • 生命保険を勧められたけれど、入るべきだろうか。
  • 赤い靴下と青い靴下、きょうはどちらをはいたらいいだろうか。
たとえばそのようなことは、聖書には書かれていないのです。

多くのことは、パウロがしたように、聖書に書かれていることを元にしながら、自分で考えて決断する必要があります。

例を挙げましょう

パウロは、未信者の配偶者が一緒にいることを望んでいるなら離婚してはいけないと教えています。

では、未信者の配偶者が不倫を繰り返したり、あるいはDVや子供への虐待を繰り返したりしていて、しかし離婚するつもりはないと主張している場合、それでも被害を受けているクリスチャンの方から離婚を申し立てたり、黙ってシェルターなどに避難したりしてはいけないのでしょうか?

「私の考え」はこうです。関係改善のための努力を最初からあきらめるべきではありません。しかし、どうしても相手が態度を改めようとしない場合には、離婚や別居もやむなしと考えます。

そう考える理由は、
  • 不倫を繰り返すことは、自ら夫婦であることを捨てる行為と判断できるから。たとえば、夫が他の女性と性的な関係を持ちながら、なおも妻を縛り付けるのは、それはもはや妻として扱っているのではなく、ただ働きの家政婦、すなわち奴隷として利用しているだけです。
  • 子どもに暴力や暴言が向かう場合、子どもの命や心を守らなければなりません。たとえ子どもが直接暴力や暴言の被害を受けていなくても、他の家族が暴力を受けている場面を見せるだけで虐待であり、子どもの心に深刻な被害をもたらします。
  • 自分が不倫を繰り返され、あるいは暴力を受け続けているのに何もしないのは、聖霊の宮である自分、イエスさまが命をもって買い取られたほどに価値ある自分を粗末にすることです。それは、自分を大切にしてくださる神さまを馬鹿にする行為でもあります。
  • 不倫や暴力を繰り返す人は、一種の依存症です。「自分がいないとあの人はダメになる」などと言ってその人と共に居続け、結果的にそれらの不適切な行為を続けさせることは、アルコール依存症の人の前に酒を出し続けることと同じです。それは、動機がどうであれ、結果として愛ある行動とは言えません。
……と、このように考えて(祈りながら)、判断を下すのです。もちろん、個々のケースによって、具体的な判断が変わることはあります。

次に、パウロが今回の指導をするに当たって、判断する原則が何だったのかということを見ていきましょう。

2.パウロの判断の原則

世の終わりが近い

パウロの判断の土台になっているのは、「この世の終わりが近い」という切迫感でした。特に、パウロがやたらに独身を勧める理由がそこにあります(29-34節)。世の終わりが近づいている今の時代には、身を慎み、祈りに専心し、神さまに従うことを最優先にすることが求められる。ところが、家族がいると、当然そちらにも心を配らなければならない。その点、独身なら、もっぱら神さまのことを考えて行動することができる、というわけです。

ただし、独身を続けられるのは、神さまから賜物(能力や状況)を与えられた人であり、選ばれた人です(7節、マタイ19:12)。ですから、クリスチャンは結婚してはならないのだなどと、強く命じているわけではありません。

しかし、少なくともパウロは、すべてのクリスチャンが、独身であるかどうかにかかわらず、できる限り神さまのことを考え、神さまとの交わりを深め、神さまに従うことを優先することを願っていました。
  • 私たちが選ぼうとしているその行為は、神さまを愛し、神さまとの交わりを深め、神さまのみこころにかなうものでしょうか。

家族を大切にする

独身主義のパウロでしたが、家族を持ったならば、家族にも意識を向け、家族と交わり、家族を大切にすることが重要な義務であると考えていました。

だから、夫婦間の性的な交わりもおろそかにしてはいけないし、相手が一緒にいることを望んでいるなら離れてはいけないと勧めるのです。
  • 私たちは、家族に寂しい思いをさせてはいなかったでしょうか。家族を物質的に、そして精神的に、霊的に養う義務をおろそかにしていなかったでしょうか。

神の愛を実現する

パウロは、相手が信者でない場合、基本的には離婚を勧めないけれど、相手が離れていくなら離婚して良いと言いました。その理由は、神さまはあなたの平安を望んでいるのだからと。

また、基本的には今の自分の境遇を変えようと躍起にならない方がいいけれど、奴隷が自由になるチャンスがあるのなら、ぜひそうしなさいとも言いました。それは、クリスチャンは神さまによって代価を払って買い取られたほどの価値ある存在なのだから、人間の奴隷になるべきではないからです。

私たちが決して忘れていけないのは、神さまというお方は、私たちが楽しい人生を送れないよう、あれこれと縛り付けて意地悪をなさる方ではなく、私たちが本当に幸せになり、本当に喜びや感動に満ちた人生を歩むことを願っていらっしゃるということです。だからこそ、御子イエス・キリストが私たちの身代わりに死んで、罪ののろいから解放してくださいました。
  • 私たちが選ぼうとしているその行為は、神さまが私に与えようとしておられる幸せな人生に近づくようなものでしょうか。それとも、一時的な快楽しか与えないものではないでしょうか。

他の基準

もちろん、パウロが気にしていた基準はこれだけではありません。私たちも、聖書を通して、その時々に明確に判断できるようにさせていただきましょう。

まとめ

私たちが、一瞬一瞬訪れる決断の機会に、ますます神さまのみこころにかなう、正しい判断ができるようになれるよう、祈り、聖書を学び、修練を積み重ねていきましょう。

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