倒れないように

トップページ聖書のメッセージ集2014年 > このページ


コリント人への第一の手紙10章1〜13節

(2014.5.18)

参考資料

1節「私たちの父祖たちはみな、雲の下におり、みな海を通って行きました」は、出エジプトの時、神さまの臨在を現す雲がイスラエルを導き、葦の海が左右に分かれてそこを通って脱出したこと(出エジプト13:21、14:22)。

3節「同じ御霊の食べ物」は、出エジプト後、荒野で毎日天からマナが降ってきて、イスラエルの食料となったこと(出エジプト16:4)。

4節「御霊の飲み物」は、出エジプト後、荒野で水がなくなった時、モーセが岩を打つとそこから水がほとばしり出たこと(出エジプト17:6、民数20:11)。

13節の「試練」は、「誘惑」と訳すこともできます。

聖書からのメッセージ

イントロ

前回の教えの続きです。救われた後にクリスチャンが罪を犯すことに関して、別の説明がなされています。

1.倒れないように気をつけなさい

出エジプトの教訓

今回の箇所は、旧約聖書の出エジプトの出来事を振り返っています。

イスラエルの先祖たちは、当時世界最強の軍事国家であったエジプトで奴隷状態にありましたが、神さまの力強いお働きによって脱出し、かつて神さまがアブラハムに対して、あなたと先祖に与えると約束されたカナンの地へと向かいました。

ところが、脱出後は、イスラエルの人々は何かにつけて「あれがない」「これが足りない」と文句を言い、神さまを信頼せず、リーダーであるモーセに逆らいました。それに対して神さまは、天からマナを降らせ、ウズラを大量に送り、岩から水を出しました。しかし、それでもイスラエルの不平不満は続きました。

また、金の小牛を造って偶像として拝むような真似をしたり、あるいは、移動先の民族が信じる神々を取り入れて、これを礼拝したり、性的乱交を行なったりしました。

その結果、たびたび神さまのさばきが起こって、たくさんの人たちが死んでしまいました。そして、約束の地に入れないまま40年間荒野を放浪し、エジプトを脱出した時に成人していた世代のうち、約束の地に入れたのは、神さまを最後まで信頼したヨシュアとカレブの2人だけという有様でした。

パウロは、これの出来事を私たちクリスチャンへの教訓、あるいは警告とするようにと勧めています。

立っていると思う者は

聖書は、12節で「ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい」と警告しています。ここを読んで、「クリスチャンであっても、罪を犯すと救いが取り消されることがある」というふうに心配なさる方がいらっしゃいます。

しかし、そうではありません。私たちの救いは、イエス・キリストの十字架と復活を信じた時に確定しています。私たちの行ないによって、救いが取り消しになることはありません。

「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも深さも、そのほかのどんな被造物も、私達の主キリスト.イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません」(ローマ8:38-39)

だからといって、偶像礼拝をしていい、神さまに信頼しなくてもいい、どんなことも平気で行なっていいということにはなりません。罪は、本来、ひどいさばきを招くほど神さまが嫌われること、悲しまれることだからです。

もし私たちがイエスさまに救っていただいたことに感謝し、父なる神さまを愛しているのなら、神さまが悲しまれること、嫌われることをあえて行なうような真似はできないはずです。

出エジプトの教訓

では、出エジプトの教訓は何でしょうか。「倒れる」とは何を指しているのでしょうか。

前回、「救い」は広い概念だということを学びましたね。単に「地獄ではなく天国行きが確定する」ということだけではなく、その天国において様々な祝福を味わうことも指していると。

同様に、「さばき」も広い概念です。まず「裁判」という意味にも用いますし、その裁判の結果、罪人に与えられる「刑罰」の意味でも用います。

この世の終わりに不信者(赦しを受け取っていない罪人)に対して行なわれる最後の審判(白い御座のさばき。黙示録20:11-15)もさばきですし、その結果として罪人が味わう永遠の苦しみもさばきです。

しかし、地獄に落として永遠に続く苦しみを与えることだけが、聖書の教えるさばきではありません。神さまが地上で人間に与える苦しみもまた、さばきと呼ばれています。その目的は、最終的な刑罰ではなく、「教育的指導」です。

罪は、どんなに魅力的に見えたとしても、神さまを悲しませ、人を傷つけ、本人の人生も台無しにします。ですから、神さまは人が罪を犯し続けて悔い改めようとしないとき、悔い改めに導くために、ときに苦しみを与えて気づかせようとします。

特にイスラエルの場合は、選ばれた民として、全世界にまことの神さまと救いの道を伝えるという使命を帯びていました。それだけに、格別にきよい生き方をすることが求められたのです。そこで、教育的指導もより厳しいものになりましたし、個人だけでなく集団としてのイスラエルにも与えられました。祝福が大きければ大きいほど、求められる責任も大きいのです。

では、コリント教会はどうだったでしょうか。たとえば、11章は聖餐式について教えていますが、コリント教会ではお金持ちだけが集会に食事を持ってきて飲み食いし、貧しい人たちがのけ者になっていました。聖餐式の意味がないがしろにされて、単なる宴会になってしまっていたのです。

本来、聖餐式では、一つのパンと一つの杯をみんなで分かち合うことによって、教会が同じお方によって救われ、同じお方に仕えていることを確認します。そのため、教会の一致を確認することができるのですが、コリント教会ではかえって差別を助長し、教会を分裂させるものになってしまいました。

「そのために、あなたがたの中に、弱い者や病人が多くなり、死んだ者が大ぜいいます」(11:30)とパウロは言いました。病気や障がいがすべて罪の結果として与えられるわけではありませんが(ヨハネ9:1-3)、中には神さまからの教育的指導である場合があります。差別したり分裂を引き起こしたりしていた人たちもクリスチャンであり、イエス・キリストを信じていましたから、救われており、永遠のさばきを免れることができます。ですから、ここで語られているさばきは、教育的指導です。

それでは、このことを今の私たちの生活に、どのように当てはめれば良いのでしょうか。

2.罪を離れ、きよさにおいて成長しよう

罪を離れる

私たちは、問題や苦しみを抱えたり、物事が何をやってもうまくいかないというときがあったりしますね。そんなとき、何でもかんでも自分の罪と結びつけるのは誤りです。しかし、時々立ち止まって、神さまからの注意喚起じゃないかなと考えてみましょう。何か思い当たることはありませんか?

そして、これまでに神さまのみこころに反した結果、痛い目に遭った経験があるならば、それをいつも忘れないようにしましょう。そして、二度と同じ失敗を繰り返さないように注意し、自分の生活を正しましょう。

もちろん、神さまは赦しの神であり、恵みの神ですから、何度失敗してもやり直しさせてくださいます。しかし、だからといって、そのたびに痛い目に遭うというのはつらいですから、少なくとも意識としては失敗を繰り返さないように注意しましょう。

みこころを実践する

ロバート・シュラーという牧師がおもしろいことを言っています。曰く「すばらしい畑とは、雑草の一本も生えていない畑のことではなく、豊かに実を結ぶ畑のことである」。

罪を犯さないようにということばかり考えていると、心が萎縮してしまいます。神さまは私たちをおびえさせたいわけではありません。神さまは、あなたのことが大好きで、自由や平安や感動を与えたいと願っておられます。罪を犯さないようにとおっしゃるのも、それが私たちの幸せを台無しにするからです。

教育的指導は、神さまの愛が取り去られた結果ではありません。むしろ、神さまの愛の表れです。

ですから、「どうしたら怖い神さまに叱られないか」ではなく、むしろ「どうしたら大好きな神さまに喜んでもらえるか」というふうに考え、実践しましょう。

聖霊の助けを求める

しかし、私たちは不完全であり、弱いものです。私たちの内側には罪の性質があって、神さまに逆らう方向に傾いています。ですから、自分一人の決心や努力だけでは、どうしても神さまのみこころに反した生き方しかできません。だから、イエスさまによって、一方的に赦していただかなければならなかったのです。

そして、イエスさまを信じたとき、私たちの心の中には、聖霊なる神さまが住んでくださいました。そして、一瞬一瞬私たちを造り変えてくださっています。

13節を見てください。ここで「試練」と訳されている言葉は、「誘惑」とも訳せます。「試練」を「誘惑」に換えてもう一度読んでみましょう。

「あなたがたの会った誘惑はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの誘惑に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、誘惑とともに脱出の道も備えてくださいます」

私たちだけでは、なかなか罪への誘惑には勝てないでしょう。しかし、聖霊さまが助けてくださいます。罪に誘惑されているなと感じたら、聖霊さまの助けを求める祈りをしましょう。それだけでなく、何でもないときにも、聖霊さまの導きと助けを求める祈りをしましょう。そして、誘惑に打ち勝ちましょう。

まとめ

私たちが誘惑に打ち勝つとき、神さまは私たちを用いて、すばらしいことをこの地上で行なってくださいます。

あなた自身への適用のためのディスカッションガイド


Copyright(c) 2014 Nakadoori Community Church All Rights Reserved.