イエスの血による新しい契約

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コリント人への第一の手紙11章17〜34節

(2014.6.15)

参考資料

20節の「主の晩餐」とは、今で言う聖餐式のことです。パンとぶどう酒は、十字架にかかられたイエス・キリストの体と血を表しており、それを食べることで、自分がキリストの犠牲によって救われ、新しいいのちを与えられたということを確認します(23-26節)。また、それを教会のメンバーと一緒に行なうことで、自分たちが同じイエス・キリストの体としてひとつとされているということを確認します(10:16-17)。さらには、キリストの再臨を待ち望む意味もあります(26節)。

聖書からのメッセージ

イントロ

この箇所は、聖餐式について述べています。聖餐式の意味について確認しましょう。

1.聖餐の意味

コリント教会の問題

現代の聖餐式は、それ自体が独立した儀式になっていますが、当時はみんなが一緒に食事をする中で行なわれていたようです(イエスさまの最後の晩餐のように)。聖餐式に関してコリント教会にあった問題は、人々がその意味を十分理解しないで、ただ単に飲み食いするだけになっていたということです(20-21節)。だから、単におなかを満たしたいだけなら、家で飲み食いしなさいとパウロは命じています(22節、34節)。

それどころか、彼らのそのような行為が、教会の貧しい人たちを辱めていました(22節)。貧しい人たちは、裕福な人たちのように弁当持参で集会に来ることができなかったからです。本来であれば、裕福な人たちが、貧しい人たちの分も持ち寄って、みんなで食事ができるように配慮すべきでした。しかし、コリントの人たちは、裕福な人たちだけでさっさと食事を済ませてしまったのです。

そこで、貧しい人たちは教会の集会で他の人たちと一緒に食事をすることができず、その後行なわれる聖餐式にも参加できませんでした。本来、聖餐式には教会の一致を表現する意味があります(参考資料参照)。ところが、聖餐式をやればやるほど、教会の中に差別と分裂が起こるという矛盾が生じていたのです(18節)。

ですから、神さまは教育的指導として、教会の人々にさばきを下されました(29-30節、32節)。そこでパウロは、今のあり方を悔い改めて(31節)、聖餐の意味をわきまえ、正しいやり方で実践しなさいと彼らに勧めています。

私たちも、聖餐の意味について、良く理解させていただきましょう。

わたしの血による新しい契約です

聖餐の意味については、参考資料に書かせていただいていますので、もう一度読み返してください。

今回特に注目したいのは、25節の「わたしの血による新しい契約です」というところです。パンについて、イエスさまは「これはわたしのからだです」とおっしゃったのですから、ぶどう酒についても「これはわたしの血です」とおっしゃればいいのですが、どうしてわざわざこういう言い方をされたのでしょうか。

それを理解するには「新しい契約」という言葉について知る必要があります。これは、ユダヤ人ならおなじみの、聖書の専門用語です。そして、新約聖書の新約とは、新しい契約という意味です。

2.新しい契約

新しい契約の内容

「新しい契約」は、神さまがイスラエルとの間に結ばれた5つの契約の一つです(そのほかの4つの契約、また神さまと全人類との3つの契約については、こちらのページの「歴史の流れ」の項目をご覧ください)。

「新しい契約」の具体的な内容は、エレミヤ31:31-34、イザヤ59:21、エゼキエル34:25-31と37:26-28に書かれています。

「見よ。その日が来る。──【主】の御告げ──その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。
その契約は、わたしが彼らの先祖の手を握って、エジプトの国から連れ出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破ってしまった。──【主】の御告げ──
彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。──【主】の御告げ──わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
そのようにして、人々はもはや、『【主】を知れ』と言って、おのおの互いに教えない。それは、彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るからだ。──【主】の御告げ──わたしは彼らの咎を赦し、彼らの罪を二度と思い出さないからだ」(エレミヤ31:31-34)

要約すると

新しい契約で重要な内容を要約すると、
  • この契約は、「モーセの律法を守れば祝福、破れば呪い」というシナイ契約の一部ではなく、全く新しい契約です。
  • 神さまを信じなかったイスラエルが霊的に再生し、民族的・国家的な救いを体験します。
  • イスラエルの罪が赦されます。モーセの律法の血の犠牲は罪を覆い隠すだけですが、新しい契約に基づく赦しでは、罪そのものが取り除かれます。
  • 神の霊である聖霊が信者の中に住み、導きます。モーセの律法やそれ以前の契約は、人間がいかに生きるべきかは教えても、神さまのみこころ通りに生きる力まではくれませんでした。しかし、聖霊は信者を内側から造り変えてくださいます。
  • 神さまとイスラエルの親密な関係が回復します。

私たちは?

この契約は「イスラエルの家とユダの家」、すなわちユダヤ人と神さまとの契約です。では、日本人など、ユダヤ人以外の民族(異邦人)は関係ないのでしょうか。実は、私たち異邦人も、この契約の祝福対象に付け加えられています。

新しい契約によって異邦人も祝福を受けるということは、神さまがアブラハムと結ばれた契約に基づいています。アブラハム契約では、アブラハムとその子孫であるユダヤ人を通して、全世界の人々が祝福されると約束されています。「地上のすべての民族は、あなたによって祝福される」(創世記12:3)

そして、新約聖書の中にも、異邦人にも新しい契約の祝福が与えられることが書かれています。たとえば、エペソ2:11-16にはこのように書かれています。

「ですから、思い出してください。あなたがたは、以前は肉において異邦人でした。すなわち、肉において人の手による、いわゆる割礼を持つ人々からは、無割礼の人々と呼ばれる者であって、
そのころのあなたがたは、キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、約束の契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない人たちでした。
しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。
キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、
ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり、
また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました」


ここに書かれている「隔ての壁」とは、エルサレム神殿で、ユダヤ人しか入れないエリアと、異邦人が入れるエリアを区別していた垣根のことです。そこには、「異邦人が入ると殺される」と警告する言葉が掲示されていました。異邦人は、ユダヤ人たちのように神殿で神さまへの礼拝をささげることができなかったのです。

モーセの律法が有効だった時代には、聖書の神さまを信じた異邦人がユダヤ人のように礼拝したいと思うなら、割礼を受け、モーセの律法に従った生活をしなければなりませんでした。すなわち、ユダヤ人にならなければならず、異邦人のままではだめだったのです。

しかし、イエス・キリストが十字架で血を流した時、モーセの律法は無効になり(ローマ10:4など)、異邦人が異邦人のままで神さまを信じることができる道が開かれました。イエス・キリストを信じるなら、ユダヤ人であっても、異邦人であっても、皆救われて、教会という一つの新しい体に建て上げられます。そして、新しい契約が約束している祝福を味わうことができます。

罪の赦しと神さまとの関係回復、聖霊の内住と導きという祝福は、ユダヤ人以外の私たちにも与えられました。あなたは赦されています。あなたは神さまに愛され、受け入れられ、大切に思われています。あなたの内にはいつも聖霊さまがいらっしゃり、あなたを守り、導き、育ててくださいます。

救いは契約に基づく

そして、この祝福は、イエスさまが「わたしの血による新しい契約」とおっしゃったように、十字架の血潮によってもたらされました。

私たちは、改めて、私たちの救いが契約に基づくのだということを確認しましょう。神さまに愛されている感じがしようがしまいが、自分の罪が赦されている感じがしようがしまいが、これからの人生何があっても大丈夫と思えようが思えまいが、そんなことは関係ありません。大切なのは、契約が何を約束しているか、です。

神さまは誠実なお方であり、契約を決して破るようなことはなさいません。イエス・キリストが尊い血を流してそれを確認してくださいました。日本にも、血判状というものがありました。自分の血で拇印を押すことによって、自分が確かにこの約束を守りますということを表しました。イエスさまが流されたのは、神の御子の尊い血です。それが、どれほどの重みを持っているか、改めて受け止めましょう。

私たちが聖餐式にあずかるとき、私たちはこの救いが確かなものであることを確認しなければなりません。そして、どれだけすばらしい祝福が与えられているかということを思い浮かべなければなりません。

まとめ

次の聖餐式には、その意味を改めて味わいながら参加しましょう。

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