適切に、秩序をもって

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コリント人への第一の手紙14章1〜40節

(2014.7.6)

参考資料

1節の「預言」の賜物は、神さまの言葉を直接聞いて、それを人々に語る能力。26節の「黙示」は啓示と同義で、神さまが人の知らない真理やみこころなどを示されること。黙示を語るとは、すなわち預言するということです。

2節の「異言」の賜物は、習ったことのない言葉で語る能力。個人的な祈りや賛美で用いる場合、自分でも理解できない深い内容について祈ったり賛美したりできます。

21節はイザヤ28:11-12からの引用。イザヤの預言は、神さまは不信仰なイスラエルを外国人(アッシリヤ)の手に渡し、外国語を聞かせることでイスラエルに悔い改めを迫られるが、彼らはそれに応答せず不信仰を続けるということを示しています。意味を説き明かされない異言は、これと同様に不信者を悔い改めに導くことができないため、「不信者のためのしるし」(22節)と呼ばれています。

聖書からのメッセージ

イントロ

今回の箇所は、11章から述べられてきたテーマのまとめです。

1.愛に基づく秩序

集会の混乱

11章からパウロが取り扱ったテーマは、コリント教会の集会が他の人を大切にする愛の思いに欠けていて、そのために差別や分裂が生じたり、集会が秩序を失って混乱したりしていたという問題でした。たとえば、
  • 当時は女性は人前ではベールをかぶることが常識でしたが、ベールを取って髪を振り乱して礼拝していました。
  • 聖餐式の意味を理解しないで、ただ飲み食いするだけだったので、貧しい人たちが聖餐に参加できず、ないがしろにされていました。
  • 特定の賜物(聖霊が与えてくださる特別な能力)を与えられている人ばかりを重んじる風潮がありました。
そして、11章でも、
  • 礼拝中、何人もの人が一斉に大声で異言(訳の分からない言葉)で語るため、未信者や初心者がびっくりして教会を離れてしまうことがありました。
  • 誰かが聖書の解説をしている最中に、異言で祈ったり、預言を語り出したり、大声で質問したりする人がいて、結果的に皆の礼拝を邪魔していました。

異言の問題

コリント教会では、異言の賜物が特別視され、重んじられていたようです。異言は聖霊がクリスチャンに与えてくださる賜物のひとつで、学んだことのない言葉で祈ったり賛美したりする能力です。私たちは、何をどう祈っていいのか分からないときがありますが、聖霊さまが異言によって祈らせてくださいます。それは聖霊さまが語らせてくださる祈りですから、みこころにかなっており、必ず聞かれます。

さて、パウロは、「異言を話す者は自分の徳を高めます」と言っています(4節)。ここを表面的に読むと、異言の賜物は自分自身の成長に役立つと解釈できます。異言を語る人は、神さまに向かって語るので(2節)、神さまとの霊の交わりを深めることができ、神さまの影響を強く受けて成長できます。人は触れたものに似ますから。

しかし、これは特段異言だけの効果ではありません。知性を使った祈りであれ、賛美であれ、礼拝であれ、神さまとの交わりを深めます。そもそも、すべての人に異言の賜物が与えられるわけではありませんから(12:30)、もし異言の賜物が与えられた人だけが特別に成長できるというのなら、不公平ですね。

それに、12:7によると、聖霊さまが賜物をお与えになった目的は、「みなの益となるため」です。異言だけが自分自身の成長のために与えられるというのはおかしな話で、異言だって、やっぱりみなの益となるために与えられたはずです。

私も異言を語りますが、残念ながらその内容を自分で知ることはできません。ですから、あくまでも想像なのですが、おそらく異言による祈りの中心的な内容は、教会全体や他の人のための取りなしだろうと私は考えています。それならば、異言もまたみなの益のためということになりますから。

「異言は自分の徳を高める」というのは、おそらくパウロのコリント教会に対する皮肉的な表現でしょう。本来異言も教会の徳を高めるために与えられているのに、自分が他の人よりも徳がある(すなわち、霊的に成長した存在である)証拠にしようとしていると。

確かに、異言を語る人は口がもつれて、外からは恍惚状態になっているように見えますから(本人は意外と冷静なんですが)、一段と聖霊に満たされていて、いわゆる霊的な人のように見えなくもありません。しかし、それは間違いです。12章で学んだとおり、特定の賜物が与えられているからといって、その人が他の人よりも優れていることにも、霊的に満たされているということにもなりません。

愛の問題

パウロは、このようなコリント教会の混乱は、他者に対する愛が欠けているからだと指摘しています。集会の持ち方についても、賜物の用い方についても、服装についても、食事にしても、何にしても、他の人の益になることを求めなければなりません。10章以前で取り扱った教会のファンクラブ化の問題にしても、偶像に捧げた肉の問題にしても、男女の関係にしても、神さまや他の人に対する愛を基準に考えるなら、間違った答えは導き出されません。

愛があれば、異言であれ、預言であれ、他の人の成長や伝道に役立つことを考えて用いるでしょう。解き明かす人がいない場合には、異言を公の場で語ることは控えるでしょうし、ましてや集会中に多くの人が一斉に異言を語るなどという行為はできないはずです。

2.感情・知性・意志のバランス

感情や行動はコントロールできる

さて、パウロは、無秩序に異言や預言をしようする人たちが「聖霊に満たされて感謝や感動にあふれていたら、行動をコントロールできない」と反論するのを見越して、32節で「預言者たちの霊は預言者たちに服従するものなのです」と述べています。

これはどういうことでしょう。どんなに聖霊さまに満たされていても、それで感情がコントロールできなくなって、愛が実践できなくなったり、秩序が崩壊したりするということはあり得ない。大きな喜びや感動に満たされながらも、一方で冷静に他の人への影響を計算し、配慮することができるはずだ。だから、聖霊さまに満たされれば満たされるほど、ますます愛にあふれ、秩序ある行動を取りなさい。パウロが言いたいことはそういうことです。

信仰の感情面、体験面を無視することはできませんし、そんなことは間違っています。その一方で、感情や体験を強調するあまり、聖書が何を教えているかという知的な面や、聖書の教えを実際に行なうという実践面を軽視するのも間違っています。

感情を無視するのは良くない

20世紀になったばかりのころ、ある国で、聖霊さまの満たしを強調する牧師が現れました。人は聖霊さまによらなければイエスさまを信じてクリスチャンになることができない。それと同様に、聖霊さまの助けなしには、聖められたり、喜びや感動や力に満ちたクリスチャン生活を送ったりできない。だから、一瞬一瞬聖霊さまに満たされるよう祈り求めていこう。彼はそう教えました。すると、多くの人たちが救われ、また転入して、その教会がどんどん成長していきました。

この事態に、同じ地域の他の教会の牧師たちが脅威を感じ、この教会を批判するようになりました。他の牧師たちは言いました。「あなたは、自分たちだけが正しくて、私たちは聖書に反しているとでも言いたいのか?」 するとその教会の牧師はこう答えました。「とんでもない。ここにいるすべての皆さんの教会は、聖書に基づく正統的な信仰を持った教会です。私たちが主張しているのは、みんな同じ栄養を含んだ肉を食べているけれど、どうせ食べるなら、フライパンで熱せられてジュージューと音がする肉を食べたいということです」。私はこの例話が大好きです。

聖書が何を教えているか。それを客観的・体系的に学び、教育することは大切なことです。しかし、「神さまは愛であり、全知全能なんだって、ふーん」という単なる知的な満足で終わってはもったいないです。神さまの愛を感じて感動したり、奇跡を体験したり、生活が具体的に変化したりというような体験もまた味わいたいですね。

聖霊さまは全人格を満たされる

しかし、感情ばかりを追い求めて、聖書に何が書いてあるかという知的な面を軽視すると、愛されている感じがしなくなったとたんに不安になってしまいます。聖書は、あなたがどう感じようと、神さまがあなたを愛しておられることは確かだと教えているのですが。

また、体験ばかりを追い求めていると、祈ったとおりに奇跡が起こらず、いつまでたっても八方ふさがりの状況が続くと、がっかりして心が萎えたしまうでしょう。しかし、神さまは必ず逃れの道を用意してくださるから、忍耐して待ち続けることが大事だと聖書は教えています。

また、聖霊さまの働きを感覚でだけ捉えようとすると、誰か(特に、憎たらしいことをしたり言ったりする人)に対する愛の気持ちが盛り上がらないと、その人に愛の行ないができなくなるでしょう。しかし、私たちの感覚がどうであれ、聖霊さまは私たちに愛を与えてくださいます(愛は聖霊さまが結ばせてくださる「御霊の実」です。ガラテヤ5:22)。それを信じて、たとえ感情が伴わなくても、愛の行動をしなければなりません。

要するに、バランスの問題です。感情的な体験や奇跡も大いに求めましょう。この教会が、ますます「おいしい肉」が食べられる教会となりますように! 同時に、知性も磨き、聖書が何を教えているかをしっかり学びましょう。さらに、学んだことを学びっぱなしにしないで、実際の生活に実践する地道な努力も大切にしましょう。

まとめ

感情においても、知性においても、行動においても、聖霊さまに大いに助けていただき、成長しましょう。

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