保証としての復活

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コリント人への第一の手紙15章1〜28節

(2014.7.13)

参考資料

1節の「福音」とは「良い知らせ」という意味です。

5節のケパは使徒ペテロのこと。7節のヤコブはイエスさまの弟で、「ヤコブの手紙」の記者です。

20節の「初穂」は、その年その畑で取れる最初の収穫物のこと。初穂が良ければ、その年の収穫物全体が良いことが分かります。イスラエルでは、初穂を神さまにささげることで、生活のすべてを神さまが支えてくださっていることへの感謝を表しました。

聖書からのメッセージ

イントロ

今回の箇所には、私たちが救われるために最低限信じなければならないことが書かれています。しっかりと復習しましょう。

1.信じるべき福音

信じるべき内容

私たちが、これを信じることで救われると言われている「福音」の内容は、3-8節(特に3-4節)です。ここには大切な2つの要素が含まれています。
  1. キリストが、私たちの罪のために死んで葬られたこと(十字架)
  2. キリストが、3日目によみがえられたこと(復活)

神・罪・救い

キャンパス・クルセード・フォー・クライストという伝道団体が、人を救いに導くために用いる「豊かな人生のための四つの法則」という小冊子を発行しています。

第1の法則は、「神は、あなたを愛しておられ、あなたの人生にすばらしい計画をお持ちです」というものです。この世界は聖書の神さまによって造られ、あなたもまた神さまの作品です。神さまはあなたを大切に思い、本当の幸せを味わって欲しいと願っておられます。

では、多くの人はどうしてその幸せを味わうことができないでいるのでしょうか。第2の法則は「人は罪を犯して、神から離れてしまったので、神の愛と計画とを知ることも、体験することもできないのです」

人類の先祖であるアダムは、「これだけは食べてはいけない。食べると死ぬ」と神さまに禁じられていた木の実を食べました。神さまを無視し、神さまに逆らって、自分の欲望や考えを神さまのみこころ(意志、願い、計画)よりも優先させてしまったのです。この神さまを無視した生き方、「自分の好きなことを、好きな時に、好きなようにやりたい」という自己中心的な生き方を、聖書は「罪」と言います。そして、罪の性質は、アダムから生まれた後の人類にも代々受け継がれ、私やあなたの中にもあります(21-22節)。

罪は神さまを無視するという大変な失礼ですから、神さまとの関係がおかしくなりました。あらゆる祝福の源である神さまから離れているのですから、本来人類に与えられている幸せを味わうことができないのも当然です。

人間は、哲学、宗教、良い行ない、科学、お金儲けなど、様々な方法で幸せになろうとしました。しかし、どれもうまくいきません。それは、幸せの源である神さまとの関係が断絶してしまっているからです。そして、人間の努力によっては、その溝を埋めることはできません。

それどころか、神さまの怒りを買い、ただちに滅ぼされても仕方がない危険な状況です。

では、私たち人間にもう希望は残されていないのでしょうか。第3の法則は、「イエス・キリストだけが、人の罪を解決するお方です。あなたもイエス・キリストによつて、神の愛と計画とを知り体験することができます」

イエスさまは、私たちの身代わりとして、罪の罰を受けて死んでくださいました。そして、3日目によみがえり、今は私たちの罪が赦され、天の父なる神さまとの関係が回復し、本当の幸せを手にすることができるようにと、父なる神さまに取りなしてくださっています。

そして、第4の法則は、「私たちは、イエス・キリストを罪からの救い主、主として受け入れる必要があります。その時、神の愛と計画とを知り体験することかできます」。私たちは、第1コリントでパウロが語っているように、イエスさまの十字架と復活によって自分の罪が赦されたと信じることによって救われます。

あなたが、まだ教会の集会に一度も出席したことがなくても、まだ聖書のことがよく分からなくても、クリスチャンとして生きていく自信がなくても、今イエスさまの十字架と復活を信じるだけで、あなたの罪はすべて赦され、神さまの子どもにしていただけます。そして、神さまは子どもであるあなたを守り、導き、永遠の祝福を保証してくださいます。

救いをいただくための祈り

今、祈りましょう。「天の父なる神さま。これまで私はあなたを無視し、自分勝手に生きてきました。これはあなたに対する罪だったと認めます。そして、その罪がイエスさまの十字架によって完全に赦されたと信じます。これからは、復活して今も生きておられるイエスさまに従って生きていきます。どうかお助けください。イエスさまのお名前によって祈ります。アーメン」。

アーメンとは「その通り」「真実です」という意味です。もしあなたがそう祈ることができるなら、あなたは今日からクリスチャン、神さまの息子/娘です。

また、かつてイエスさまを信じる祈りをなさった方は、その後どんなに失敗したとしても、決して救いが取り消されることがありません。神さまのくださる救いは完全だからです。

2.復活による保証

死者の復活を信じない人がいる

さて、パウロは救いをもたらす福音について復習した後、死者の復活を信じない人がいることに言及しています(12節)。コリントはギリシャにある町ですが、ギリシャ哲学の影響を受けている人の中には、クリスチャンでも肉体の復活を受け入れない人がいました。
ギリシャ哲学では、霊と肉体(物質)を分けて考え、霊は善で肉体は悪だと考えていました(霊肉二元論)。そして、死とは「悪である肉体に囚われて苦しんでいた霊が解放されること」です。せっかく死んで肉体から解放されたのに、わざわざ肉体を取り戻す死者の復活など、ギリシャ哲学的にはナンセンスだったわけです。
死者の復活がないなら、イエスさまの復活もなかったことになるでしょう。そしてパウロは、もしもイエスさまが復活しなかったとしたら、大変なことになると語っています。
  • 「福音を信じるだけで救われますよ」という宣教が、実質のないものになります(14節)。
  • なぜなら、伝道者たちは、嘘を教えていたということになりますから(15節)、その教え全体が信用できないものになります。
  • ということは、「イエスさまが身代わりに死んだので、私たちの罪が赦された」という教えも信用できなくなります。そして、私たちは今も罪が赦されないままだということになります(17節)。
  • そうしたら、死んでしまった人たちは、罪が赦されていないわけですから、神さまにさばかれ、肉体だけでなく魂まで滅ぼされてしまうでしょう(18節)。
もしも復活がないのなら、私たちクリスチャンの希望、すなわち罪の赦しとか、神さまの守りや導きとか、聖霊による聖めとか、奇跡に満ちた人生とか、永遠のいのちとかいう希望は、全くの嘘っぱちということになります。だから、パウロはこう宣言します。「もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です」(19節)。

これは逆説的な言い方です。パウロは復活を確かなものだと言っているのです。何千年も前に起こった出来事でなく、ほんの20年ほど前に起こった出来事で(この手紙が書かれたのは紀元55年で、イエスさまの復活は33年という説が有力)、たくさんの目撃者がいて、今も多くが生き残っているから、復活が誰かの作り話ならすぐに分かるはずです(5-8節)。

初穂としての復活

パウロは、イエスさまは私たち信じる者たちの初穂として復活なさったと語りました(20節)。初穂は、後に続く大収穫を保証するものです。イエスさまが復活なさったので、私たち信じる者たちは、たとえ死んでもよみがえり、イエスさまが治める神の国に入ることができ、永遠の祝福を味わうことができると期待することができます。

あなたには救いの確信がありますか? 神さまがあなたを確かに愛しておられ、必ず幸せにしてくださるから、何があっても大丈夫だと確信していますか?

クリスチャンの信じる救いは、神さまに愛されている感じがするとかしないとかという、あやふやな感覚に基づくものではありません。十字架と復活という歴史的な出来事に基づいています。

もしも、イエスさまが復活しなかったら、私たちの救いは不確かなものとなります。しかし、イエスさまは確かに復活なさいました。ですから、私たちの救いは確かです。

まとめ

十字架と復活が確かに起こったことだということを確認し、改めて何があっても大丈夫という信仰を強めましょう。

あなた自身への適用のためのディスカッションガイド


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