死は勝利にのまれた

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コリント人への第一の手紙15章35〜58節

(2014.7.27)

参考資料

40節の「天上のからだ」は、太陽や星などの天体のこと。ちなみに、旧約聖書の預言では、星は天使を象徴しています。

45節の「最後のアダム」はキリストのこと。

47節の「第一の人」はアダムで、「第二の人」がキリストのこと。

50節の「奥義」は、旧約時代には啓示されていなかった真理で、新約時代になって明らかになったもの。

54節はイザヤ25:8、55節はホセア13:14の引用。

聖書からのメッセージ

イントロ

35節にこの段落のテーマが記されています。それは、「死者はどのようにして復活するのか、そして、どのような体で復活するのか」ということです。このテーマが、今の私たちにどんな意味があるというのでしょう。

1.復活の体

新しい体

36-38節は、種まきのたとえを使って、復活の体について解説しています。種をまくと種は無くなりますが、芽が出て新しい姿になります。復活した後に与えられる体は、死ぬ前と同じ体ではありません。

39-44節では、いろいろな肉体があることを示しています。一言で肉体と言っても、人と獣と鳥と魚の肉体は異なります。また、地上の体と天上の体も異なります。ですから、死ぬ前の血肉の体と、復活した後に与えられる御霊の体は異なります。

45-49節は、アダムとキリストの対比です。我々人間は、最初の人であるアダムから血肉の体を受け継ぎました。そして、キリストは御霊の体、すなわち復活の体を我々信じる者たちに与えてくださいます。

今のこの体も複雑にできており、不思議に満ちています。しかし、復活した時に与えられる体は、それよりもはるかにすばらしい、栄光に満ちたものです。イエスさまが復活なさった時、弟子たちは最初それがイエスさまだとは分かりませんでした(ルカ24:16)。復活のイエスさまは、以前のイエスさまと同じではない、しかし、よく見るとイエスさまらしさはちゃんと残っている、そんな体になられたのでしょう。

復活後に私に与えられる体も、私らしさを残しながらも、きっと近視も乱視も解消され、肩こりや逆流性食道炎に悩まされることもなく、メタボ体型でもないことでしょう。どんな姿に変えられるのか楽しみです。あなたはいかがですか?

携挙の奥義

50-53節では、奥義が語られます。世の終わりになると、終わりのラッパと共に、死んだクリスチャンが復活します。それは以前のような朽ちる体ではなく、二度と死ぬことのない朽ちない体です。

これは「携挙」と呼ばれる出来事の一部です。世の終わりの時、終末の時代は「携挙」から始まります。父なる神さまが定めたある時、地上に生きているクリスチャンが、突然空中に引き上げられ、イエスさまによって天に迎え入れられることです。そして、それに先だって、すでに死んでいるクリスチャンもよみがえり、生きているクリスチャンと一緒に引き上げられます。これが携挙です。

「眠った人々のことについては、兄弟たち、あなたがたに知らないでいてもらいたくありません。あなたがたが他の望みのない人々のように悲しみに沈むことのないためです。私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。 こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい」(第1テサロニケ4:13-18)

2.死に対する勝利

死と罪と律法

54-57節は、復活によって死が打ち破られることを、旧約聖書を引用しながら語ります。

特に56節の「死のとげは罪であり」というのは、死が人の罪によってこの世にもたらされ、人を苦しめ、そして滅ぼすようになったということを指しています。そして、「罪の力は律法です」というのは、律法によって禁じられると、人はますます罪を犯したくなるということを指しています。

「それでは、どういうことになりますか。律法は罪なのでしょうか。絶対にそんなことはありません。ただ、律法によらないでは、私は罪を知ることがなかったでしょう。律法が、「むさぼってはならない」と言わなかったら、私はむさぼりを知らなかったでしょう。しかし、罪はこの戒めによって機会を捕らえ、私のうちにあらゆるむさぼりを引き起こしました。律法がなければ、罪は死んだものです」(ローマ7:7-8)

キリストによる勝利

しかし、イエスさまの十字架と復活によって、律法の戒めによってさばかれることがなくなり、罪はすべて赦されました。そこで、イエスさまを信じて救われた人に対して、死はもはや滅びの力を持っていません。

主のわざに励め

そして、58節がまとめです。私たちには死後の命が約束されており、地上での行動が評価される時が来るのだから、「主のわざ」を、たとえ苦労が伴うとしても続けていこうと勧めています。

主のわざとは何でしょうか。それはイエス・キリストが喜ばれる行ないや態度です。

たとえば人を愛することは、イエスさまの喜ばれることです。聖書が教える愛(13:4-8)は、単なる「好き」という感情ではありません。それは相手を大切にしようと意識し、それを具体的な行動で表すことです。今あなたは、誰に対して、具体的に何をするように神さまから促されていると思いますか?

たとえば人を救いに導くことは、イエスさまの喜ばれることです。最後の信仰告白まで導くような伝道方法ができないとしても、誰かがイエスさまを信じる方向に、ほんのちょっとでも前進できるよう、あなたにできることを実践しましょう。

たとえば誠実な仕事をすることは、一時的なもうけを出すために不正を行なうことよりもはるかに優れた主のわざです。

たとえばすでに主のわざを行なっている人を助けるために、自分の体力や財産や時間をささげることはイエスさまの喜ばれる主のわざです。

まとめ

新しい体での復活を楽しみにしながら、今なすべきことを行ないましょう。

あなた自身への適用のためのディスカッションガイド


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