教会で重んじられる人

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コリント人への第一の手紙16章1〜24節

(2014.8.3)

参考資料

1節のガラテヤは、現在のトルコ中央部。

1節の「献金」は、教会の活動費・運営費に充てるためではなく、「聖徒」たちのため、すなわち激しい迫害のために貧しい暮らしを余儀なくされていた、エルサレムのクリスチャンたちへの援助のために集められました(ローマ15:26、第2コリント8-9章)。それは善意の援助であると共に、異邦人クリスチャンの、ユダヤ人クリスチャンに対する義務であるとパウロは述べています(ローマ15:27)。

5節の「マケドニヤ」はギリシャの北半分。南半分は「アカヤ」(15節)。

8節「五旬節」は、大麦の収穫感謝祭である「初穂の祭り」の50日目に行なわれる祭り。元々は小麦の収穫感謝祭ですが、キリスト教会では、聖霊がエルサレムの弟子たちに初めて降ったのを記念する日として祝われています。

15節の「初穂」は、最初に救われた人のこと。

19節の「アジヤ」は今のトルコ。この手紙が書かれたのもアジヤのエペソ(8節)。

聖書からのメッセージ

イントロ

この手紙の最後の部分です。エルサレムの貧しいクリスチャンに対する義援金に関する連絡と、これからのパウロの予定について述べた後、最後のあいさつが述べられています。

あいさつの部分では、何人かのクリスチャンの名前が挙げられていますが、特に尊敬し見習うようにと勧められているのがテモテとステパナ一家です。

ここから、神さまが評価なさるクリスチャン像について学びましょう。私たちは、どんなクリスチャンを目指せば良いのでしょうか。

1.テモテ

テモテとはどういう人物か

テモテは、小アジアにあるルステラ出身で、父はギリシャ人、母はユダヤ人でした。祖母のロイスと母のユニケからキリスト信仰を受け継ぎました。パウロの第2回伝道旅行に同行して、以来パウロの働きを助け続けました。

伝承によれば、テモテは紀元65年にエペソの主任牧師となり、15年後にエペソで殉教したと言われています。

だれも彼を軽んじてはいけません

パウロは、コリント教会の人たちに、テモテを軽んじてはいけないと戒めています(11節)。すなわち、彼を尊敬し、彼を見習い、彼の指導に謙遜に耳を傾け、従いなさいと。

それは、テモテが年若く、おそらくまだ20代だったからでしょう。パウロがテモテに送った手紙の中にも、それを心配する言葉が載っています。「年が若いからといって、だれにも軽く見られないようにしなさい。かえって、ことばにも、態度にも、愛にも、信仰にも、純潔にも信者の模範になりなさい」(第1テモテ4:12)

確かに、年が若いということは、経験に欠けるということです。世の中の価値観では、あるいは年齢は重要な判断基準なのかも知れません。しかし、クリスチャンの評価基準は年齢ではありません。

パウロはテモテについて、「彼も、私と同じように、主のみわざに励んでいる」と語っています(10節)。神さまが評価しておられるのは、テモテの年齢ではなく、人生経験でもなく、彼がイエスさまを愛し、イエスさまの思いを汲み取り、イエスさまが願う行ないを忠実に行なっているという点でした。

2.ステパナ一家

アカヤの初穂

15節で「ステパナの家族は、アカヤの初穂」と言われています。ステパナ一家は、パウロがアカヤ州(ギリシャの南半分)に来て、最初に救われた人たちでした。細かいことを言うと、パウロがコリントに来る前、同じくアカヤ州に属するアテネに立ち寄った時、何人か救われた人がいます(使徒17:34)。ですから、正確には「コリントの初穂」という意味でしょう。

パウロは、コリントの他の人たちには洗礼を授けませんでしたが、最初に救われた人たち、すなわちクリスポとガイオ、そしてソステネとその家族には直接洗礼を授けました(1:14,16)。

ステパナの働き

ステパナとその家族は、「聖徒たちのために熱心に奉仕してくれました」と語られています(15節)。「聖徒」は1節にも出てきますが、エルサレム教会のユダヤ人クリスチャンたちのことです。彼らは、大変な迫害の中にあり、仕事ができずに生活が困窮する人たちもたくさんいました。福音書に出てくるニコデモという人は、イエスさまが亡くなった時に高価な没薬とアロエを持ってくるほど裕福でした。しかし、伝承によるとクリスチャンになって殉教しますが、その直前には財産がまったく残っていなかったそうです。

パウロは、アジヤ州(今のトルコ)やマケドニヤ州(ギリシャの北半分)の諸教会でも、エルサレム教会の援助のために献金を募りました。1-3節で触れられているように、コリントでも献金するよう勧めています。おそらくステパナは、この献金活動をコリント教会内に熱心に広めようとしてきたし、もしかしたらそれ以前から個人的にユダヤ人クリスチャンたちを支援をしてきたのかも知れません。

そして、ステパナは、ポルトナトやアカイコと共にエペソにいるパウロの元を訪問しました。コリント教会の中にあった問題について報告したり、信仰生活に関する質問状を届けたりしたのでしょう。おそらく、ステパナたちがコリントに戻る際、この第一の手紙を携えていったのでしょう。

以前学んだように、コリント教会はパウロ派・アポロ派・ペテロ派・キリスト派などに分裂して争っていました(1:11-12)。しかし、ステパナはそのような分派争いとは無縁でした。

このような人たちに服従しなさい

パウロはステパナ一家の名を挙げ、「あなた方は、このような人たちに、また、ともに働き、労しているすべての人たちに服従しなさい」と勧めています(16節)

ステパナは、コリント教会のクリスチャン第一号でしたが、神さまはそこを評価しておられるのではありません。ステパナが、「ともに働き、労している」からです。すなわち、テモテに対する評価と同じです。

3.あなた

量ではなく質

神さまが評価しているのは、どれだけ年を重ねたか、何年クリスチャンをやっているかというという「量」ではなく、毎日をどのように過ごしているかという「質」です。

テモテやステパナは、熱心にイエスさまに仕えていました。いつもイエスさまのみこころがどこにあるのかを知ろうとし、それに忠実に従おうとしました。

目立つ働きをするから優れているというわけでもありません。12章で聖霊の賜物について学びました。賜物は具体的な奉仕の働きと結びついています。そして、目立つ働きは放っておいても評価されるのだから、むしろ目立たない働きこそ積極的に評価されなければならないとパウロは語っています(12:22-24)。 この話をお読みください

大切なのは、「自分の好きなことを、好きな時に、好きなようにやりたい」という自己中心的な思いを離れて、イエスさまが望まれることを、望まれる時に、望まれる通りにやろう」と思い、しかもそれを具体的な行動で表すことです。

いっさいのことを愛をもって行なう

特にコリント人への第一の手紙が強調しているのは、愛です。たとえ、どんなに熱心に伝道しても、それが教会の勢力を拡大し、お金を得るためであれば意味がありません。どんなに困っている人たちを助けても、名声を得るためであれば意味がありません。

第1にイエスさまへの愛。パウロは最後の自筆のあいさつで、「主を愛さない者はだれでも、のろわれよ」とさえ言っています。

第2に他の人たちへの愛。場合によっては、厳しいことを言ったり、手助けをしなかったりすることが、相手のためになることもあります。本当にその人のためになるとはどういうことだろうか、本当にその人のためになるには何をしなければならないか(あるいはしてはいけないか)を考えて行動しましょう。

まとめ

あなたは、イエスさまとどのように交わり、そのみこころを知ろうとしてきましたか? そして、そのみこころを実行するのに、どのような奮闘努力をしておられますか? イエスさまはあなたのその努力や戦いをご存じです。そして、大いに評価してくださいますし、やがて大いに報いてくださいます。

あなた自身への適用のためのディスカッションガイド


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