赦しと慰め

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コリント人への第二の手紙2章5〜11節

(2014.8.27)

参考資料

9節の「手紙」は、4節で言われている「涙ながらに書かれた手紙」のことで、第一の手紙が書かれた後にパウロが書きました。罪を悔い改めようとしない人に対し、教会が正しい対処をするように勧める、非常に厳しい内容だったようです。この手紙は現存していません。

聖書からのメッセージ

イントロ

今回は、他の人が神さまの喜ばれない生き方をしている場合の対処について学びます。まずは、パウロとコリント教会のケースを見ていきましょう。

1.コリント教会への指導

コリント教会の問題とパウロの指導

前回も学んだ通り、コリント教会には様々な問題がありました。パウロが第一の手紙を書いて指導した結果、いくつかの問題については改善が見られたようです。しかし、ある罪を継続的に犯しながら、それを悔い改めようとしない人がいました。

その罪がどういうものかは分かりません。もしかしたら、第1コリント5章に出てくる、父の後妻を自分の妻にし、教会外の人さえ驚かせた人のことかも知れません。

罪を犯して悔い改めようとしない人に対して、教会がどのように対処すべきかについては、イエスさまが教えてくださっています。

「また、もし、あなたの兄弟が罪を犯したなら、行って、ふたりだけのところで責めなさい。もし聞き入れたら、あなたは兄弟を得たのです。もし聞き入れないなら、ほかにひとりかふたりをいっしょに連れて行きなさい。ふたりか三人の証人の口によって、すべての事実が確認されるためです。それでもなお、言うことを聞き入れようとしないなら、教会に告げなさい。教会の言うことさえも聞こうとしないなら、彼を異邦人か取税人のように扱いなさい」(マタイ18:15-17)
  • まずは一対一でその人を説得します(「責める」というのは、単なる非難ではなく、説得して間違った行動を改めさせるという意味です)。
  • それでもだめなら、2,3人で説得します。
  • それでもだめなら教会に対処を委ねます。実際には、教会の牧師や役員がその人を説得することになるでしょう。
  • それでもだめなら、除名です(当時のユダヤ人は、異邦人や取税人と親しく交わることを避けました)。
しかし、こういうやり方は決して楽しいものではありません。特に、最終的にその人が除名などということになれば、その人も教会に残る人たちも、みんな悲しい思いをします。だからでしょう、コリント教会はこの人の罪について見て見ぬふりをしました。すなわち、何も対処しまなかったのです。

そこで、パウロは、コリントを電撃訪問したり、その後も涙ながらに手紙を書いたり、同労者テトスを遣わしたりして、イエスさまの教えに従って、この問題に対処するよう訴えました。

コリント教会の悔い改めとその結果

その結果、ようやくコリント教会は不作為を悔い改め、パウロの指導に従いました。すなわち、イエスさまが教えた通りの手順を踏んで説得を試み、それでも最後まで悔い改めようとしかったその人を、教会の交わりから除名したのです。その結果、その人は深い悲しみを味わい、処分を断行した教会の人たちも深い悲しみを味わいました。

しかし、パウロは6節で、「その人にとっては、すでに多数の人から受けたあの処罰で十分ですから」と述べています。除名された人と教会の人たちが味わった悲しみは無駄になりませんでした。その人が悔い改めたのです。

次のステップ

ですから、パウロはもうその人を赦し、慰めてやりなさいと勧めます。すなわち、除名処分を解除して、その人を教会の交わりに復帰させなさいということです。

なぜなら、せっかくその人が悔い改めたのに、いつまでも赦されないと悲しみのあまりつぶれてしまって、信仰そのものを失ってしまうかも知れないからです(7節)。

パウロは、その人に対する愛を再確認するように命じます(8節)。パウロがコリント教会の人たちに厳しいことを言ったのは、彼らを軽蔑しているからでも、支配しようとしているからでも、滅ぼそうとしているからでもありません。パウロは、コリント教会の人たちを愛していました。

「(涙ながらに手紙を書いたのは)、あなた方を悲しませるためではなく、私があなた方に対して抱いている、あふれるばかりの愛を知っていただきたいからでした」(4節)

罪を悔い改めようとしない人に対して、コリント教会に厳しい対処をするようパウロが命じたのも、悔い改めたその人を赦してやるように勧めたのも、その人を愛するが故です。その人がイエスさまとつながり続け、イエスさまが約束しておられる祝福を味わうことができるようにするためです。

2.罪への対処

サタンの策略

パウロは、悔い改めた人を教会の交わりに迎え入れるように勧めた後、11節で「これは、私たちがサタンに欺かれないためです。私たちはサタンの策略を知らないわけではありません」と述べています。

サタンは基本的に嘘つきです(ヨハネ8:44)。罪に関しても、私たちを上手に欺こうとします。
  • 罪を犯す前は、その行為がいかにすばらしく、魅力的かという嘘を吹き込みます。
  • 罪を犯してしまうと、それはひどい行ないだから神さまに決して赦されないとか、地獄に落とされることはないにしても、もう大した祝福はいただけないとかいう嘘を吹き込みます。
これらはどちらもサタンの嘘です。

確かに神さまは罪を嫌われます。イエスさまが十字架にかかって死んで償わなければならないほど、罪は神さまを悲しませます。神さまとの関係をおかしくしてしまいます。そして、罪を犯すと、周りの人たちや社会や地球環境を傷つけ、自分自身を粗末にしてしまいます。

しかし、イエスさまが私たちの身代わりに死んで復活してくださったことにより、私たちの罪は完全に赦されました。罪を認めて悔い改めるなら、神さまとの関係はただちに回復します。

他の人に関する対処

他の人への対処は、イエスさまが教えてくださった、上述の方法に則ります。ただし、いつも心にとめておくべきことがあります。それは、そのような対処をする目的です。目的は、その人が罪を認めて悔い改め、神さまの喜ばれる生き方に戻ること、そしてその人が神さまと共に喜びに満ちた生活を回復することです。責めること自体、交わりから切り離すことそれ自体が目的なのではありません。

ですから、陰口を叩くとか、いきなりみんなで吊し上げるとかいうのは最低の方法だということですね。

そして、イエスさまがマタイの福音書で、罪を犯した人への対処法を教えてくださった直後、ペテロが質問しました。罪を犯して悔い改めた人を何度まで赦したらいいですかと。イエスさまの答えは、「七を七十倍するまで」です。すなわち、数えないで赦し続けなさいということです。私たちも、誰かが自分の過ちを悔い改めたなら、いつまでも責め続けることをせず、その人を赦しましょう。

さらに続けてたとえ話が語られます。ある人が主人に1万タラント(今のお金で数千億円)もの負債を抱えていて、それをすべて帳消しにしてもらった人の話です。その人は、赦された帰り道、100デナリ(数十万円)貸していた友だちを見つけ、その人が返せないというので牢屋に入れてしまいました。それを知った主人は怒り、友だちを赦さなかった人も牢屋に入れました。イエスさまは、あなた方は心から他の人のことを赦しなさいとおっしゃいました。

私たちは、みんな罪人です。不完全です。どんなにがんばっても、失敗したり、神さまの喜ばれないことをしたりしてしまいます。無意識に、あるいは意識的に。しかし、そんな私たちのことを、神さまは愛してくださっています。イエスさまは、喜んで身代わりになってくださいました。

だから、上から目線で責めるのではなく、毎日罪と闘っている戦友として、励まし合うような思いで他の人に関わっていく必要がありますね。

時には、忍耐強く、その人の成長を待つことも必要でしょう。時には、はっきりと「それは間違っているよ」と訴えかける必要があるでしょう。大切なことは、その人が神さまとの関係を深めていくことです。そのためにあなたにできることは何でしょうか? あるいは、そのために「しない」でいてあげるべきことは何でしょうか?

私たちは、イエスさまが罪に対する対処を語られた目的を見失わないようにしましょう。

自分自身に関する対処

そして、人のことばかりでなく、まず自分自身が神さまとしっかりつながっていることが大切です。何が神さまのみこころにかなっているかを、いつも注意深く判断しましょう。

ただし、「これは罪だろうか」「これは神さまが嫌われる行ないだろうか」と考えてばかりだと、クリスチャン生活が窮屈で苦しいものになってしまいます。、

四半世紀以上前から、ネット上でイエスさまの話をしているせいか、全国各地の方々から質問や相談のメールをいただくことがあります。その中で結構多いのが、「これは罪でしょうか?」という質問です。酒を飲むこと、たばこを吸うこと、高校生が誰かとおつきあいをすること、保険に加入すること、競馬を見に行くこと、格闘技をすること……などなどなど。これらは罪なのでしょうか、と。

そこで、いつもお答えするのは、「何が神さまを悲しませるかを考え、日を過ごすよりも、何が神さまを喜ばせるかを考えた方がいいと思いますよ」です。

もしかしたらあなたも、罪のことばかり考えていませんでしたか? イエスさまは、私たちの罪を責めるために来られたのではなく、神さまとの温かい親子関係を回復させるために来られたのだということを忘れないでください。あなたのことを大好きな神さまと、もっともっといい関係でいられるために、今あなたがするといいこと、やめるといいことは何でしょうか?

まとめ

神さまに喜ばれる生き方を常に選択しましょう。そして、罪に気付いたなら、それが自分自身であれ、他の人であれ、速やかに悔い改めて正しい生き方に戻れるようにしましょう。

あなた自身への適用のためのディスカッションガイド


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