天から与えられる住まい

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コリント人への第二の手紙5章1〜10節

(2014.9.14)

参考資料

5節の「保証」は手付金のこと。高額な売買契約が結ばれる際、買い手が代金の一部を手付金として渡します。これは、確かに契約を履行しますよということを保証します。
5節の文脈では、将来神さまが私たちに栄光の体が与えてくださるという約束をくださいましたが、その契約が確かなものだということを示すために、聖霊さまが来られ、私たちの内に住んでくださったということです。

聖書からのメッセージ

イントロ

来月、両親の死後のことについて話し合うため、帰省することになりました。また、最近会員のお父さまが亡くなり、死について考えることが多くなりました。死について考えるということは、今をいかに生きるかということを考えることでもあります。クリスチャンは死後の世界について何を信じており、それ故に今をどのように生きようとしているのでしょうか。

1.栄光の体への復活

地上の幕屋と天にある永遠の家

1-4節では、地上の幕屋と天にある永遠の家が対比されています。これは建物のことではなく、体を指しています。

地上の幕屋とは、今の私たちの肉体です。先週の学びでは「外なる人」と呼ばれ、「衰える」(滅びる、完全に腐る、徹底的に破壊される)と言われていました。一方、天にある永遠の家とは、私たちに将来与えられる栄光の体です。

栄光の体

世の終わりに与えられる栄光の体は、地上の体と違って、老化したり、病気になったり、死んだりしません。そして、今回特に強調したいことは、栄光の体は罪から完全に解放されているということです。

今の私たちは、イエス・キリストを信じたならば、罪はすべて赦されています。罪を理由として神さまから切り離され、地獄(ゲヘナ)の炎で永遠に苦しめられるようなことは決してありません。

しかし、赦しは罪の罰から解放されるだけで、罪の性質そのものは私たちの内側に残っています。私たちの中には、たとえ神さまに逆らってでも、自分勝手に生きていきたいという罪の性質があります。だから、クリスチャンになっても罪を犯して失敗することがあるのです。「分かっちゃいるのにやめられない」「分かっているのにできない」などということが起こるのです。

しかし、世の終わりに与えられる栄光の体には、罪の性質はかけらほども残されていません。栄光の体が与えられたなら、私たちはもう罪を犯すことがありません。パウロは、今回の箇所で、そのような状態を切望すると言っています。「私たちはこの幕屋にあってうめき、この天から与えられる住まいを着たいと望んでいます」(2節)

クリスチャンが死んだらどうなるか

さて、ここで、私たちクリスチャンが将来どうなるかを簡単に解説しておきます。この世の終わりが来る前に死んだとしたら、肉体は朽ち果てますが、霊は消滅してしまうことはありません。クリスチャンの霊は、死ぬとただちに神さまのいらっしゃる天に迎え入れられます。

ただし、この時点では肉体はなく、3節で言われているような「裸の状態」です。

そして、やがて世の終わりが来ます。その時、以下のようなことが起こります。
  1. 既に死んで天に入れられていたクリスチャンが復活して、永遠に滅びることのない、栄光の体が与えられます。
  2. その直後、まだ地上で生きていたクリスチャンたちも、古い地上の体が取り去られて、栄光の体が与えられます。
  3. 両者は一気に空中に引き上げられ、迎えに来られたイエスさまと出会い、天に迎え入れられます。
  4. 天に入れられたクリスチャンたちは、そこでイエスさまが地上に再臨される時を待ちます。待たされる期間は、短くても7年です(携挙が起こってから、どれくらい後に起こるか分かりませんが、大患難時代が7年間続きます)。
  5. 天に入れられたクリスチャンたちは、イエスさまの地上再臨の時に、一緒に地上に降りてきます。
  6. イエスさまが地上の悪を滅ぼして、神の国(千年王国)を建国なさいます。そして、旧約時代の信者たちや(彼らは、イエス・キリストを信じて救われたわけではありませんからクリスチャンとは呼べませんが、それぞれの時代に信仰によって救われました)、携挙の後に救われて殉教した人たちにも栄光の体が与えられ、天から地上に降りてきたクリスチャンと共に千年王国に迎え入れられます。
  7. 千年が終わると、今の天地は消え去り、新しい天と地が創造されます。信者はそこに迎え入れられて永遠に幸せに過ごします。
このようなことが起こる世の終わりはいつ来るのかということは、父なる神さまだけがご存じで、イエスさまでさえ知らないとおっしゃいました。「この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます」(マタイ24:35-36)。ですから、「○年○月」に世の終わりが来るなどという預言をする人がいたら、たとえ世界的に有名な牧師が言ったことであったとしても決して信じてはいけません。

しかし、世の終わりは、いつか必ず来ます。そして、今も神さまと共に歩む人生は幸せですが、さらにさらに幸せな第二の人生が私たちを待っています。

2.聖霊という保証

保証としての聖霊

パウロは5節で「私たちをこのことにかなう者としてくださった方は神です。神は、その保証として御霊を下さいました」と言いました。

この「保証」という言葉は手付金を意味する言葉です。高額な売買契約を結ぶ際、契約を必ず履行するということを保証するために、買い手が先に支払うお金、これが手付金です。

天の父なる神さまは、イエス・キリストを信じた私たちに、将来必ず栄光の体を与えると約束してくださいました。そして、その偉大な約束を保証する手付金として、私たちに聖霊を与えてくださいました。

聖霊さまは神の霊であり、私たちがイエス・キリストを信じた時、私たちの内側に来て住んでくださいました。

内住の聖霊の働き

私たちの内に来てくださった聖霊さまは、様々なことをしてくださいます。
  • 私たちの内側を造り変え、罪の力から少しずつ解放してくださいます。そして、以前できなかった良いことができるようになり、以前はやめられなかった罪深い行ないをやめられるようになっていきます。
  • 聖書を読む時、あるいは祈りの中で、神さまのみこころを示し、それによって人生を導いてくださいます。
  • 神さまと人々に愛をもって仕える奉仕の力や意欲を与えてくださいます。必要ならば、奇跡でさえも起こさせてくださいます。
  • 他の人にイエス・キリストを宣べ伝えて伝道する意欲や力を与えてくださいます。
  • 苦しみに会う時、慰めを与えてくださいます。そして、平安や喜びや感謝の思いを与えてくださいます。

信じたことが聖霊内住のしるし

しかし、ある人たちは「自分の内側に聖霊さまがいらっしゃるなんて実感できない」とおっしゃるかも知れません。しかし、聖書にこう書かれています。「聖霊によるのでなければ、だれも、『イエスは主です』と言うことはできません」(第1コリント12:3)

あなたがイエスさまを罪からの救い主と信じたのなら、あなたの内には必ず聖霊さまがいらっしゃり、あなたの内側で働きを始めておられるということです。

そして、聖霊さまはあなたに栄光の体が与えられることを保証してくださいます。あなたがイエスさまを信じておられるなら、あなたにはすばらしい第二の人生が待っています。

3.キリストのさばきの座

主に喜ばれること

パウロは今回の箇所のまとめとして、「だから、私たちの願いは、主に喜ばれることだ」と語っています(9節)。

イエスさまを信じる前は、私たちは自分が何を望み、どうすることが得かだけを考えて生きてきたでしょう。あるいは、他の人や世の中が自分に何を望んでいるかを読み取り、その願いを気にしながら生きてきたかも知れません。

しかし、聖書は、私たちがイエスさまに喜ばれる生き方を求め、それを実践するように勧めています。イエスさまは今ここで、私がどんな行動をすることを喜んでくださるだろうか、と。

イエスさまの嫌われる行動は何かと考え、それを避けることも良いことですが、ここで言われているのは、何がイエスさまを喜ばせるかを考えようということです。その方が、ずっと健康的で喜びにつながる考え方ですね。

なぜなら

聖書は、私たちがイエスさまに喜ばれる生き方をする理由も書いています。それは、私たちはやがて「キリストのさばきの座」に立たされて、そこで生きている間の行ないを評価されるからです。そして、その評価に応じて神の国で味わう祝福の度合いが決められます。神の国に入れられて永遠に祝福された人生を生きること自体は確定していますが、どれくらいの祝福をいただけるかが「キリストのさばきの座」で決まるということですね。

豊臣秀吉が宣教師に伝道されてこう言ったそうです。「もしキリストを信じたら、女遊びができなくなる。だから、死ぬぎりぎりまで好き勝手に生きて、死ぬ直前に信じて洗礼を受け、天国に行くことにする」。出典不明なので真偽は分かりませんが、少なくとも、聖書の教えに照らすなら、これは長期的に見れば非常に損する生き方です。

白い御座のさばきとは違う

誤解の無いように申し上げますが、ここで「キリストのさばき」と呼ばれている裁判は、黙示録20章に出てくる「白い御座のさばき」とは違います。

白い御座のさばきとは、神さまのくださる罪の赦しを受け取らなかった人たちについて、その有罪が確定し、地獄の苦しみの罰を宣告される裁判です。イエスさまを信じて赦され、救われたあなたは、白い御座のさばきに立たされること、すなわち永遠の刑罰を受けるようなことにはなりませんのでご安心を。

まとめ

この地上で人生が終わるわけではありません。そのことをいつも忘れないで、永遠に価値のある生き方、すなわちイエスさまが喜ばれる生き方が何かを考え、それを実践しましょう。

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