つり合わぬくびき

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コリント人への第二の手紙6章14〜18節

(2014.9.28)

参考資料

コリント教会の中には、パウロを何かにつけて批判する人たちがいました。今回の前の箇所(1-13節)で、パウロはその人たちに心を開いて欲しいと訴えています。しかし、問題を放置したままの和解はあり得ないから、それを改めるようにというのが、今回の箇所の内容です。

「くびき」(14節)は、横に並んだ2頭の牛の首をつなぐ横木で、鋤や車を引かせるために用いました。くびきにつながれた2頭の牛は、同じ方向に進みます。写真はこちらのサイトをどうぞ。

「ベリアル」(15節)は「悪い者」という意味です。ここではサタン(悪魔)のことを指しています。

聖書からのメッセージ

イントロ

「不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません」と書かれています。クリスチャンではない人が99%以上いるこの国で、この命令はどんな意味があるのでしょうか。

1.つり合わぬくびきとは

農機具としてのくびき

くびきとは牛に鋤や車を引かせるための道具です。2頭の牛を平行に並べ、首と首とを頑丈な横木でつないだものです。たとえばくびきに鋤をつないで引かせると、耕運機のように畑を耕すことができました。

本来はばらばらの方向に進んでもいい2頭の牛を、同じ方向に向かせ、同じ働きをさせるものがくびきです。二人三脚レースで足を縛るひもがありますが、くびきはそれと同じようなものです。

ところが、くびきでつながれた牛の片方が、激しく抵抗して別の方向に進もうとすれば、もう片方の牛は苦労しますし、農作業もはかどりません。二人三脚で、一人はゴールを目指しているのに、もう一人が客席のおいしそうなお弁当を目指して走ろうとすれば、ちっとも前に進まないのと同じです。これが、「つり合わぬくびき」ということです。

方向性を決めるもの

パウロは、このくびきを比喩として用いて、コリント教会の人たちに「不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません」と訴えかけています。

くびきは私たちの「方向性を決めるもの」です。私たちの生き方は、私たちの価値観にかかっています。その人が何を大切に思っているか、何を幸せととらえているか、何を人生のゴールと考えるかということが、毎日毎日、一瞬一瞬の言動に影響を与えます。

最近、ある県議会議員さんの号泣会見のおかげで、多くの議員さんたちの政務活動費の使い道が問題になっています。選挙の時にどんなに「市民の幸せのために」と演説をしていたとしても、政務活動のために支給されたお金を家族との温泉旅行に流用していたとしたら、その人の価値観がどの方向を向いているのかが丸分かりですね。

反聖書的価値観に影響されてはいけない

「不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません」という命令は、不信者の価値観、すなわち聖書的ではない価値観、罪の生き方に影響されてはいけないということです。

和菓子ばかりだった日本に本格的な西洋菓子を持ち込んだのは、明治32(1899)年に横浜で菓子工場を開業した、森永太一郎という人です。森永さんは、ある時小売店の組合から、上げ底にして欲しいと依頼されます。当時のお菓子はすべて上げ底にして利益を上げようとしていたのです。ところが、クリスチャンである森永さんは、お客さまをだまして利益を上げるようなことはできないと断ったため、誰も森永さんのお菓子を仕入れてくれなくなりました。

しかし、森永さんは「不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけない」生き方を貫きました。そんな誠実な生き方に共感した小売店主が現れるようになり、やがて森永さんの菓子は評判になっていきました。こうして誕生したのが日本を代表するお菓子メーカーである森永製菓です。

日本には、クリスチャンは1%もいないと言われています。周りはクリスチャンではない人たち、聖書的な価値観で生きていない人たちがたくさんいるということです。何も考えずに生活していると、いつの間にかこの世の価値観に影響され、罪を犯してしまうかも知れません。パウロは、コリント教会の人たちだけでなく、この私やあなたにも警告しています。

そして、この世の価値観に影響されていることに気付いたら、あるいはされそうになっていることに気付いたら、影響を与えるものから「分離」するようにと勧めています。

2.聖書的な分離

分離の勧め

16節以降で、パウロは旧約聖書のあちこちを引用しながら、この世的なもの、反聖書的なものから「分離」することを勧めています。

人は触れたものに似ます。どんな人とつきあい、どんな本を読み、どんなテレビを観るかということは、私たちにとって思いの外大きい影響を与えます。ですから、時々立ち止まって、自分が一体どんな影響を受けているだろうかと考えてみましょう。そして、もしも悪影響を与えているなと気付いたら、思い切ってそのようなものから距離を取り、離れることも大切です。

未信者との接触禁止ではない

ただし、ここで聖書が分離するようにと勧めているのは、未信者といっさい接触してはいけないとか、クリスチャン以外の作家が作った本やテレビ番組などを見てはいけないとかいう意味ではありません。

クリスチャンではない人たちの中にも、すばらしい生き方をしている人たちがたくさんいます。そのようなものは、聖書の価値観に則っているのですから、むしろ積極的に学ばせていただきましょう。

分離について、パウロは別の箇所でこう言っています。

「私は前にあなたがたに送った手紙で、不品行な者たちと交際しないようにと書きました。それは、世の中の不品行な者、貪欲な者、略奪する者、偶像を礼拝する者と全然交際しないようにという意味ではありません。もしそうだとしたら、この世界から出て行かなければならないでしょう。私が書いたことのほんとうの意味は、もし、兄弟と呼ばれる者で、しかも不品行な者、貪欲な者、偶像を礼拝する者、人をそしる者、酒に酔う者、略奪する者がいたなら、そのような者とはつきあってはいけない、いっしょに食事をしてもいけない、ということです」(第1コリント5:9-11)

むしろ、私たちは「地の塩、世の光」になるように言われています。そして、「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい」(マタイ5:16)と。この命令では、この世の人たちと交わるとき、この世の悪影響を受ける代わりに、この世が聖書の価値観、神の子の良い生き方の影響を受けることが勧められています。

私たちのモデルであるイエスさまは、積極的に罪人たちと交わられ、共に食事をし、お酒を飲まれました(マタイ9:10、ルカ7:34、ルカ15:1-2など)。しかし、決して罪を犯すことなく、むしろ罪ぶかい生活をしていた人たちの方が、イエスさまのすばらしさに触れて、次々と改心していったのです。ルカ19:1-10に登場する取税人ザアカイはその良い例です。

問われている私たちのくびき

私たちはいつも自分の生き方をチェックする必要があります。イエスさまほどきよさの極致にいない私たちは、ぼーっとしていると、いつの間にかこの世の価値観の影響を受け、貪欲になったり、嫉妬したり、悪い欲望を最優先させてしまったりするでしょう。それが地上に生きる人間の姿です。残念ながら、クリスチャンであってもそうです。

こうして週に1回集まって礼拝し、祈り、賛美し、聖書を学び、他のクリスチャンと交わるのも、また毎日聖書を開いて祈る時間を持つのも、自分の生き方を見つめ直すためです。

今日も、軌道修正をさせていただきましょう。たとえこの世の価値観に影響を受けていたとしても、罪を犯していたとしても、それらはすべてイエスさまの十字架の血潮によって赦されています。それを感謝し、(ベリアル、すなわちサタンではなく)イエスさまと同じくびきを負わせていただきましょう。

まとめ

つり合わないくびきをつけていませんでしたか?  気付いたなら、聖書的な分離を実行しましょう。

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