第三の天

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コリント人への第二の手紙12章1〜4節

(2014.10.26)

参考資料

1節の「啓示」とは、神さまが真理を人間にお示しになることです。

2節の「ひとりの人」とは、パウロ自身のことです。

2節の「第三の天」とは、神さまや天使がいる天のことです。第一の天が空(大気圏)、第二の天が宇宙空間です。

4節の「パラダイス」は、庭園という意味のペルシャ語パエリダエーザに由来する言葉で、神さまに受け入れられた人が死後に行く場所を指します。「アブラハムのふところ」とも呼ばれています。

聖書からのメッセージ

イントロ

パウロは、この手紙を書いた14年前に、神秘的な体験をしました。それは天(天国)に引き上げられ、神さまのことばを直接聞くという体験です。

本日は、年に一度の召天者記念礼拝です。2年前の今日、私たちの教会のメンバーであったW姉が亡くなり、天国に迎え入れられました。聖書は、天国について何を教えているのか、改めて教えていただきましょう。

1.第三の天

第一の天と第二の天

聖書の中で、天と呼ばれているものが3つあります。
  • 第一の天:鳥が飛ぶ空間、すなわち空、大気圏。
  • 第二の天:太陽や星が運行している場所で、宇宙空間のこと。
  • 第三の天:一般に天国と呼ばれている場所。ここは、私たちの住んでいるこの宇宙とは別の次元に存在します。

第三の天の住民

第三の天に住んでいるのは、
  • 神さま。
  • 神さまに仕えるたくさんの天使たち。
  • 亡くなった人たちの魂。
亡くなった人たちの魂と言いましたが、厳密に言うと、3人だけは肉体も持っています。生きたまま天国に引き上げられたエノク(創世記5:24、ヘブル11:5)とエリヤ(第2列王記2:11)、そして復活して天に昇られたイエスさま(使徒1:9)です。エノクとエリヤの肉体は、生前と同じものではなく、イエスさまの復活の体と同様、もはや老いたり病んだり死んだりしない栄光の体です。

そのほかの死者には、今は肉体がありませんが、世の終わりの携挙の時に与えられます。携挙の時には2つのことが起ります(第1テサロニケ4:13-18)。
  • 天国にいた死者がよみがえり(すなわち栄光の体が与えられ)、再び天国に引き上げられます。
  • その時地上に生きていたクリスチャンも引き上げられ、栄光の体に変えられて天国に迎え入れられます。

第三の天の様子

黙示録7:9-17には、天国の様子が描かれています。少し長くなりますが引用してみましょう。

「その後、私は見た。見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた。
彼らは、大声で叫んで言った。『救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊にある』。
御使いたちはみな、御座と長老たちと四つの生き物との回りに立っていたが、彼らも御座の前にひれ伏し、神を拝して、
言った。『アーメン。賛美と栄光と知恵と感謝と誉れと力と勢いが、永遠に私たちの神にあるように。アーメン』。
長老のひとりが私に話しかけて、『白い衣を着ているこの人たちは、いったいだれですか。どこから来たのですか』と言った。
そこで、私は、『主よ。あなたこそ、ご存じです』と言った。すると、彼は私にこう言った。『彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。
だから彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。そして、御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られるのです。
彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。
なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです』」


すでに亡くなった信者たちは、現在このような状態にあります。地上でどんなにつらく、苦しい人生を送ったとしても、天においては喜びと感動と平安が満ちあふれています。W姉もその一員です。今頃、私たちの礼拝に合わせて、神さまを礼拝し、賛美の歌を歌っておられることでしょう。

では、どんな人たちがすばらしい天国の市民権を手に入れることができるのでしょうか。

2.信じた者たちの国

パラダイス

パラダイスは、人が死んだ後に送られる場所を表す言葉です。この言葉は、新約聖書の中に他に2箇所登場します。
  1. ルカ23:43。イエスさまは、共に十字架に付けられた犯罪人の一人に向かってこうおっしゃいました。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます」
  2. 黙示録2:7。「耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者に、わたしは神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう」
このどちらの箇所でも、パラダイスに入ることが許される人は、イエスさまを信じる人です。

ハデス

実は、死んだ人が行く場所が、パラダイスの他にもう一箇所あります。それはハデスと呼ばれています。ルカ16:19-31で、イエスさまはラザロと金持ちの話をなさいました。

ラザロは全身におできができていた貧しい人で、物乞いをして日々の糧を得ていました。彼は死んだ後、「アブラハムのふところ」、すなわちパラダイスに入れられます。

一方、金持ちは毎日ぜいたくに遊び暮らしていましたが、亡くなってハデスに落とされます。そこは非常に苦しい場所で、金持ちは思わず「父アブラハムさま。私をあわれんでください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、ラザロをよこしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません」と願いました。指先を浸すほどのわずかな水でさえ慰めになる、それほどの苦しみだということです。

しかも、苦しみはハデスで終わりではありません。人間の人生には3つの段階があります。
  • 第1ステージは、地上のこの人生。
  • 第2ステージは、「中間状態」と学者たちが呼んでいて、今回お話ししているパラダイスやハデスで過ごす状態です。
  • 第3ステージは、イエスさまが再臨なさり、最後の審判をなさった後にやってくる永遠の状態です。
最後の審判が終わると、ハデスにいた人たちはサタン(悪魔)と一緒にゲヘナ(火の池)に投げ込まれます(黙示録20:12-15)。そこは、ハデスよりもさらに苦しい場所です。なぜなら、復活をしているので、肉体的にも苦しみを受けることになるからです。

一方、パラダイスにいた人たちは、みんなよみがえって新しく創造される地に住まいます。その様子は、黙示録21:1-4に記されています。

「また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。『見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである』」

言ってみれば、第2ステージのパラダイスやハデスは、永遠の状態を待つための待合室のようなものです。

罪の赦し

では、なぜラザロは死んでからパラダイスに入れられ、金持ちはハデスに落とされたのでしょうか。

私たち人間はすべて不完全な罪人であり、神さまの敵でした。きよくて完全な正義の神さまは、罪を「それくらいいいよ」と軽く扱うことはできませんし、罪があるのにそれを見て見ぬふりをすることもできません。罪は必ず裁かれなければなりません。ですから、本来であれば、あの金持ちだけでなく、すべての人間が死んだらハデスに落とされることになるのです。

しかし、そんな私たちを神さまは赦し、受け入れ、親しい愛の交わりを回復しようとしてくださいました。そして、イエスさまが私たちの身代わりに十字架にかかり、罪の罰をすべて負ってくださいました。私たちは、イエスさまが私のために死なれ復活されたおかげで、すべての罪が赦されたと信じるだけで、神さまの子どもとされ、神さまとの親しい関係を回復することができます。

金持ちは金持ちだったからハデスに落とされたわけではなく、ラザロは貧しかったからパラダイスに入れられたわけでもありません。ラザロは自分の罪を悔い改め、神さまの赦しを受け取っていました。しかし、金持ちは悔い改めず、神さまを信じなかったのです。

先ほどパラダイスの様子を描いた聖書の箇所を読みましたが、その黙示7:14でパラダイスの住民について「彼らは…その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです」と書かれています。これは、罪が赦されてきよい者とされたことを表しています。

一方、金持ちは自分がハデスに落とされたのは、悔い改めなかったからだと知っていました。そして、自分の兄弟はこんなところに来なくて済むよう、彼らが悔い改めることを願いました(ルカ16:30)。

W姉は、愛にあふれたお方でしたが、だから天国に入れられたわけではありません。人の愛は不完全だということを、W姉は知っておられました。ですから、イエスさまによる罪の赦しがなければ、決して天国に入れられることがないことを自覚し、いつもイエスさまに寄りすがっておられました。だから、今、W姉は天国におられると、私たちは断言できるのです。

まとめ

天国はすばらしいところですが、私たちが現在生かされているということは、まだ地上でなすべきことがあるということです。イエスさまの恵みによって赦され、生かされているということをいつも忘れないで、感謝をささげながら、地上でなすべきことを精一杯させていただきましょう。

そして、地上の生涯を走り通したとき、私たちはあのすばらしい天のパラダイスに迎え入れられます。

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