逆に私たちが問われている

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ハバクク書2章1〜4節

(2014.11.2)

参考資料

預言者ハバククが活動した正確な時期は分かっていませんが、BC612年以降と考えられています。この年、宗教改革者ヨシヤ王が戦死し、その後イスラエルは、再び不法と混乱の時代に逆戻りしていきました。今回の箇所はそんな時代です。

その後、バビロニア帝国(バビロン)がイスラエルを度々攻撃し、BC597年にはエホヤキン王を捕虜として連れ去ります。その後立てられたヒゼキヤ王は、初めはバビロンに臣従しますが、後に反逆し、BC586年に再び攻撃を受け、エルサレムの城壁や神殿が破壊され、民の指導者たちや技術者、若者たちなどがバビロンに捕囚されていきました。

聖書からのメッセージ

イントロ

ハバククは、不平・不満でいっぱいでしたが、最後には満足し、平安を得ました。私たちも、どうしてこんなことが起こるのだろうかと混乱したり、どうして神さまは何もしてくださらないのだろうかと不満に思ったりすることがないでしょうか。ハバククから、満足と平安の秘訣を学びましょう。

1.すべて祈る

ハバククの祈り

預言者ハバククは「主が私に何を語り、私の訴えに何と答えるかを見よう」と言いました。彼はどんな訴えに対する答えを求めていたのでしょうか。1:1-4で、彼はこのように祈っています。

「主よ。私が助けを求めて叫んでいますのに、あなたはいつまで、聞いてくださらないのですか。私が「暴虐。」とあなたに叫んでいますのに、あなたは救ってくださらないのですか。なぜ、あなたは私に、わざわいを見させ、労苦をながめておられるのですか。暴行と暴虐は私の前にあり、闘争があり、争いが起こっています。それゆえ、律法は眠り、さばきはいつまでも行なわれません。悪者が正しい人を取り囲み、さばきが曲げて行なわれています」

社会に不正義が蔓延し、神の民イスラエルは堕落の一途をたどっていました。そのために、ハバクク自身もいろいろとひどい目に遭っていたのでしょう。しかし、それについて「神さま何とかしてください」と祈っても祈っても、ちっとも状況が良くなりません。そこで、ハバククは不満を覚え、神さまにこのように訴えたのです。それは、祈りと言うより、抗議に近いものです。

これに対し、神さまはこうおっしゃいました。「カルデヤ人(バビロン)によってイスラエルの国を滅ぼす。決して私は悪を放置することはない」。すると、ハバククの怒りはさらにヒートアップします。「異教徒によって、神の民を滅ぼすですって? そんなバカなことが起こっていいのでしょうか!」とかみつきます。

「あなたの目はあまりきよくて、悪を見ず、労苦に目を留めることができないのでしょう。なぜ、裏切り者をながめておられるのですか。悪者が自分より正しい者をのみこむとき、なぜ黙っておられるのですか。あなたは人を海の魚のように、治める者のないはう虫のようにされます」(1:13-14)

こうしてひとしきり抗議の祈りをした後、ハバククは神さまが何とお答えになるのかを待ちました。それが今日の箇所です。

様々な部分がある私たち

私はハバクク書が大好きなのですが、それはハバククが、神さまに対する失礼と思えるほどに率直に、正直に自分の思いをはき出し、神さまもそれに対して怒りでお答えになるのでなく、真剣に向き合ってくださっているからです。私の中にも、神さまに対する不平や不満、不信感があります。だから、ハバクク書を読むとほっとするのです。

もちろん、神さまに対して不平・不満・不信感を抱いていいと言っているわけではありません。あなたが配偶者やお子さんやお友だちからから信頼されなかったり、怒りをぶつけられたりしたら悲しい思いをするように、ご人格をお持ちである神さまも、私たちが不信感をあらわにすれば悲しまれます。神さまもハバククに対して、「正しい人はその信仰によって生きる」と語られました(4節)。私たちは神さまを100%信頼し、心の底から純粋に愛し、全身全霊をささげてお仕えできるに越したことはないし、それをいつも目指すべきです。

ところが、残念なことに、私たちはなかなか神さまを100%信頼したり、全くの利己心なく愛したり、わずかの不純な思いもなく生活したりということは難しいです。というより、正直に自分の心の中を探るなら、そんなことは無理だと言った方がいいでしょう。ああ、私たちはこれまで何度失敗してきたことでしょうね。

ハバククは神さまの預言者ですから、彼の一部は、当然神さまを信頼し、神さまに期待し続けていたでしょう。私もクリスチャンであり、牧師ですから、もちろん神さまを信じ、愛しています。

しかし、私たち人間の中には、いろいろな「自分」がいます。本音と建て前というような単純な分類ではなく、もっとたくさん、増田泰司1号、増田泰司24号、増田泰司159号、増田泰司237号、増田泰司543号……というように。

極めて真面目で誠実で信仰的だったハバククですが、彼の中のある部分は(仮にハバクク146号とでも名付けましょう)「どうせ神は、俺たちのことなんかどうでもいいと思ってるんだ」「俺たちは神に見捨てられたんだ」「祈ったってどうせ無駄だ」というふうに思っていました。信仰的なハバクク1号も本当のハバクク。でも、こんなふうに不信仰な思いを抱き、すねたり怒ったりしている146号も、本当のハバククです。

そして、あなたの中にも、純粋な部分と不純な部分、愛に満ちた部分と怒りに満ちた部分、信頼している部分と疑っている部分など、相反する部分があるはずです。

すべて祈ろう

しかし、私たちがどうであっても、神さまの側は私たちを心から愛しておられるということを忘れてはなりません。しかも、神さまは、私たちの一部を愛されたのではなく、その全部を愛されました。私たちの中の信仰的な部分だけでなく、神さまを、理解できない部分、信用しきれない部分、怒りを感じている部分も愛しておられます。それどころか、神さまに逆らい、罪を犯している部分でさえも愛してくださっています。

「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます」(ローマ5:8)

ですから、祈るときに大事なことは、信仰的な部分も、そうでない部分も、どれもみんな正直に祈るということです。少なくとも、隠れたところで祈られる個人的な祈りはそうです(公の祈りは、聞く他の人にも影響を与えますから、内容を吟味する必要があります)。

信仰的な自分として御前に出て行くなら、「神さま信じます。すでにかなえられたと受け取り、感謝します」と、前向きな祈りが出てくるでしょう。一方、ハバククのように、心の内に神さまや他の人に対する苦々しい思いとか、不信感とか、絶望とか、哀しみとか、疑問とか、そういった否定的な考えや感情があるのなら、それを全部神さまの前にさらけ出して聞いていただきましょう。

神さまは、直接神さまにぶつかってくる者を、決してはじき返し、罰を与えたりなさいませんでした。アブラハム然り、ヤコブ然り、ヨナ然り、ヨブ然り……。

私たちの思いも、すべて神さまは受け止めてくださいます。実際問題として、神さまは、どんなに私たちが隠したからといって、全部お見通しです。ならば、正直に申し上げた方がいいのです。

むしろ、私たちの内側に信じ切れない思いがあるのなら、私たちはそれを神さまに聞いていただいて、助けを求めなければなりません。痔を悪くしてつらいとき、恥ずかしいからといって、眼科に行って視力検査をしてもらっても意味がありません。肛門科に行って正直に症状を聞いてもらわねばなりませんね。それと同じように、神さまに正直に自分がつまずいている部分について聞いていただき、謙遜に助けを求めましょう。

2.信頼して待つ

神の計画とその確かさ

自分の思いの丈を語り尽くしたハバククに対して、神さまはご自身の計画を明らかにし、「遅くなったとしても、待ちなさい」とおっしゃいました。

「すべてのことに時がある」と、伝道者の書で語られています。「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない」(伝道者3:11)

私たちの目には、「どうしてこんなことが」と思えることがあります。しかし、必ず「美しい」と表現できる時、「このためにあのことがあったのだ。あのことがなければならなかったのだ」と言える時がやってきます。それは、次の日かもしれない。一週間後かも知れない。一年後、十年後、五十年後、あるいは数百年後かもしれません。

ハバククの時代の後、実際にバビロンによって首都エルサレムが破壊され、多くの国民がバビロンに奴隷として引かれていきました。しかし、70年後、多くの預言者によって預言された通り、「残りの者」がエルサレムに帰ってきました。彼らは異国の地で練り鍛えられ、神さまへの熱い信仰を回復していました。モーセ以来のイスラエルの民は、律法に不熱心だったのに、帰還民たちは律法を熱心に学び、これを実行しようとしました。国に帰ったばかりで、自分たちの生活もまだ落ち着かないときに、彼らはまず礼拝の場である神殿の再建に着手しました。

自分の国が滅ぼされるというとんでもない事態は、ハバククの理解を超えていました。ですから、彼は思わず神さまを非難しました。しかし、そのおかげで、ハバククが願っていた通り、イスラエルの信仰が再生し、社会が秩序を取り戻しすことになるのです。彼の願いは彼の思ったようにはかないませんでしたが、確かにかなえられました。

私たちの方が問われている

ハバククの怒りに満ちた訴えに対して、最後まで神さまは付き合ってくださいました。彼は、彼の疑問に対して直接答えをもらったわけではありませんが、ていねいに付き合ってもらったおかげで、神さまへの信頼が育ち、「どうして」と問うことをやめました。

神さまの時があること、神さまの間違いのない計画があることを信じ、愛である神さまに信頼すること。これが信仰生活のキモ、鍵です。

私たちは「どうして」と神さまに問いますが、逆に私たちの方が神さまから問われています。「あなたはどうしますか?」と。「私を信頼しますか、それともまだ信頼できませんか?」と。

信仰を求めよう


聖書には、「あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です」(ヘブル10:36)と書かれています。

すべての良いものは神さまから来ます。信仰もまた、神さまのプレゼントです。今、神さまは最善以外なさらないと信頼する力と、神さまの計画が実現する時を待つ忍耐力を神さまに求めましょう。

まとめ

いつも神さまを信頼しましょう。そのために、自分の中の足りない部分を正直に申し上げ、助けを求めましょう。

あなた自身への適用のためのディスカッションガイド

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