なぜ負けたのだろうか

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第1サムエル記4章1〜22節

(2014.12.7)

参考資料

ペリシテ人は、ギリシャのエーゲ海地方からやって来て、パレスチナ南部の地中海沿岸に入植してきた民族。早くから鉄製武器を作る技術を持っていて、しばしばイスラエルに侵入してきました。

「契約の箱」は、モーセの時代に神さまが作らせた箱で、十戒を刻んだ2枚の石の板、芽を出したアロンの杖、マナ(天から降った食物)の入った壺が納められていました。そして、移動時以外は、会見の天幕(後の神殿)の至聖所に置かれました。

4節の「ケルビム」(単数形はケルブ)は、天に住む有翼の生き物で、超人的な力を象徴しています。契約の箱のふた(贖いのふた)にも純金製の2体のケルビム像が設置されていました。彼らの翼が向かい合わせに広げられている様子が、見えない神さまの御座に見立てられて「ケルビムに座しておられる万軍の主」(4節)という言い回しが生まれました。

6節の「ヘブル人」は、イスラエル人のこと。

21節の「イ・カボデ」は、「栄光がない」という意味を持ちます。

聖書からのメッセージ

イントロ

イスラエル軍が大敗した場面です。ここから、私たちと神さまとの関係について考え直してみましょう。

1.大敗北の原因

契約の箱さえあれば大丈夫

ペリシテ人はしばしばイスラエルに侵入してきて、略奪を働いたり、イスラエルの町々に貢ぎ物を強要したりしていました。イスラエルが柔らかい青銅製の武器を主に使用していたのに対し、ペリシテ人は堅い鉄製の武器を持っていて、イスラエルはその軍事力に大変苦しめられました。

このたびも、ペリシテ人との大規模な戦いが行なわれました。イスラエルは大敗してしまい、4千人が戦死しました。長老たちは、神の民であるイスラエルが負けてしまったのは、いったいなぜなんだろうかと疑問に思います。

きっと長老たちは思い出したのでしょう。モーセが民を率いていた40年間、契約の箱はいつも民と共にあり、民は飢え渇きや、異民族の攻撃から守られてきました。約束の地に入るためにヨルダン川を渡る時も、ヨシュアは契約の箱を先頭にして進ませました。すると、雪解けシーズンでごうごうと流れていた川の水がせき止められ、民は安全に通っていきました。

そこで、彼らは、神の契約の箱を戦場に持って来さえすれば大丈夫だろうと考えました。ところが、それはかえってペリシテ軍を必死で戦わせる結果となり、もっとひどい敗北を喫します。さらに疫病も重なって、今度は3万人が死んでしまいました。

戦いに負けた本当の理由

戦いに負けた理由は、契約の箱が陣中になかったからではありません。

まず、エリの2人の息子たちが、祭司であるにも関わらず冒涜的な行ないをしていたからです(2:12-17)。そして、それに対して、父であるエリも厳しく指導できず、長老たちや民も手をこまねくばかりで、何ら効果的な手を打とうとしていませんでした。

さらに、今回の事件の20年後、サムエルがイスラエルの民にこう約束しています。「もし、あなたがたが心を尽くして【主】に帰り、あなたがたの間から外国の神々やアシュタロテを取り除き、心を【主】に向け、主にのみ仕えるなら、主はあなたがたをペリシテ人の手から救い出されます」(7:3)。おそらく、今回の戦いがあった時期も、多くのイスラエルの人々が偶像礼拝を行なっていたのでしょう。

ですから、4千人を失う大敗北を喫したのは、契約の箱が陣中にあるかどうかという問題ではなく、イスラエルの人々の心が神さまから離れてしまっていて、神さまとの関係がおかしくなっていたからです。それなのに、契約の箱だけ持ってきたとしても、意味がありません。

モーセに導かれていた荒野での40年間も、たびたびイスラエルの民の心が神さまから離れ、つぶやいたり、モーセに逆らったり、律法を無視した生活をしたりしました。そんなとき、神さまは彼らに教育的指導をなさいました。毒蛇にかまれたり、疫病が起こったり、地割れが起ったりして、たくさんの人が苦しんだり死んだりしたのです。そして、イスラエルの民はそのたびに悔い改めて、神さまを信頼する生き方に立ち戻りました。こうして、イスラエルの民は荒野で守られたのです。

そして、ヨルダン川を渡る前、神さまは新しいリーダーであるヨシュアに語りかけ、神さまの守りを信じ、また神さまの律法を忠実に守るよう命じ、彼もそれを誓いました。また、民も、神さまに選ばれたヨシュアへの忠誠を誓うという形で、神さまを信じ、神さまの命令を守ることを誓いました。

要するに、契約の箱そのものに魔術的な力があるのではなく、神さまへの信頼と忠誠が大切だということです。ですから、サムエル時代の長老たちは、契約の箱を持ってくるというような、魔術的で場当たり的な対応を命じるのではなく、自分たちの罪を悔い改めるよう、民に訴えなければならなかったのです。

神が負けたわけじゃない

こういうわけで、イスラエルは大敗北を経験してしまいました。しかし、だからといって神さまが弱かったわけではありませんし、神さまの栄光がなくなったわけでもありません。4-6章で、神さまはお一人でペリシテ人に勝利なさいます。

意気揚々と契約の箱を持ち帰ったペリシテ人は、彼らが礼拝するダゴン神の像の隣にこれを戦利品として供えます。ところが、翌朝ダゴン像が倒れてしまいます。翌朝も同じことが起こり、それどころかダゴン像がばらばらになっていました。さらに、ネズミが大量発生し、おそらくネズミが媒介して起こる腫物のために、たくさんの人が亡くなったり苦しんだりしました。

そこで、別の町に契約の箱を移しますが、そこでもネズミと腫物のさばきが起こります。また別の町に移そうとしますが、当然その町の人たちは拒否します。こうして契約の箱は、償いとして純金のネズミの像5個を添えられて、イスラエルに戻されることになります。

神さまには確かに力があります。問題は、当時のイスラエルの民が、普段は神さまを信頼せず、偶像など他のものを信頼しており、神さまの命令には無頓着だったのに、都合のいいときだけ神さまの力を利用しようとしていたということです。

2.悔い改めの祝福を味わおう

御利益宗教になっていないか

神さまは私たちを愛してくださっており、子と呼んでくださっています。ですから、もちろん私たちは、いろいろな困難を経験したときに、神さまの助けを求めていいし、奇跡を期待してかまいません。

しかし、私たちが神さまに何かを求めるばかりでなく、神さまも私たちに何かを求めておられるということを考える必要があります。私たちは、どれだけ神さまの願いに心を配ってきたでしょうか。

聖書は神さまのことを主と呼び、天の父と呼んでいます。雇い人が主人に「業務命令には従わない。だが給料はたんまり払ってくれ」と言ったらどうでしょう。子どもが親に「小遣いはたんまりよこせ。でも、あんたたちの言うことはいっさい聞かずに好き勝手にやらせてもらう」と言ったらどうでしょう。悲しみや怒りを招くことになりそうですね。

神さまもご人格をお持ちです。神さまは愛して欲しいと思っておられます。決して利用されたいと思っておられるわけではありません。

日々、悔い改めよう

しかし、私たちは罪人であり、不完全です。ですから、いつの間にか神さまから心が離れて、御利益宗教的に祝福ばかりを願ったり、自己中心的な考えに基づいて何かを求めたりすることもあります。

「あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないからです。願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです」(ヤコブ4:2-3)

そんな姿に気付かされたときは、すぐに認めて悔い改めましょう。荒野での40年間、イスラエルはたびたび罪を犯しましたが、決して神さまは彼らを見捨てませんでした。私たちは、今失敗しているとしても、いつでもやり直すことが出来ます。

まとめ

大いに祝福を求めると共に、いつも神さまと自分の関係をチェックし、おかしくなっていると思ったら、すぐに悔い改めて、心と行ないを正しくしましょう。

私たちがいつも神さまと仲良く人生を歩んでいくことができますように。そのことが、祝福そのものだと感謝できるようになりますように。

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