心の中の偶像

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第1サムエル記12章12〜25節

(2015.1.11)

参考資料

12節の「アモン人」は、アブラハムの甥ロトの次女を起源とする民族。死海の北東部(首都ラバは、現在のヨルダンの首都アンマン)に定住しました。今回の話の直前、彼らはイスラエルの町ヤベシュ・ギルアデ(ヨルダン川の東にあった町)に軍隊を送って包囲しましたが、サウルが全国に檄を飛ばして兵を集め、これを打ち破りました。

13節の「王」はサウル。既にサムエルはイスラエルの人々に、サウルが王に選ばれたことを宣言していましたが、それを受け入れない人たちもいました。サウルがアモン人を打ち破ると、イスラエルの人々はギルガルの町(死海のすぐ北にある)に集まり、サウルの王権を宣言しました。今回の箇所はその時にサムエルが語った言葉です。

17節の「小麦の刈り入れ時」は5〜7月。この時期は乾期なので、通常は雨が降りません。

聖書からのメッセージ

イントロ

サウル王の就任式で、サムエルが奇跡を伴う説教をしました。彼はイスラエルに、そして今の私たちに何を語っているのでしょうか。

1.イスラエルへの3つの教え

神のみこころに逆らった

サムエルは17節でこう言いました。「あなたがたは王を求めて、【主】のみこころを大いにそこなったことを悟り、心に留めなさい」。すなわち、イスラエルの人々は罪を犯したということです。

士師記の時代も、それ以前も、外敵がイスラエルを攻撃してきたときには、神さまが彼らを守ってくださいました。しかし、サムエルの時代のイスラエルの民は、神さまに信頼するよりも、外国と同じように王をいただき、王によって国を救ってもらおうとしました。

それは神さまを退けたのと同じ行為でした。神さまは彼らの願いを聞き入れ、サウルを王になさいましたが、サムエルは、彼らの行為が神さまのみこころに反し、神さまを傷つけ、悲しませたことを示すため、乾期で雨が降らないはずなのに雷雨を引き起こしました。

神は罪を赦してくださる

激しい雷雨によって、自分たちが罪を犯したことを知ったイスラエルの民は、神さまの怒りを恐れてサムエルに取りなしの祈りを願いました。すると、サムエルは「恐れてはならない」(20節)と語りかけます。

22節でもサムエルはこう言っています。「まことに【主】は、ご自分の偉大な御名のために、ご自分の民を捨て去らない。【主】はあえて、あなたがたをご自分の民とされるからだ」

新改訳聖書で【主】(あるいは太文字の)と訳されている言葉には、神さまのお名前が記されています。正確な発音は分かっていませんので、主と訳されることが多いですが、近年の研究では「ヤハウェ」が最も近いのではないかと考えられています(詳しくは2012年6月24日のメッセージをご参照ください)。

ヤハウェという神さまのお名前は、神さまがアブラハム、イサク、ヤコブと契約を結ばれたお方であるということを表しています。神さまはアブラハムを選び、彼と彼の子孫を祝福し、また彼を通して全世界の人々を祝福すると約束されました。その契約は、アブラハムの息子であるイサク、孫であるヤコブにも継承され、ヤコブから出たイスラエル十二部族にも継承されました。

その契約の故に、イスラエル民族は度重なる罪にも関わらず神さまに見捨てられず、完全に滅ぼされることもなく、何度も何度も赦されてきました。人は約束を破ることがありますが、神さまは決して約束を破ることをなさらないのです。

なお、25節で「あなたがたが悪を重ねるなら、あなたがたも、あなたがたの王も滅ぼし尽くされる」という警告がありますが、これは神さまが救いの契約を反故にされるという意味ではありません。

聖書に記されているさばきには2種類があります。一つは永遠の滅びです。神さまから完全に切り捨てられ、永遠の苦しみという罰を受けることですね。もう一つは、教育的指導としての懲罰です。子どもが悪いことをしたとき、親は子どもを叱りますが、それはその子が嫌いになることでも、親子関係を切ることでもありません。むしろ、子どもを愛し、子どもにすくすくと健全に育って欲しいから叱るのです。

25節で言われていることは、この2つめのタイプのさばきのことです。神さまは契約を守るお方です。いったん救うとおっしゃったなら、私たちがたとえ失敗したとしても赦してくださいます。何度でも赦し、再チャレンジさせてくださいます。そして、祝福してくださいます。

神に従いなさい

しかし、赦されているから何をしてもいいということにはなりません。罪は、約束を守ってくださる神さま、罪を赦し、愛を貫いてくださる神さまを傷つけ、悲しませます。ですから、サムエルは20節で「【主】に従い、わきにそれず、心を尽くして【主】に仕えなさい」と勧めています。

特にサムエルが強調したのは21節です。「役にも立たず、救い出すこともできないむなしいものに従って、わきへそれてはならない。それはむなしいものだ」。すなわち、自分を救ってくださるのは聖書の神さまだということを信じ、他のもので代用してはいけないということです。

神さま以外のものを神さまの代わりにすることを、聖書は偶像礼拝の罪と呼びます。たとえ木や石で像を造って拝まなくても偶像礼拝です。

たとえば、お金はそれ自体は良くも悪くもなく、うまく使えば便利なものです。しかし、お金がありさえすれば幸せだと思うなら、それは偶像礼拝です。同様に、健康は大切ですが、健康が神さまよりも大切になってしまえば、それは偶像礼拝の罪です。家族や友だちは大切ですが、神さま以上に依存してしまえば、それも偶像礼拝です。

罪を犯し続けるなら、永遠の滅びを招かないまでも、教育的指導を受けることになります。せっかく祝福が約束されているのに、それを十分味わうことができず、むなしさや物足りなさや悲しみや苦しみを味わうことになります。これは損です。

ヨハネ4章に出てくるサマリヤ人の女性は、結婚に5回失敗し、イエスさまと出会った時には、夫でない男性と同棲していました。この女性は、裏切られても裏切られても、それでもなぜ男に走り続けるのでしょう。それは、「心の渇きをいやしたい」という代償行為です。

パスカルは「人の心には、神の形をした穴が開いていて、神以外のものではこれを埋めることはできない」と言いました。ところが、彼女はこの穴を男性との関係によって埋めようとしたのです。そして案の定失敗するのですが、代わりになるものも見つからないので、ずるずると不健全な関係を続けていました。

しかし、イエスさまと出会ったことにより、彼女は偶像礼拝の罪を悔い改めて、神さまと新しい関係に入り、むなしさから解放されて喜びの人生を取り戻しました。

ですから、偶像は捨て去って、神さまを信頼しなければなりません。その時、本当の喜びや感動が人生にやって来ます。そして、お金を上手に使うことができるようになったり、健康や人間関係を楽しむことができるようになったりします。

2.私たちへの3つの教え

罪を認めて悔い改める

神さまの敵であるサタン(悪魔)は、私たちと神さまとの愛の関係を破壊しようと狙っています。サタンがよく使う方法は、この世の中で良いと思われているものを示して、それを神さまよりも大切にするよう誘惑するという手です。先ほど申し上げた通り、それがどんなに良いものでも、神さまより優先するなら偶像礼拝です。

私たちも、正直に心の中を探ってみましょう。神さま以外に重要視していたものがありませんでしたか?

私がいつも引っかかるのは、「他人の評価」という偶像です。人が自分どう評価しているだろうかということを必要以上に気にする結果、人前に出ると緊張したり、無理をして疲れてしまったり、人と交わるのに疲れてしまったりします。

自分の罪を認めたら、すぐに神さまに告白し、謝罪しましょう。

赦しを信じて感謝する

神さまは赦しの神です。それは、そんな罪なんか大したことは無いと大目に見てくださるということではありません。どんなに小さく見える罪でも、神さまに対する反逆であって、本当なら死を招きます。

神さまは、私たちの罪を赦してくださるという約束をしてくださいました。イエス・キリストが私たちの代わりに死んで血を流してくださったことにより、私たちの罪は帳消しになりました。私たちはそれを信じるだけで赦され、罪のない者と認められ、そればかりか神さまの子どもにしていただけます。これは契約です。決して破られることがない契約です。

ですから、どんなに罪責感がひどくても、どんなに周りの人が責め立てても、自分は神さまに赦され、愛され、いつでも人生をやり直すことができると信じましょう。赦しを受け取る信仰をもっとも良く表せるのは、感謝することです。「赦してくださったことを信じます。ありがとうございます」と。

聖霊の助けを受け取り、新しい生き方に変わる

悔い改め、赦しを受け取ったなら、改めて神さまに従う方向に舵を切ります。「もうこの偶像は手放します。この罪深い行ないはもうやめます。私はあなたに信頼し、あなたに従います」と神さまに宣言しましょう。

神さまは、あなたに何をして欲しいと願っていらっしゃるでしょうか。どのような言動をすることを、神さまは喜んでくださるでしょうか。それを学び、実行しましょう。

もちろん、私たち一人で罪を克服して、神さまに喜ばれる生き方をすることはできません。聖書の契約では、聖霊なる神さまが私たちの内側に済んでくださり、私たちを造り変えてくださることが約束されています。それも信じましょう。そして「一瞬一瞬私を造り変えてください。そして、神さまに喜ばれる生き方ができるよう助けてください」とお願いしましょう。

まとめ

「ごめんなさい」「ありがとうございます」「お願いします」の祈りを、日々の生活の中で実践しましょう。

あなた自身への適用のためのディスカッションガイド


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