主は心を見る

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第1サムエル記16章1〜13節

(2015.1.18)

参考資料

サウルはイスラエル初代の王です。

エッサイは、ボアズとルツ(ルツ記)の孫です。

聖書からのメッセージ

イントロ

失敗したサウル王は、神さまから退けられ、ダビデ王は数々の失敗にもかかわらず、神さまに用いられ、また永遠の王座を約束されました。どこに違いがあったのでしょうか。

1.選ばれたダビデ

退けられたサウル

王になった当時のサウルは、謙遜さと熱心さを兼ね備えたすばらしい人物でした。ところが、王になったとたん、道を外れていきます。聖書は、特に2つの事件を取り上げています。

まず13章には、ペリシテ人との戦いが描かれています。あらかじめサムエルは、戦場で犠牲をささげて戦勝祈願をするとサウルに告げていました。ところが、約束の日が来てもなかなかサムエルが現れません。元々、味方3千人に対して、敵軍は戦車3万、騎兵6千を擁する圧倒的な大軍です。味方の兵士たちは恐れを抱き、次々に敵前逃亡を始めました。最終的に残ったのは600人という有様です。

そこで、サウルは、自分で犠牲をささげて戦勝祈願をしてしまいました。これは本来祭司が行なうべき仕事で、モーセの律法に違反する行為です。しかも、神さまに対する深い信頼から出た行為ではなく、兵士の離脱に恐れを抱いたためでした。すると、すぐにサムエルが現れ、神さまはサウルの王国を永遠に確立することはせず、別の人物を王に任命なさると宣告しました。

15章には、アマレク人との戦いが描かれています。この戦いは、神さまがアマレク人の悪をさばくという意味もありました。そこで、通常の戦いで勝利すると、人や家畜や武器などを戦利品として手に入れますが、それをしないで完全に滅ぼしてしまうようにと、神さまはサウルにお命じになりました。ところが、サウルはアマレク人の王を生かしたまま捕虜にし、家畜を戦利品として手元に残してしまいます。そこにサムエルが現れてサウルを責め、神さまがサウルを王位から退け、その王国を引き裂いて彼の友に与えると宣告しました。

ダビデへの油注ぎ

さて、今回の箇所で、預言者サムエルは、サウルに代わって新しく王に選ばれた人物に油を注ぐため、ベツレヘムを訪れ、エッサイとその子どもたちを呼び出しました。そして、立派な様子をした7人の兄たちではなく、末っ子のダビデに油を注ぎました。

その時、神さまがおっしゃった言葉に注目しましょう。「人はうわべを見るが、【主】は心を見る」(7節)

退けられなかったダビデ

確かにダビデは信仰的であり、謙遜でした。では全く清廉潔白で、完全無欠の清い心を持っていたかというと、そんなことはありません。彼は何度も神さまのみこころに反することを行ないました。最もひどい罪は、バテ・シェバとの不倫と、その夫ウリヤの謀殺でしょう(第2サムエル11章)。

しかし、サウルと異なり、神さまはダビデの王座が永遠に確立されることを約束なさいました。ある時神さまは、ダビデの子ソロモンについて語った預言の中で、こんな約束をなさっています。

「わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。もし彼が罪を犯すときは、わたしは人の杖、人の子のむちをもって彼を懲らしめる。しかし、わたしは、あなたの前からサウルを取り除いて、わたしの恵みをサウルから取り去ったが、わたしの恵みをそのように、彼から取り去ることはない。あなたの家とあなたの王国とは、わたしの前にとこしえまでも続き、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ」(第2サムエル7:14-16)

事実、世界の王であるイエスさまは、ダビデの子孫としてこの世にお生まれになりました(マタイ1章)。そして、世の終わりに実現する千年王国で、復活したダビデが王としてイスラエル地域を統治することが約束されています(エゼキエル37:24-25など)。

人間的に見れば、ダビデが犯した罪は、サウルの失敗などより、遥かにひどいものだと言えましょう。しかし、サウルの王権は取り去られ、ダビデの王権は永遠に保障されました。いったい、サウルとダビデとどこが違ったのでしょうか。「心を見る」とおっしゃった神さまは、ダビデの心の何を評価なさったのでしょうか。

2.サウルとダビデの違い

サウルの反応

サウルが罪を犯した時、神さまは預言者サムエルを遣わして責めました。ダビデが罪を犯した時は、神さまは預言者ナタンを遣わして責めました。神さまの側のアクションは同じですが、罪を犯した側の反応は違っていました。

サウルは自己弁護のための言い訳をしました。祭司でないのに犠牲をささげた件について、彼はこう言っています。

「民が私から離れ去って行こうとし、また、あなたも定められた日にお見えにならず、ペリシテ人がミクマスに集まったのを見たからです。今にもペリシテ人がギルガルの私のところに下って来ようとしているのに、私は、まだ主に嘆願していないと考え、思い切って全焼のいけにえをささげたのです」(13:11-12)

要するに、悪いのは逃げ出した民であり、約束通りに来なかったサムエルだ。やむなく、代わりに戦勝祈願をした自分は、むしろいいことをしたようなものだ、というわけです。

しかし、この戦いはたった2人の人物の活躍で、イスラエルの勝利に終わります。その2人とは、サウルの息子ヨナタンと道具持ちの青年です。ヨナタンは神さまの助けを信じてこう言います。「大人数によるのであっても、小人数によるのであっても、【主】がお救いになるのに妨げとなるものは何もない」(14:6)。そして、2人でペリシテ人の陣営に奇襲攻撃を仕掛け、ペリシテ人が大混乱に陥って自滅したため、イスラエルは勝利を得ました。

民が逃げ出したからいけにえをささげたというサウルの言い分は一見もっともですが、それが単にサウルの恐れ、不信仰から出たものだということを、息子ヨナタンが証明してしまったわけです。

アマレク人を全滅させなかった件についても、サウルはこう言い訳しています。

「民は羊と牛の最も良いものを惜しんだのです。あなたの神、【主】に、いけにえをささげるためです。そのほかの物は聖絶しました」(15:15)

やらせたのは民であり、しかも神さまに犠牲としてささげるという良い行ないをするためだったんだというわけです。

さらにサムエルに責められると、サウルは罪を認めて謝罪したように見えます。

「私は罪を犯しました。しかし、どうか今は、私の民の長老とイスラエルとの前で私の面目を立ててください。どうか私といっしょに帰って、あなたの神、【主】を礼拝させてください」(15:30)

サウルの謝罪は心からの悔い改めではありません。ここでサムエルに去られると、国民の前で面目を失ってしまうから、それを避けたいという動機から、形ばかりの謝罪をしたのだということが分かりますね。

そして、サウルは罪に対する刑罰も受け入れませんでした。この後、王権がダビデに移されることを恐れて、彼はダビデの命を何度も奪おうとします。

ダビデの反応

一方のダビデは、ナタンに責められると、すぐに罪を認めて悔い改めました。彼は、「バテ・シェバの方から誘ってきたんだ」とか、「ウリヤは戦死したのであって、自分が手を下したわけじゃない」とかいうような、嘘や責任転嫁や言い訳をしませんでした。

そして、彼は神さまが下される刑罰に身をゆだねました。ナタンは、ダビデの罪は赦されるが、懲らしめとして、バテ・シェバとの間に生まれてきた子どもが死ぬことと、ダビデに近い人物が反逆することを預言しました。そして、その通りに子どもが死に、後に息子の一人アブシャロムが反逆して、一時的にダビデは逃亡生活を余儀なくされます。しかし、ダビデは神さまのなさったことだとして、それらを甘んじて受け入れました。

悔い改めがカギ

神さまがお用いになる人物は、背の高さなどの外見ではなく、能力や才能でもなく、過ちをすぐに認める素直さを持った人です。

先日、こんな話を聞かせていただきました。ある悩みを抱えているAさんが、知人のBさんにどんな悩みか話すように促されたのにできなかったと。それは、Bさんの態度が「私は問題のない正しい人、あなたは問題を抱えたダメな人」というような、なんだか偉そうなものに見えて、こんな奴になんか話したくないと思ってしまったからだそうです。

ところが、Aさんは祈りの中でこんなことを感じました。自分の中に自分を人よりも偉く見せたいという傲慢さがあって、それをBさんの中にも見つけて引き出されただけだったんだと。Aさんはそれを素直に認めて、悔い改めなさいました。

それを聞いて私は感動しました。きっと神さまは、Aさんを通して、たくさんの人たちを救いに導き、また慰めたり励ましたりなさるだろうなと信じます。それはAさんが、過ちを示されたとき、正直にそれを認めて正しい方向に生き方を変える、ダビデと同じような素直さを持っておられるからです。

私たちも、聖書を通して、祈りを通して、状況を通して、他のクリスチャンを通して、場合によってはまだクリスチャンでない方を通して、自分の情けない部分とか、弱い部分とか、嫌な部分とかを見せつけられることがあります。あまりにも恥ずかしくて、つらくて、目をそらしたくなることもあるでしょう。

しかし、イエスさまの十字架によって、私たちは完全に赦されています。私たちを神さまは決して呪うことをなさいません。ですから安心して間違いを認めましょう。赦しを信じ、正しい行動を始めましょう。

まとめ

自分の過ちを示された時は、素直に認めて、正しい生き方に戻りましょう。それが、地上で神さまに祝福され、用いられるカギです。

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