誰を恐れるか

トップページ聖書のメッセージ集2015年 > このページ


第1サムエル記18章1〜16節

(2015.2.1)

参考資料

今回の話は、ダビデが巨人ゴリヤテを倒した直後の話です。

ヨナタンはサウル王の皇太子です。彼もまた、道具持ちと二人で何万もの敵軍を打ち破ったほどの勇士であり、誠実な信仰者でした。

10節の、「わざわいをもたらす、神の霊」は、サタン(悪魔)に従う堕落天使、すなわち悪霊のこと。悪霊を神さまが遣わしたということではなく、悪霊が活動するのを神さまが許容なさったということ。

聖書からのメッセージ

イントロ

嫉妬というのは厄介な感情です。心の平安を破壊するだけでなく、しばしば人間関係を破壊し、争いの原因となってしまいます。嫉妬の罠から抜け出すために必要なことを学びましょう。

1.ダビデを恐れたサウル王

サウルは千を打ち、ダビデは万を打った

まだ少年と呼べる年齢だったにも関わらず巨人ゴリヤテを倒したダビデは、その後の戦いでもイスラエルに勝利をもたらしました。皇太子ヨナタンも、家来たちも、民衆も、みんなダビデを尊敬し、愛するようになりました。

そして、凱旋パレードで、サウルは町の女性たちが歌う歌を聴きます。「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った」(7節)。これは別に、サウルよりもダビデの方が優れているということを述べたものではなく、単に二人が幾千幾万の敵を打ち破ったということをほめたたえるものです。

そもそも、有能な家来、勇敢な将軍や兵士を抱えるということは、君主の恥どころか、むしろ誉れです。太閤秀吉が諸大名を集めて、それぞれが所有する宝物の自慢話をさせていたとき、家康は「私のために命を賭けてくれる家来が500騎おります。彼らこそ、何物にも代えがたい宝です」と答えたそうです。

しかし、サウルはすっかり機嫌を損ねてしまいます。「ダビデには、万を当て、私には千を当てた。彼にないのは王位だけだ」(8節)。サウルは、自分のために命を賭けて戦ってくれるダビデを大切に思うどころか、嫉妬し、憎んだのです。

悪霊による狂気

サウル王は、不信仰の故に、すでに神さまから見放されていました。そして、たびたび悪霊に取り憑かれて苦しむようになっていました。ダビデは、今で言う音楽療法士として王宮に雇われ、サウル王が悪霊によって苦しむときには、竪琴を弾いて心を静めていました(16:14-23)。

ダビデは、イスラエル軍の戦士となってからも、音楽療法士の仕事は続けていました。ところが、もう彼の竪琴でも、悪霊の働きを押さえることができなくなります。凱旋パレードの翌日、サウルはダビデに槍を投げつけ、2度も殺そうとしました。

しかし、ダビデを殺したいと思ったのは、悪霊のせいだけではありません。それはサウル自身が望んだことです。私たちが罪を犯すとき、それを悪霊のせいにすることはできません。悪霊は、私たちの中の罪の思いを利用し、それを増幅させるだけです。

ダビデを恐れるサウル

サウルがダビデを殺そうと思ったのは、彼を恐れたからです(12節)。サウルが恐れたのは、ダビデがクーデターを起こし、自分を殺して王座に着こうとすることです。きっと民衆も家来たちもそれを支持し、自分を守ってくれないでしょう。何より、神さまが自分の元を離れ、ダビデに味方していることを、サウルは知っていました。

そこで、悪霊の影響が弱いとき、少し冷静になったサウルが取った行動は、ダビデを千人隊の長に任命して、自分の身の回りから遠ざけることでした。暗殺されないようにしたわけです。ところが、そのせいでますますダビデは武勲を挙げ、国民の人気がうなぎ登りとなります。ますますサウルはダビデを恐れ、嫉妬に狂うことになりました。

根本的な問題を放っておいて、その場しのぎをしても、かえって問題がこじれてしまうということがよくありますね。それでは、サウルはどうすれば良かったのでしょうか。そして、私たちが誰かに嫉妬を感じたとき、どうしたらいいのでしょうか。

2.嫉妬への対処

嫉妬している自分に気付こう

誰かに意地悪をされたり、暴力を振るわれたり、暴言を吐かれたりしたとき、嫌な気持ちになるのは当然のことです。しかし、別にその人が自分に対して、何かひどいことをしたり、迷惑行為をしたりしているわけではないのに、ただ見ているだけでイライラしたり、いたたまれない気持ちになったりするとしたら、もしかしたら自分自身の心の中の葛藤が、相手の言動によって引き出されているのかも知れません。

よくあるのは、相手に嫉妬しているパターンです。嫉妬にも2種類あって、1つは単純な嫉妬。自分よりも相手が優れていると感じたときに抱く否定的な感情です。サウルがダビデに感じたのはこちらのタイプですね。

もう1つは、優劣とは関係ない、少し複雑な嫉妬。「こういう自分ではいけない」と、一生懸命押さえていることを、他人が堂々とやっているときに感じる否定的な感情です。これは例を挙げた方が分かりやすいでしょう。

かつての私は、わがままな行動をしている子どもを見ると、怒りを感じて、いたたまれない気持ちになったものです。大学時代、教師を目指していた私は、教育実習で小学4年生のクラスを受け持ちました。担任が席を外し、私一人で授業していたとき、クラスの子どもたちがおしゃべりを始め、「静かにしなさい。先生の話を聞いて」と言っても聞きません。

やがて私はぶち切れ、教科書を教壇に叩き付けて、「うるさいぃいうて、言いよろうがぁ!」と伊予弁で怒鳴りつけました(訳:騒々しいですよと申し上げているでしょう?)。教室は一瞬にしてシーンとなりました。

その時の私の怒りは尋常ではなく、目の前に銃があったら何発か撃っていたかも知れないというほどの、殺意にも似た感情でした。気が静まると、私は落ち込みました。子どもが大好きで、だからこそ教師になりたいとも思ったはずなのに、子どもたちに対するあの殺意のような怒りは何だったのだろうか。

心理学を勉強するようになってだんだんと分かってきました。私は教師の息子として、わがままも言わず(親はどう思っていたか分かりませんが)、一生懸命、親や先生たちや周りの大人たちの期待に背かないようにがんばって生きてきました。しかし、あの子たちは、そんな私の気も知らず(知るわきゃないんですが)、堂々と自分勝手な生き方をしている。私だって、もっと自分のやりたいように生きてみたかったのに。ずるい! すなわち、これも嫉妬ですね。

あなたは、直接被害を被っていないのに、誰かに対してイライラしたり、一緒にいたくないといういたたまれない気持ちになったりしていませんか? もしそうなら、自分の中の嫉妬と向き合うチャンスです。

恐れに気付こう

サウルはダビデを恐れていました。それが嫉妬心の背後にありました。

第1タイプの単純な嫉妬でも、第2タイプの複雑な嫉妬でも、恐れがつきものです。それは、自分は愛情を失い、捨てられるかも知れないという恐れです。
  • 自分よりあの人は優秀だ。このままでは、自分はみんなから捨てられてしまうかも知れないという恐れ。
  • 本当はこういう生き方をしたいけれど、それをやったらみんなから捨てられてしまうかも知れない。だから、我慢して別の生き方をしなければという恐れ。
誰かに対して嫉妬を感じているとしたら、あなたは何を恐れているのでしょうか?

神さまを恐れよう

サウルが本当に恐れなければならなかったのは、ダビデでも、ダビデを支持する国民でもなく、神さまでした。彼が第一に気にしなければならなかったのは、自分が神さまのみこころを行ない、神さまといい関係でいることでした。

サウルが神さまといい関係を保っていたら、仮にダビデがよこしまな野望を抱いていたとしても、民衆が何と言おうと、安心していられたことでしょう。ところが、神さまとの関係が最悪だったため、「自分は神さまに守っていただける。何があっても大丈夫」とは思えなかったのですね。

サウルの時代には、モーセの律法に基づいた生活が命じられていました。モーセの律法では、人が失敗して罪を犯したとき、神さまとの関係が回復する道が用意されていました。それは悔い改めて、動物を犠牲としてささげることです。失敗したとき、サウルはそれをすれば良かったのですが、悔い改めようとせず、ただ言い訳を並べ立て、自己弁護をしていました。その結果、いつまで経っても、神さまといい関係でいるという確信が持てません。そして、ダビデに対する恐れにおののかざるを得なくなってしまったのです。

今の私たちにも、神さまとの関係回復の道が用意されています。イエスさまは、完全な犠牲として、ご自分の命を十字架でささげてくださいました。そして、3日目に復活し、今は神さまの隣で私たちのために取りなしをしてくださっています。私たちの罪のためにイエスさまが死なれたこと、そして復活されたことを信じるだけで、私たちの罪は赦され、神さまと親子関係にしていただけます。

イエスさまを信じた後も、私たちは何度も罪を示されます。そのたびに、イエスさまの十字架によって赦されていることを思い起こし、悔い改め、赦されていることを感謝し、聖霊さまの助けを求めながら正しい生き方に戻りましょう。

イエスさまは、あなたを神さまの子どもとするために、ご自分の命を喜んで差し出されました。それほどまでに、あなたはイエスさまに、父なる神さまに愛されています。それを決して忘れないようにしましょう。

神さまがついていてくださるから大丈夫。あの人よりも劣っていたとしても大丈夫。完璧にできなくったって大丈夫。そんな平安をいただきましょう。そして、一歩でも(それがどんなに小さな一歩であったとしても)、神さまが喜ばれる生き方に向かって進んでいきましょう。それが、嫉妬から解放されるコツです。

まとめ

誰かに対して否定的な気持ちを抱いたときは、神さまとの関係を見つめ直すチャンスです。

あなた自身への適用のためのディスカッションガイド


Copyright(c) 2015 Nakadoori Community Church All Rights Reserved.