真の友情

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第1サムエル記20章1〜17節

(2015.2.8)

参考資料

1節の「ラマ」は、エルサレムの少し北にある町で、預言者サムエルの家がありました。「ナヨテ」は家という意味で、ラマの中、あるいは郊外にあった場所。サウル王に命を狙われたダビデは、サムエルの元に逃げ込み、ナヨテで一緒に住みました。サムエルが指導していた預言者たちの一団も、ここに住んでいたようです(19:20)。

ヨナタンは、サウル王の皇太子です。

聖書からのメッセージ

イントロ

ダビデとヨナタンの関係は、聖書の中に出てくる、最も美しい友情のひとつです。ダビデにとって、ヨナタンはどんな友だったのでしょうか。

1.ヨナタンの友情

相手の幸福を心から願う友

サウルは、ダビデが王位を奪い取ることを恐れていました。そこで、ダビデを殺すことを家来たちに宣言します。その時、ヨナタンはサウルに異を唱えました。

「ヨナタンは父サウルにダビデの良いことを話し、父に言った。「王よ。あなたのしもべダビデについて罪を犯さないでください。彼はあなたに対して罪を犯してはいません。かえって、彼のしたことは、あなたにとっては非常な益となっています。
彼が自分のいのちをかけて、ペリシテ人を打ったので、【主】は大勝利をイスラエル全体にもたらしてくださったのです。あなたはそれを見て、喜ばれました。なぜ何の理由もなくダビデを殺し、罪のない者の血を流して、罪を犯そうとされるのですか。」
サウルはヨナタンの言うことを聞き入れた。サウルは誓った。「主は生きておられる。あれは殺されることはない。」
それで、ヨナタンはダビデを呼んで、このことのすべてを告げた。ヨナタンがダビデをサウルのところに連れて行ったので、ダビデは以前のようにサウルに仕えることになった」(19:4-7)


しかし、すぐにサウルは心変わりして、再びダビデを殺そうとします。ダビデはすんでのところで逃げ出し、預言者サムエルの元に隠れ住みました。ヨナタンは、父の約束をまだ信じていましたが、ダビデのためにもう一度父の気持ちを確かめることにしました。その結果、サウルはヨナタンさえも殺そうとしました(33節)。

考えてみれば、ヨナタンにとってもダビデは強力なライバルのはずです。それなのにダビデをかばうヨナタンを、サウル王はふがいなく思っていました。しかし、ダビデを心から心配し、彼の幸福を願っていたヨナタンは、父であるサウル王の機嫌を損ねることも恐れず、取りなしをしようとしました。

自分の幸せのために相手を利用するのではなく、まず相手の幸せを願い、そのために自分にできることは何かと考えて、労を惜しまずそれを実践する。そんな友が真の友です。「金の切れ目が縁の切れ目」という言葉がある一方で、「困ったときの友が真の友(A friend in need is a friend indeed.)」という言葉もあります。ヨナタンは後者でした。私たちも誰かにとってそんな友でありたいと思います。

友人だけでなく、夫婦や親子もそうですね。結婚式で行なわれる誓約には、「あなたは、健やかなる時も、病める時も、富める時も、貧しき時も、この人を妻として、夫として愛し続けますか?」と尋ねます。「はい、誓います」と、改めて宣言しましょう。

誠実であり続ける友

ヨナタンは、生涯ダビデを裏切らず、誠実に接し続けました。その証しとして、ヨナタンは、ダビデと契約を結びます。自分はダビデを守ると約束し、ダビデには、自分に恵みを施し、自分が死んだ後は子孫にも恵みを施してくれるよう願います(12-15節)。

この契約を読むと、ヨナタンはダビデが次の王になることを知っているかのようです。古代では、王朝が代わると、新しい王が前の王の一族を皆殺しにするということがしばしば行なわれました。ダビデが王になった時には、それをしないでくれということです。

ヨナタンは、次の王になるのが自分ではなくダビデだということを、どうして知ったのでしょうか。

父サウルが罪を犯して、預言者サムエルから叱責され、神さまがサウルの元を離れて、王権が奪われるという宣告を受けた時、おそらくヨナタンもそばにいました(13:16)。そして、戦いに次々と勝利するダビデを見た時、神さまが共におられることをヨナタンは感じ取りました。神さまが父の代わりに選ばれた新しい王は、きっとダビデだということも、すぐに分かったのでしょう。

父サウルは、ダビデの命を狙うことで、神さまのみこころにさらに逆らおうとしました。しかし、ヨナタンは神さまのみこころに従う方を選びました。彼は、神さまが選ばれたダビデの命を守ろうとしました。

ヨナタンの友情は、単に感情的なものだけではありませんでした。神さまのみこころを最優先にするという、確かな生き方に裏打ちされていたので、たとえ父サウルの怒りを買い、自分も命を狙われるという状況になっても、それでもダビデを見捨てることをしませんでした。彼は、ダビデに生涯誠実であり続けたのです。

そして、真の友は、自分が神さまのみこころに従って生きようとするだけでなく、相手が神さまのみこころに反したことをしている場合には、それを指摘して、正しい道に戻るように訴えることもします。ダビデとヨナタンの間にはそのようなことは起こりませんでしたが、仮にダビデがバテ・シェバ事件(ダビデが権力を使って人妻バテ・シェバと姦通し、彼女が妊娠すると、事の発覚を恐れて彼女の夫を謀殺した事件)を起こした時にヨナタンが生きていたとしたら、彼はサウルに対してそうしたように、きっと命がけでダビデの目を覚まさせようとしたことでしょう。

私たちが、いつも神さまのみこころを知り、それに従う生き方を目指していけますように。その確かな生き方に基づいて、他の人との関係を誠実に保ち続けていくことができますように。

2.そんな友が欲しければ

まずあなたが誰かの友となろう

何よりも自分の幸せを願ってくれる友。そして、何があっても自分を見捨てない誠実な友。そんな友をどのようにしたら手に入れることができるでしょうか。

それは、あなたがまず誰かに対してそのような友となることです。

ヨナタンは、ダビデにとって最高の友となりました。彼は見返りを求めず、ダビデを大切にし続けました。二人の契約を読むと、一見ダビデからの見返りを求めているように見えますが、この時点ではダビデがヨナタンにお返しできるものは何もありません。ヨナタンがダビデを守ろうとしたのは、一方的な善意に基づくものだったのです。ですから、ダビデもまたヨナタンにとって良い友であり続けようとしました。

後にサウルとヨナタンが戦死し、ダビデが次の王になったとき、彼はヨナタンとの契約を実行に移します。ただ一人生き残っていたヨナタンの息子メフィボシェテを探し出し、彼を王宮に住まわせて、家族同様の扱いをしました(第2サムエル記9章)。それだけ、ダビデがヨナタンの友情に感動していたからでしょう。

だから、真実の友が欲しければ、私たちがまず他の人にとってそのような友となりましょう。

良きサマリヤ人のたとえ

イエスさまは「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」とお教えになりました。そして、自分を正しいと思っている人が「私の隣人とは、誰のことか」と尋ねると、有名な「良いサマリヤ人のたとえ」をなさいます。そして、傷ついた旅人を助けたサマリヤ人と、助けなかった祭司とレビ人の3人の中で、誰が強盗に襲われたものの隣人になったと思うか」と質問しました(ルカ10:30-37)。

質問者は、「誰が私の隣人ですか?」 すなわち、私の親切を受けるのにふさわしい人は誰ですかと尋ねました。それに対してイエスさまは、「助けを必要としている人がそこにいる。あなたはその人の隣人になるつもりがあるのか、ないのか、どちらだい?」とおっしゃったのです。

確かに、私たちの周りには、喜んで愛したいタイプの人もいますが、いろいろな理由で愛しにくいタイプの人もいます。私たちには難しくても、聖霊なる神さまは、私たちが愛することができるよう助けてくださいます。聖霊さまの助けを求めながら、愛しにくい人に対しても親切な言葉かけ、親切な行動を実践することができますように。

まとめ

真実の友情を、周りの人たちに対して実践しましょう。

あなた自身への適用のためのディスカッションガイド


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