あなたの避け所はどこ?

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第1サムエル記21章1〜15節

(2015.2.15)

参考資料

1節の「ノブ」は、エルサレムの少し北にあった町。この時代、祭司たちとその家族が住んでいたため、「祭司の町」(22:19)と呼ばれていました。

4節の「聖別されたパン」は、聖所で神さまに供えるパンで、新しいのと取り替えられた古いパンは、祭司が食べることになっていました(レビ24:5-9)。アヒメレクは、祭司ではないダビデにこのパンを与えました。イエスさまはその記事を引用して、安息日に麦の穂を摘んで食べた弟子たちを擁護し、あわれみはいけにえにまさることの例としておられますから(マタイ12:1-7)、この時のアヒメレクの行為は神さまのみこころにかなっていました。ですから、後にアヒメレクや仲間たちがサウル王の名によって殺されたのは(22:18-19)、アヒメレクの罪の罰ではありません。

7節のエドム人は、イスラエルの先祖ヤコブの兄エサウを起源とする民族で、死海の南に住んでいました。「サウルの牧者」とは、サウルの家来というような意味。

9節の「エポデ」は、祭司が儀式を行なう際に着る装束。出エジプト28:6-38によれば、金、青、紫、緋色のより糸と、より糸で織った亜麻布で作り、「さばきの胸当て」が金の輪によって結びつけられていました。

10節のガテは、パレスチナの地中海地方にあったペリシテ人の町。

聖書からのメッセージ

イントロ

親友ヨナタンの助けで、無事にサウル王の下を逃げ出したダビデでしたが、最初はたった1人で逃げ回らなければなりませんでした。この時の、彼の心にあったのは恐れでした。

私たちも、恐れや不安にさいなまれることがあります。そして、そんなときにやりがちなことがあります。

1.人を欺いたダビデ

アヒメレクの前で

ダビデは、食べるものもなく、武器も手にしていませんでした。そこで、それらを手に入れようとして、ノブの町にいる祭司アヒメレクの元を訪ねます。

祭司アヒメレクは、ダビデがお供も付けずにやって来たことをいぶかしんで、率直にそれについて尋ねました。するとダビデは、サウル王の密命によって行動していると答えます。ダビデが、サウル王に忠実で有能な戦士であることを知っているアヒメレクは、すっかりそれを信じました。

これはダビデの嘘です。もちろん、ダビデが語った言葉は、詐欺のように相手をだまして損害を与えるような、そんなひどい嘘とは言えません。しかし、聖書が教える罪の判断基準の1つは、それが信仰から出ていることかどうか、です。

パウロは、宗教的に特定の食べ物を食べてはならないということはなく、「すべての物はきよいのです」と教えています(ローマ14:20)。ただ、「しかし、疑いを感じる人が食べるなら、罪に定められます。なぜなら、それが信仰から出ていないからです。信仰から出ていないことは、みな罪です」(ローマ14:23)とも言っています。

では、ダビデの場合はどうだったでしょうか。ダビデがここで小さな嘘をついてしまったのは、サウル王を恐れ、これから先の生活に不安を抱えていたためです。そして、神さまの守りや導きを信頼しきれなかったためです。そこで、自分の知恵によって自分を助けようとしたのです。

アキシュの前で

食べ物と武器を手に入れたダビデは、サウル王の支配地域を離れて、ペリシテ人の土地に逃れました。ペリシテ人の国は5つの町の連合体でしたが、その一つであるガテの町に逃れたのです。

これもまた、ダビデの信仰が低空飛行をしていた証拠だと考えられます。神さまの守りを信じるより、自分で自分の身を守ろうとしたのですね。

ところが、正体を隠してガテにやってきたのに、すぐに「こいつはダビデではないか」と疑いをかけられ、捕らえられてしまいます。これまで、イスラエルの戦士としてペリシテ人をひどい目に遭わせてきたダビデですから、このままでは確実に殺されるでしょう。そこで、ダビデは気が狂ったふりをします。

ペリシテ人の王アキシュがダビデの正体に気付いていたかどうかは分かりませんが、演技のおかげでダビデは無事に町を追い出されることになりました。命は守られましたが、きっとダビデの心は惨めさでいっぱいになったことでしょう。

ここまでが今回の記事です。では、ダビデはここからどのように心と信仰とを回復していったのでしょうか。

2.神に信頼したダビデ

過ちを認めたダビデ

アヒメレクがダビデに食料と武器を提供したことが、サウル王の耳に入りました。そこで、サウル王はアヒメレク以下の祭司85人を殺し、そればかりかノブの町に住む人々を、乳飲み子や家畜に至るまで皆殺しにしてしまいました。

しかし、たった一人、アヒメレクの息子、エブヤタルが脱出に成功し、ダビデの元にやって来ました。エブヤタルから事の次第を聞いたダビデは、自分が不用意にアヒメレクに援助を願ったせい、そして密告する者がいることが予想できたのに、何の対処もしなかったせいで、この大虐殺が起きたということを知ります。彼はその痛い事実を素直に認めました。「私が、あなたの父の家の者全部の死を引き起こしたのだ」(22:22)

ダビデはすばらしい信仰の人でしたが、決して完全無欠の人ではありませんでした。私たちとはレベルが違いますが、やっぱり悩んだり苦しんだりしたし、時に神さまのみこころに反するようなことも繰り返しました。彼のすばらしいところは、過ちを示されたときに、素直にそれを認めることができたということです。

私たちはどうでしょうか。神さまはいろいろなことを通して、特に失敗の痛みを通して、私たちの問題点を指摘なさいます。そんなとき、「いや、私は悪くない。悪いのはあの人だ、政府だ、社会だ」などと責任転嫁しないで、素直に認めたいものですね。たとえ他の人や組織が悪く、こちらには全く非がないとしても、変えることができるのは自分の行動だけです。

祈り始めたダビデ

ダビデはエブヤタルに、自分が彼を保護することを告げました。このエブヤタルも祭司です。

この当時、神さまのみこころを知る方法は2つありました。1つは預言者を通して語られる方法で、もう1つは祭司がくじを引いてみこころを尋ねる方法です。

ノブの大虐殺は悲しむべき事件でしたが、ダビデの元に神意を伺うことができる祭司エブヤタルがやってきたことは、ダビデにとって大きな転換点となりました。こののち、ダビデは事あるごとに神さまに祈り、エブヤタルを通して神さまのみこころを尋ねています。

悔い改めとは、単に自分の過ちを悔いることだけではありません。必ず方向転換が伴わなければなりません。みこころにかなっていなかったことを認めたら、次にみこころにかなう生き方を始めるということですね。ダビデの場合には、神さまに祈り、神さまのみこころを求めるということでした。

神さまを信頼し始めたダビデ

ダビデが嘘をついたり、敵であるペリシテ人の領地に逃れようとしたりしたのは、神さまを信頼する代わりに、自分の知恵により頼んでいたためでした。

イザヤ書28:15にこんなことばがあります。「あなたがたは、こう言ったからだ。『私たちは死と契約を結び、よみと同盟を結んでいる。たとい、にわか水があふれ、越えて来ても、それは私たちには届かない。私たちは、まやかしを避け所とし、偽りに身を隠してきたのだから』」

ダビデは、恐れのあまり、まさに「まやかしを避け所とし、偽りに身を隠して」しまったのですね。しかし、そういう人たちは、「彼らが歩くとき、うしろざまに倒れ、手足を折られ、わなにかかって捕らえられる」と宣告されています(イザヤ28:13)。

しかし、同時にこう預言されています。「だから、神である主は、こう仰せられる。『見よ。わたしはシオンに一つの石を礎として据える。これは、試みを経た石、堅く据えられた礎の、尊いかしら石。これを信じる者は、あわてることがない』」(イザヤ28:16)

この石とは、人となられた神、救い主イエスさまのことです(第1ペテロ2:4-8)。自分の知恵ではなく、イエスさまの愛と力に信頼するとき、私たちの心には平安がやって来ます。ダビデもまた、神さまに祈り、神さまからの語りかけを待つようになってから、心に平安を取り戻しました。

ダビデの作と言われる詩篇34篇を味わいましょう。「ダビデによる。彼がアビメレクの前で気が違ったかのようにふるまい、彼に追われて去ったとき」という前文が添えられています(アビメレクとは、ペリシテ人の王の称号です)。

「私はあらゆる時に【主】をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。
私のたましいは【主】を誇る。貧しい者はそれを聞いて喜ぶ。
私とともに【主】をほめよ。共に、御名をあがめよう。
私が【主】を求めると、主は答えてくださった。私をすべての恐怖から救い出してくださった」(詩篇34:1-4)

まとめ

不安なときこそ、意識してイエスさまを信頼しましょう。

あなた自身への適用のためのディスカッションガイド


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