わたしは誠実を喜ぶ

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ホセア書6章1〜11節

(2015.3.22)

参考資料

この時代、イスラエルは南北2つの王国に分裂していました。4節のエフライムは北王国、ユダは南王国のことです(それぞれの代表的な部族名から、そう呼ばれています)。

今回の箇所は大きく2つに区分されます。1−3節は、この世の終わりの時代に、イスラエルが国家的な悔い改めをして、その時生き残っている全ユダヤ人が救われることを預言しています(ローマ11:26)。4節以降は、その当時のユダヤ人の様子を表しています。彼らの多くはまことの神さまへの信仰を失い、モーセの律法に反する生き方をしたり、外国の軍事力に頼ったりしていました。そのため、神さまからのさばき(教育的指導)が下ると預言されています。

3節の「後の雨」は、3〜4月頃に降る雨のことで、刈り取り前の穀物を豊かに実らせてくれます。

6節は、イエスさまがマタイ12:7で引用なさいました。その際、「誠実」という言葉は「あわれみ」と訳されています。

8節の「ギルアデ」は、ヨルダン川の東側の地域。9節の「シェケム」は、イスラエルのほぼ中央にあった町で、幹線道路が交差する要所でした。

聖書からのメッセージ

イントロ

イエスさまも引用なさった6節は、今の私たちにとってどんな意味を持っているのでしょうか。

1.警告

契約を破ったイスラエルへのさばき

「参考資料」に書いたように、今回の箇所は2つに区分されます。まずは後半から見ていきましょう。ここで神さまは、イスラエルの人々が、神さまとの契約を破り、神さまを裏切ったと指摘なさいました(7節)。

ここでイスラエルが破ったと指摘されている契約とは、シナイ契約(あるいはモーセ契約)と呼ばれるもので、イスラエルがモーセの律法を守れば祝福され、破れば呪いを受けるという内容です。

ホセアが活躍した時代のイスラエルの人々は、モーセの律法を真面目に実行しようとしない人が多かったようですね。彼らは、
  • 他の神々を拝むなと言われているのに異教に走ったり
  • 偶像礼拝をするなと言われているのに、木や石で神の像を造って拝んだり、
  • そんなことをするなと禁じられているのに、盗んだり、殺したり、配偶者以外の人と性的な関係に陥ったり、偽証したり
……しました。

ですから、神さまは契約通りに彼らをさばくとおっしゃっているわけです。

ヘセズ

しかし、中には「ちょっと待ってください。私たちはモーセの律法を忠実に守っています」という人がいたかもしれません。「私たちは偶像礼拝なんかしていませんし、殺人も盗みも姦淫も偽証も犯していません。モーセの律法が教えているとおり、いけにえを捧げて神さまを礼拝しています。そんな私たちをどうしてさばかれるのですか」と。

それに対して、神さまはいけにえ自体には何の意味も無いとおっしゃいます。それが6節の言葉であり、イエスさまが引用なさった箇所です。「わたしは誠実を喜ぶが、いけにえは喜ばない。全焼のいけにえより、むしろ神を知ることを喜ぶ」

ここで「誠実」(マタイ12:7では「あわれみ」)と訳されている言葉は、ヘブル語では「ヘセズ」です。ヘセズというのは、契約に関係する用語で、契約の当事者が、契約によって生じた義務を行なうに当たって示す、熱心さ、誠実さ、優しさ、忠実さなどを表しています。「神を知る」とは、「神を愛する」「神と愛の交わりをする」ということと同じニュアンスです。

すなわち、契約を遂行するに当たっては、何をするかも大事だけれど、どういう心、どういう態度で行なうか、それがもっと大事だということです。

ホセア書で語られた「わたしはヘセズを喜ぶ」という言葉は、いけにえをただ形式的に捧げるなら意味はない。心を込めて、すなわち神さまへの愛、感謝、喜び、畏怖の念などを込めて捧げるのでなければ、そんな捧げ物は神さまの心を動かさないよというメッセージなのです。

儀式それ自体が神さまを喜ばせることはありません。儀式の背後にある、私たちの真心を神さまは喜ばれます。

だからイエスさまは、心の中で誰かを馬鹿にしたら、それは殺人を犯したのと同じだし、心の中で妻以外の女性に対して情欲を抱いたら、それは姦淫を犯したと同じなんだとおっしゃったわけです(マタイ5章)。

神さまは心をご覧になる

現代の私たちは、モーセの律法を行なう義務はありませんが、パウロがキリストの律法(第1コリント9:21)と呼んだ、新約聖書に書かれている様々な命令に従おうとしています。また、それぞれの教会がそれぞれの伝統に基づいて様々な儀式を行なっています。礼拝式もそのひとつですね。

その際、問題になるのが、どんな心でそれを実行しているかということです。
  • ただ習慣的に、式文を朗読したり、賛美歌を歌ったりしてこなかったでしょうか。
  • 会員として決められているからという理由だけで、献金をしてこなかったでしょうか。
  • 毎年の恒例行事だからという理由で、トラクト配りをしたり、イースターの祝会に参加したりしてこなかったでしょうか。
  • 頼まれたから仕方なくという気持ちで、奉仕に参加してこなかったでしょうか。
  • 誰かに親切な行ないをする際、本当に心を込めて行なっていたでしょうか。
儀式や形式は大切ですが、それ以上に大切なのは、その儀式や形式が元々表していた、神さまに対する私たちの信頼や感謝や感動です。習慣的にではなく、いつもフレッシュな新しい心で、礼拝をささげ、伝道し、奉仕し、愛のわざを行ないましょう。

「新しい歌を主に向かって歌え。喜びの叫びとともに、巧みに弦をかき鳴らせ」(詩篇33:3)。新しい歌とは、文字通り新曲というだけでなく、たとえ昔に作られた賛美歌でも、新しい思いで歌われる歌ということでしょう。

しかし、「心を込めて」と言われても、正直に自分の信仰生活を振り返ってみると、できていないことが多いし、足りないことが多いということを認めざるを得ません。もし、このメッセージが、「心を込めて、神さまにお仕えしましょう」というチャレンジだけで終わるとしたら、それはあなたをつらい思いにさせるものになるかも知れませんね。

2.約束

一時的なさばきと最終的な救い

多くのイスラエル人は、表面の形だけは整えたとしても、神さまへの真実の信仰、愛、感謝の思いを忘れてしまいました。その結果、さばきを招くことになり、北王国はアッシリアに、南王国はバビロンに滅ぼされます。

イエスさまの時代のイスラエルも、形式主義に陥っていました。イエスさまは、ホセアの預言を引用して、当時のユダヤ人に警告なさいましたが、結局その時代のイスラエルも悔い改めようとしませんでした。その結果、さばきを招き、紀元70年にローマ帝国によってイスラエルは滅ぼされてしまいます。

しかし、それでも神さまはイスラエルを完全には見捨てませんでした。アッシリアとバビロンに滅ぼされた時も、ローマによって滅ぼされて世界中に散らされた時も、神さまはイスラエルを生き残らせてくださり、そのたびに約束の地に戻してくださいました。

そして、この世の終わりに、イスラエルは国家的に悔い改めて、救いを経験すると約束なさいました。

契約の故に

それは、神さまとイスラエルの間に結ばれた契約の故です。神さまはイスラエルの先祖であるアブラハムに対して、こう約束なさいました。「わたしは、あなたが滞在している地、すなわちカナンの全土を、あなたとあなたの後のあなたの子孫に永遠の所有として与える。わたしは、彼らの神となる」(創世17:8)

さらに、モーセ契約とは別に、イスラエルと「新しい契約」と呼ばれる契約も結ばれました(エレミヤ31:31-40)。

「見よ。その日が来る。──【主】の御告げ──その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。
その契約は、わたしが彼らの先祖の手を握って、エジプトの国から連れ出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破ってしまった。──【主】の御告げ──
彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。──【主】の御告げ──わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
そのようにして、人々はもはや、『【主】を知れ』と言って、おのおの互いに教えない。それは、彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るからだ。──【主】の御告げ──わたしは彼らの咎を赦し、彼らの罪を二度と思い出さないからだ」


神さまは、この新しい契約に基づく救いの祝福を、私たちユダヤ人以外の民族(異邦人)にも与えてくださいました。

「その奥義とは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人もまた共同の相続者となり、ともに一つのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となるということです」(エペソ3:6)

「ですから、思い出してください。あなたがたは、以前は肉において異邦人でした。すなわち、肉において人の手による、いわゆる割礼を持つ人々からは、無割礼の人々と呼ばれる者であって、そのころのあなたがたは、キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、約束の契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない人たちでした。 しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。(エペソ2:11-13)

感謝と喜びをもって

ですから、私たちは心のこもらない儀式主義的な礼拝や、重荷ばかりの義務的な奉仕ではなく、私たちを救ってくださり、決して見捨てず、愛し、守り、導いてくださる神さまに感動し、感謝と喜びを持って仕えていきましょう。

たとえその点で失敗しても、神さまは決してあなたを見捨てません。改めて、感謝と喜びを持って仕えましょう。

まとめ

心を込めて、慈愛に満ちた神さまにお仕えしましょう。

あなた自身への適用のためのディスカッションガイド


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