平安があなたがたにあるように

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ヨハネによる福音書20章29〜23節

(2015.4.5)

参考資料



聖書からのメッセージ

イントロ

十字架にかけられ、死んでしまったイエスさまは、3日目に復活なさいました。そして、弟子たちが隠れている家に来られ、「平安があるように」とおっしゃいました。イエスさまは、弟子たちに平安を与えてくださろうとしています。そして、私たちにも。それはどんな平安でしょうか。

1.神との平和

様々な意味

「平安」と訳されている言葉は、ギリシャ語で「エイレーネー」で、ヘブル語では「シャローム」といいます。シャロームは、ユダヤ人のあいさつの言葉でもありますが、ここでは単なるあいさつ以上の意味があります。

シャロームは、旧約聖書では、たとえば「精神的な平安」(詩篇4:8)、「経済的な繁栄」(詩篇73:3)、「健康」(詩篇38:3)、「友好」(ヨシュア9:15)、「和解」(第1列王20:18)というような意味で用いられています。シャロームとは、精神的にも、物質的にも、社会的にも、健全で充実している状態のことです。

新約聖書のエイレーネーは、シャロームの意味を引き継ぎながら、特にイエスさまが与えてくださる平和、特に霊的な面での平和・平安を強調しています。たとえば、ローマ5:1でパウロはこう語っています。

「ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています」

神との敵対

「神との平和を持っている」という言葉には、「かつては、神と敵対関係にあった」ということが示唆されています。聖書は、私たち全人類が、天地を造られた唯一まことの神さまを無視し、神さまに逆らって生きてきたと指摘しています。これは宇宙の支配者でいらっしゃる神さまに対する反逆罪です。人間の罪は、神さまとの関係をおかしくしてしまいました。

私たちは、元々神さまに愛され、祝福されています。しかし、あらゆる祝福の源である神さまとの関係がおかしくなったために、私たちはその他の、精神的・物質的・社会的な平和、平安、充実も十分に味わうことができなくなりました。

世界に目を転じれば、今もあちこちで戦争や内戦、テロなどで、人と人とが殺し合っています。戦争状態にない日本でも、個人に目を転じれば、様々な理由で人間関係がおかしくなり、人と人とが争ったり、傷つけ合ったりしています。本来最も近い味方であるはずの家族同士で争うこともあります。そして、たとえお金や物を持っていても、東京山の手の高級住宅街に住んでいても、それでも今の自分の状況に満足することができないで、「もっと欲しい」という飢え渇きを覚えて苦しんでいます。シャロームを失った状態なのです。

神との和解

しかし、イエスさまは、そんな私たちにシャロームを届けてくださいました。イエスさまは、あなたを罰するためではなく、あなたにシャロームに満ちた人生を味わって欲しいと願い、近づいてくださいます。

イエスさまは、平安があるようにと言いながら、ご自分の手と脇腹を示されました。手には十字架にはり付けになった時の釘の跡、脇腹には死んだかどうか確かめるために刺された槍の跡があります。イエスさまの傷は、イエスさまが十字架にかかられた方だということを示しています。

先週学んだように、イエスさまは自ら進んで十字架にかかり、血を流され、命をお捨てになりました。それは、私たちの身代わりとして罪の罰を受けてくださることによって、私たちの罪が赦されるためです。そのおかげで、私たちと神さまとの間に平和がやって来ました。

私たちは、イエスさまが私たちの罪を赦すために死なれ、復活なさったことを信じるだけで、すべての罪を赦され、神さまと和解し、神さまの子どもとして、精神的・物質的・社会的にもシャロームをいただくことができます。

もしも、今のあなたが精神的、物質的、あるいは社会的に平和、平安、充実を失った状態でいらっしゃるのなら、神さまとの関係がおかしくなっていなかったか、もう一度振り返ってみましょう。私たちの罪はイエスさまによってすべて赦されています。しかし、引き続き私たちの心が神さまに従っていなければ、私たちは神さまが与えてくださるシャロームを受け取ることができません。

自分の心が神さまから離れていたことに気付いたら、すぐに悔い改めの祈りをし、赦されていることを感謝し、もう一度神さまを愛し、従うことを決意しましょう。場合によっては、それを具体的な行動で表す必要があるかも知れません。

もう一度言います。イエスさまは、あなたを罰するためではなく、あなたにシャロームに満ちた人生を味わって欲しいと願い、近づいてくださいます。それを、毎日毎日、一瞬一瞬味わわせていただきましょう。

2.人々に届ける平和

弟子たちへの使命

イエスさまは、もう一度「シャロームがあるように」とおっしゃいました。そして、弟子たちに使命をお与えになりました。「父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします」(21節)

今度のシャロームは、私たち自身が味わうものではなく、他の人に届けるためのシャロームです。私たちが霊的、精神的、物質的、社会的に平和、平安、充実を必要としているように、私たちの大切な家族や友だち、同僚、地域の人たちもそれを必要としています。私たちがまだ会ったことのない人たちも、外国の人たちもそれを必要としています。

あなたの体験したシャロームを語ろう

といっても、特に難しい神学や哲学を語る必要はありません。まずはその人たちがイエスさまのくださるシャロームを受け取ることができるよう祈りましょう。

それから、あなたがイエスさまによって味わわせていただいたシャローム、それを伝えれば良いのです。あなたが、イエスさまのくださるシャロームをほんの少しでも味わっているなら、そのことを他の人にも伝え、「イエスさまはあなたにもシャロームを与えてくださいますよ」という希望のメッセージを伝えましょう。

救われる前のあなたと今のあなたを比較してみましょう。あるいは、一年前のあなたと今のあなたを比較してみましょう。イエスさまは、あなたにどんな平和、平安、充実を与えてくださいましたか? あなたの心や行動やどんなふうに変わりましたか? あなたの家庭や学校や職場や地域での人間関係はどんなふうに変わりましたか?

聖霊の助け

他の人にシャロームを伝える働き、すなわち伝道は、必ずしも楽な働きではありません。無視されたり、馬鹿にされたり、場合によっては迫害されたりすることもあります。時間的にも、体力的にも、気力的にも、経済的にも、様々な犠牲を伴うこともあります。そこで、しんどいなあと思ったり、恐れに満たされたりすることもあるでしょう。

この時の弟子たちは、「ユダヤ人を恐れて戸がしめてあった」(19節)という状態でした。そんな弟子たちに、イエスさまは息を吹きかけ、「聖霊を受けなさい」とおっしゃいました(22節)。ちなみに、霊という言葉と息という言葉は同じです(ヘブル語でルーアフ、ギリシャ語でプニューマ)。

あなたは、イエスさまのくださるシャロームを他の人にも届けるという使命を、一人で果たすのではありません。教会の仲間たちも、祈りや具体的な行動で助けてくれます。そして、誰よりも聖霊さまという力強い味方がいます。

神の霊である聖霊さまは、クリスチャンであるあなたの内に住んでくださり、イエスさまがくださるシャロームであなたを満たし、他の人にシャロームを届ける力を与えてくださいます。そして、あなたの家庭が、職場が、学校が、地域が、この国が、やがて世界が変えられていきます。

そんなものすごいプロジェクトにあなたは招かれています。あなたの人生から、その変化は始まります。

まとめ

イエスさまがくださるシャロームを、もっともっと味わいましょう。

あなた自身への適用のためのディスカッションガイド


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