心配しなくてよい

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マタイによる福音書6章25〜34節

(2015.5.3)

参考資料

29節の「ソロモン」は、イスラエル史上最も広大な領土を支配した王です。しかも、戦争によってではなく、平和のうちにそれを実現しました。

32節の「異邦人」は、ユダヤ人以外の民族、すなわちまことの神さまを信じていない人たちのことです。

聖書からのメッセージ

イントロ

毎日の生活を送る中で、私たちはいろいろな心配事で悩まされることがあります。食事のこと、着物のこと、家のこと、あるいは仕事や家庭のこと、人間関係のこと、自分自身の生き方のこと……。

皆さんは、今どんなことを心配していらっしゃるでしょうか。心配事が別にないというなら、それは幸いなことです。しかし、様々な心配事で心がふさいでしまうことが、人生の中では起こることがあるのではないでしょうか。あるいは、あなたの周りに、心配事を抱えて悩んでいらっしゃる方が、一人や二人はおいでなのではないでしょうか。

そんな私たちに対して、イエスさまはどんなことを教えてくださっているのでしょうか。

1.心配しなくてよい

解放のメッセージ

故・古川第一郎牧師は、「〜するな」という神さまの禁止命令は、私たちを束縛するメッセージではなく、「もうそんなことにとらわれなくてよい」という、解放のメッセージとして読むことができるとおっしゃいました。31節で、イエスさまは「心配するのはやめなさい」とおっしゃっていますが、これも「もう心配しなくていいんだよ」という語りかけです。

なぜ心配しなくていいのでしょうか。それはイエスさまがうまくやってくださるからです。あなたは、自分一人で何とかしなければと、問題を抱え込んでいっぱいいっぱいになっていませんでしたか?

詩篇4篇方式

詩篇4:3に、心配事やイライラへの対処法が書かれています。「恐れおののけ。そして罪を犯すな。床の上で自分の心に語り、静まれ」

ここで、「恐れおののけ」という言葉を、七十人訳は「怒れ」と訳しています。エペソ4:26で「怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません」と書かれていますが、詩篇4:3を念頭に置いての語りかけでしょう。

心配事やイライラが高じて、罪を犯したり、つまらない失敗をしてしまったりする前に、自分自身に向かって語りなさいと詩篇の記者は勧めています。何を語るのでしょうか? その前の3節にはこう書かれています。「知れ。【主】は、ご自分の聖徒を特別に扱われるのだ。私が呼ぶとき、【主】は聞いてくださる」

今、目を閉じて、あなたの心配事を一つ思い起こし、その心配な気持ちやイライラする気持ちをじっくりと味わいましょう。次に、「神さまがついていてくださるのだから、心配しなくていいよ」と、何度か自分の心に向かって語ってあげましょう。これは、気休めでも自己暗示でもありません。イエスさまの約束だからです。

2.神の国と神の義を求めよう

神の国を求める

31節で、イエスさまは、神の国と神の義を求める、すなわち第一のものを第一にすると、あなたが欲しいと思っているものは、おまけで付いてくるとおっしゃいました。

「神の国」は、神さまが王として支配する国のことです。これが目に見える形で実現するのは、世の終わりの時、イエスさまが再臨なさるときです。旧約聖書には、神の国の実現について、たくさんの箇所で預言されています。この神の国の実現を求めなさいとイエスさまは勧めています。

しかし、神さまは全知全能であり、唯一の宇宙の支配者ですから、今でも神さまの支配の及ばないところはないはずです。悪魔でさえも、神さまの許可無しには自由に活動することができないのですから。

今はまだ目に見える形では神の国は来ていません。しかし、今も神さまの支配が及ばない領域はないし、神さまに不可能はないということを、私たちはもっともっと信じられるようにならなければなりません。神の国を求める祈りには、この自分が神さまの全知全能を信じることができるようにという願いも込められています。

この点に関しては、前回のメッセージもお読みください。

神の義を求める

「神の義」とは、神さまとの正しい関係ということです。どんなに神さまに力があっても、私のことを神さまが無視していたら意味がないし、神さまが私たちを憎んでいたとしたら、かえって恐ろしいことになってしまいます。そこで、神さまと仲良しになれますようにと求めなさい……ということです。

しかし、実は神さまの方では、永遠の昔から、私たちと仲直りしようと決めてくださっていました。そして、イエスさまが十字架にかかり、私たちが神さまに無視されたり憎まれたりする理由を無くしてくださったのです。ですから、神さまの方では仲直りの準備は終わっているんですね。

では、神の義を求めるとはどういうことでしょうか。神さまはこの私と仲直りして、良い関係になって、そして神さまのものすごい力と知恵を使ってくださるんだということを、私がもっともっと信じられるようにということではないでしょうか。

助けを求める

信仰もまた、神さまからの賜物(プレゼント)です。神さまの全知全能をもっともっと信じられるようにと、今日も神さまに助けを求めましょう。また、神さまに愛されていること、だから何があっても大丈夫なのだということを、私たちがもっともっと信じられるよう、今日も祈りましょう。

3.その日の「労苦」に集中しよう

今ここに集中する

「明日のことを思いわずらうな。労苦はその日その日に十分ある」とイエスさまはおっしゃいました。計画を立てたり、将来のために貯金をしたりすることを禁じているわけではなく、考えたり心配したりしても仕方がないことを、あれこれを思い悩まなくていいよとおっしゃっているのです。

考えても仕方のないことで思いわずらうことがなくなると、私たちは今ここを楽しみ、今ここに全力を傾けることができるようになります。そして、その日その日に十分用意されている課題を、一つ一つこなしていくことができます。

ある人が牧師に、「キリストを信じれば、もう悩みなんかなくなるのですか?」と質問しました。牧師は答えました。「いいえ。悩みはなくなりません。でも、つまらないことで悩まなくて済むようになり、人生で本当に考えなければならない課題について悩めるようになります」。

労苦が喜びとなる

34節には「労苦」と書いてありますが、「わたしに任せておけば大丈夫」とおっしゃるイエスさまが一緒にいてくださるなら、毎日の労苦は、ただ単に苦しい難行苦行ではなくなります。

アメリカの黒人奴隷の人たちは、毎日家畜のように過酷な労働を強いられ、ほとんど人間扱いされずに暮らしていました。彼らは、やがて神さまがすばらしい天国に連れて行ってくださるということを希望に抱いていました。「深い川」などの黒人霊歌は、そんな彼らの希望を美しく歌い上げています。

しかし、天国に行く前、またリンカーンが彼らを解放してくれる前、相変わらず奴隷主の罵声とムチとが飛んでくるような環境の中で、それでも彼らは神さまが共にいてくださることを感じていました。そして、大変な労働の合間に飲む冷たい水、畑の片隅に咲いている小さな花、飛び回るミツバチ、ぺこぺこのおなかで食べる食事、そして、苦労を共にし支え合う家族や友人たちを通して、神さまが共にいて支えてくださっているという喜びや感動を味わったのです。それらの喜びや感動もまた、黒人霊歌の中で美しく表現されています。

少女パレアナ

「少女パレアナ」という物語は有名ですね。わずか11歳にして孤児となった彼女は、意地悪な叔母に引き取られ、様々な苦難を味わうわけですが、どんなことの中にも喜びの種を見つけだし、感謝に結びつけていきました。

たとえば、叔母に引き取られたパレアナは、何もない屋根裏の部屋を与えられ、最初はがっかりします。しかし、すぐにこうつぶやきます。「鏡のないのもうれしいわ。鏡がなければ、ソバカスも見えませんものね」。

この「良かった探し」のゲームは、牧師であった父親から学んだことでした。そして、パレアナによって「良かった探し」のゲームは町中に広まり、町中の人たちが幸せを味わい、楽しむことができるようになりました。

ところがある日、パレアナは交通事故に遭い、足が不自由になってしまいます。今度ばかりは喜びを見つけることができず、パレアナは失意のどん底に沈んだままでした。そんなとき、最後まで「良かった探しのゲーム」の仲間に入らなかった叔母が、ベッドに横たわるパレアナに向かって言いました。「町中の人がこの遊びをして、町中が前よりもおどろくほど幸せになっている。これもみな、人々に新しい遊びとそのやり方を教えた、たった一人の小さな女の子のおかげなのだよ」。

叔母も「良かった探し」の仲間になったのだと知ったバレアナは、病床で手を叩いて、「ああ、あたし、うれしいわ」と叫びました(角川書店『少女パレアナ』より)。

「あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります」とは、その日の労苦が大変だから、とても明日のことなんて考えている余裕がないはずだという意味ではありません。大変な労苦も、イエスさまが共にいてくださるとき、喜びと感動の種になる。だから明日だって大丈夫と思える、という意味です。

まとめ

イエスさまは、あなたが余計な心配をしなくてすむように、心憎い配慮をしてくださいます。

今また、目を閉じて、あなたの心配事、あるいは悩み事を一つ思い起こし、その心配な気持ちをじっくりと味わいましょう。次に、そこにイエスさまをお迎えしましょう。「わたしは戸の外に立って叩く」とイエスさまはおっしゃいました(黙示録3:20)。心の扉を開いて、イエスさまに入っていただきましょう。イエスさまは、あなたに何かおっしゃるでしょうか。何かをしてくださるでしょうか。

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