生ける水の川

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ヨハネの福音書7章37〜39節

(2015.5.24)

参考資料

37節の「祭り」は、仮庵の祭りのこと(7:2)。イスラエルが、エジプトを脱出して荒野で生活したことを記念して(レビ23:39-43)、そして収穫を感謝して(出エジ23:16)行なわれ、祭りの期間は木の枝で作った仮小屋に住みました。7日間続く祭りの間、神殿ではいけにえがささげられます(合計70頭)。祭りの終わりの大いなる日は、仮庵の祭りの最終日のことです。

イエスさまの時代には、仮庵の祭りの期間中、エルサレムの水源であるギホンの泉で汲まれた水が、神殿の祭壇に注がれました(水のない荒野で、モーセが岩を打って水を出した故事を記念してのことと言われています)。そこで、イエスさまが水のたとえを語られたのだと考えられます。

「生ける水」とは、不潔でよどんだため水ではなく、泉からこんこんとわき上がる新鮮な水のこと。

39節の「栄光を受ける」とは、イエスさまが十字架にかかって死んだ後、復活し、天にお帰りになり(昇天)、父なる神さまの右の座にお着きになったことです。イエスさまが天にお帰りになるまでは、聖霊さまは地上に来られません(ヨハネ16:7)。

聖書からのメッセージ

イントロ

今日は、教会歴ではペンテコステです。復活したイエスさまが天にお帰りになってから10日後、ユダヤのペンテコステ(小麦の収穫感謝祭)の祭りの日に、天から聖霊なる神さまが降ってこられ、弟子たち一人一人の内に留まりました。以来、聖霊さまはクリスチャンの内に住んでくださっています。

今回の箇所で、イエスさまが語られた「生ける水」は、クリスチャンに与えられる聖霊さまのことを指しています。聖霊さまは、私たちに何をしてくださるのでしょうか。

1.渇きをいやす

だれでも渇いているなら

イエスさまは、「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい」とおっしゃいました。そして、聖霊さまのことを、渇きをいやす生ける水にたとえられました。

イエスさまは、イエスさまを信じるなら、「その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出る」とおっしゃっています。ですから、ここでイエスさまがおっしゃっている渇きは、のどの渇きやお肌の乾燥のことではなく、心の渇きのことだと分かります。私たちは、心にどんな渇きを経験するでしょうか。

本当に欲しいもの

何年か前に書いた、ビジネスに関するメモが出てきました。そこにこんな言葉が書いてありました。「お客さまは、あなたの商品が欲しいわけじゃない。お客さまが欲しいのは、お客さま自身の幸せな未来。それを手に入れるため、あなたの商品が役に立つと思えば、お客さまはあなたの商品を買うかも知れない」。

お金が欲しい、健康になりたい、友だちが欲しい、喧嘩した人と仲直りしたい、彼氏/彼女が欲しい、結婚したい、子どもが欲しい、やりがいのある仕事に就きたい、おいしいものが食べたい、実年齢より若く見られたい、名誉が欲しい、高い地位が欲しい……私たちはいろいろなものを欲しがります。それは、それを手に入れれば幸せになれると思っているからです。

「ああ、充実した人生だ」「ああ、私は幸せだ」と思えること。それを私たちは切に願っています。そのために、私たちはいろいろなものを手に入れようとするのです。

ところが、欲しいものはそう簡単には手に入らないものだし、たとえ手に入ったとしても、いずれそれでは満足できなくなって、「もっと欲しい」「別のものが欲しい」と思い始めます。あるいは、手に入れたことでかえって問題が発生することもあります。

イエスさまがサマリヤの女に、「この水(井戸の水)を飲む者はだれでも、また渇きます」とおっしゃった通り(4:13)、私たちの心はいつも渇いていて、本当の満足を得ることができないでいます。

イエスさまは、聖霊さまがその心の渇きをいやしてくださるとおっしゃいました。しかも、かすかに染み出してくるようなやり方ではなく、ごうごうと流れる川のようにあふれ出るというのです。

私たちが本当に求めているもの。どんな環境に置かれても、何を持っていても持っていなくても、それでも充実感や満足や喜びや感動を味わいながら生活できること。それを聖霊さまは与えてくださいます。

2.神との関係回復

聖書が言っているとおり

では、どのようにして聖霊さまは私たちの心に本当の幸せをもたらしてくださるのでしょうか。

そのヒントは、イエスさまがおっしゃった「聖書が言っているとおりに」という言葉にあります。旧約聖書に「心の奥底から、生ける水の川が流れ出る」という言葉そのものは見られませんが、イザヤ44:3、55:1など関連する箇所を見出すことができます。ここでは、エゼキエル36:25-27に注目してみましょう。

「わたしがきよい水をあなたがたの上に振りかけるそのとき、あなたがたはすべての汚れからきよめられる。わたしはすべての偶像の汚れからあなたがたをきよめ、あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。わたしの霊をあなたがたのうちに授け、わたしのおきてに従って歩ませ、わたしの定めを守り行わせる」

ここで語りかけられている「あなたがた」とは、イスラエル(ユダヤ人)のことです。イスラエルが世界の民族の中で特別に選ばれたのは、彼らを通して全世界が救いに導かれるためでした。そのためには、彼らは神さまと親密な関係を作り上げ、大いに祝福されることによって、まことの神さまを信じていない人々に「いいなあ」と思ってもらう必要がありました。ところが、イスラエルのほとんどは神さまに忠実に歩みませんでした。

預言者エゼキエルの時代は、その罰として、バビロンによって国が滅ぼされ、多くの人々がバビロンの都に捕囚されていました。エゼキエルもその一人です。

しかし、エゼキエルは神さまの約束を聞きます。きよい水が振りかけられるとは、イスラエル人の内に新しい霊が与えられること、すなわち聖霊さまが内に住んでくださることを指します。そのとき、イスラエルは神さまに忠実に従うことができるようになり、神さまとの関係が回復するのだと。

罪の克服

私たち人間が、何を手に入れても、なかなか本当の幸せを感じることができず、心に飢え渇きを覚えるようになったのは、アダムの堕落以来です。すなわち神さまの命令に反して罪を犯し、神さまとの関係がおかしくなってからです。

アダムが罪を犯したとき、
  • あんなに身近な存在だった神さまのことを、恐れるようになりました。
  • 裸の自分、すなわちありのままの自分を受け入れられなくなりました。
  • 愛する対象であったはずのエバと、どちらが相手を自分の思い通りに動かすか、権力闘争をするようになりました。
  • 自然が呪われてしまい、自然が時人間を傷つけ、人間もまた自然を破壊するようになりました。
しかし、神さまは人間の罪の問題を解決してくださいました。イエスさまが十字架にかかり、復活してくださったことにより、私たちの罪の罰は完全に取り除かれました。神さまと私たちの関係は回復したのです。

そればかりではありません。エゼキエルの預言は、イスラエルに対して語られたものですが、イエスさまは、イスラエルであってもそれ以外の民族であっても、イエスさまを信じた人は皆、聖霊さまを受けることができると約束してくださいました。

内に住んでくださる聖霊さまは、エゼキエルの預言にあるように、私たちを神さまに忠実な者に造り変えてくださいます。それにより、私たちはますます神さまと仲良くなることができます。

そして、私たちの心が神さまに近づけば近づくほど、どんな状況にあっても、何を持っていても持っていなくても、それでも幸せを感じることができるようになっていくでしょう(こちらの詩をお読みください)。

3.聖霊に満たされよう

あなたも聖霊に満たされる

イエスさまは、38節で、私たちが聖霊をいただくための条件を語っておられます。それは、イエスさまを信じることです。

言葉を返せば、あなたがイエスさまを信じ、クリスチャンになったのなら、必ず聖霊さまをいただいているし、心の内から生ける水の川が流れ出るようになり、どんな状況にあっても幸せを感じることができるようになるということです。

そう信じよう

聖書の約束を受け取る原則は、昔も今も変わりません。それは、
  1. 神さまの約束を聞き、
  2. それを信じる
ことです。あなたはすでに神さまの約束を聞きました。それを信じましょう。その時、あなたは聖霊さまに心を満たされ、渇きをいやしていただけます。

聖霊さまに満たされるとき、人によっては深い喜びに涙が止まらなくなったり、体がしびれたり、立っていられなくなったり、習ったことのない言葉(異言)が出てきたり、幻を見たりするかもしれません。しかし、何も感じない人もたくさんいます。それでもまったく問題ありません。

恋をすれば、その人の前でドキドキしたり、ぼーっとなったり、うまく言葉が出てこなくなったりします。しかし、重要なのは相手を大切に思うことそのものであって、そういう「症状」それ自体を求めることには何の意味もありませんね?

聖霊の満たしも同じです。大切なことは、あなたがイエスさまを信じていること。そして、ますますイエスさまを愛し、この方に従いたいという思いが強くなることです。しびれたり、倒れたり、涙が出たり、新しい言葉を語ったりすることは、それほど重要なことではありません。

繰り返そう

エペソ5:18では「聖霊に満たされなさい」と命ぜられています。この言葉には、文法的に「繰り返し、満たされ続けなさい」というニュアンスがあります。聖霊の満たしは、それがどんなに劇的な体験であったとしても、1回限りのものであってはなりません。

「何かが足りない」と心に飢え渇きを感じるたびに、あるいは神さまとの関係、イエスさまとの関係が何だか水くさいものに感じるたびに、イエスさまの約束を思い出して、聖霊さまに満たされることを信じましょう。

まとめ

あなたがクリスチャンなら、聖霊に満たされて、心の渇きをいやしていただけます。

あなた自身への適用のためのディスカッションガイド


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