イエスの願い

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ルカによる福音書9章59〜60節

(2015.6.7)

参考資料




聖書からのメッセージ

イントロ

イエスさまが話をなさった3人の人物の、今回は2人目です。今回も、イエスさまについて行くに当たっての心構えを学びましょう。

1.優先順位を確立しよう

体のいい拒否の言葉

1人目と違い、今回はイエスさまの方から「わたしについて来なさい」と声をかけました。ところが、その人は「まず行って、私の父を葬ることを許してください」と言いました。

当時のイスラエルでは、親が亡くなると、長男は葬儀を取り仕切り、さらに1年間喪に服しました。ですから、イエスさまに従うことができるのは、少なくとも1年先だというわけです。

しかも、この人の父親は亡くなったばかりだとも、危篤状態だとも言われていません。もしかしたら、今はぴんぴんしているかもしれません。そうなると、イエスさまに従うのはずっとずっと先です。

要するに、これは体のいい断りの言葉です。

より重要なことがある

これに対して、イエスさまは「死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい」とおっしゃいました。後半の死人は、文字通り亡くなった人のことですが、前半は違います(死んだ人は葬儀を行なうことができませんものね)。これは、霊的に死んだ人という意味で、まだイエスさまを信じて救われていない人を指しています。

そして、「あなたは出て行って、神の国を言い広めなさい」とお命じになりました。

これは、葬儀なんかどうでもいいとか、親族を大切にしなくていいとかいう意味ではありません。イエスさまの時代には、モーセの律法がまだ有効でしたが、律法の5番目に出てくる命令は「あなたの父と母を敬え」(出エジプト20:12)です。

そして、親族の葬儀を行なうことは、他の宗教行事よりも優先されました。たとえば、非常に厳格に汚れを避けねばならなかった祭司でも、親族の葬儀を行なうことは神殿での仕事に優先して許されていました。

「ついで【主】はモーセに仰せられた。「アロンの子である祭司たちに言え。彼らに言え。縁者のうちで死んだ者のために、自分の身を汚してはならない。ただし、近親の者、母や父、息子や娘、また兄弟の場合は例外である」(レビ21:1-2)

ただし、祭司の中でも大祭司だけは、たとえ父母の葬儀であっても、死体に近づいて汚れることを禁じられていました(レビ記21:10-11)。大祭司は国全体を左右する重要な任務を帯びており、しかも代理がいませんから、汚れによって職務を滞らせることがあってはならなかったからです。

イエスさまは、親族を手厚く葬ることの大切さを認めつつ、しかしもっと重要なこと、より優先されなければならないことがあるということを、ここで言おうとなさっています。それは、神の国を言い広めることです。優先順位を考えて、今しなければならないことに集中しなさいというわけです。

今は緊急の時だから

イエスさまは、旧約聖書が約束していた、神の国を地上に実現させるために来られました。イスラエルが、イエスさまを神の国の王、すなわち救い主(メシヤ、キリスト)として受け入れたなら、それが実現するはずです。しかし、逆にイスラエルがイエスさまを受け入れなかった場合には、神の国の実現はずっと先送りにされ、その時代のイスラエルには神さまからの罰が下ります。

イエスさまの願いは、イスラエルがイエスさまを神の国の王、救い主として信じ、受け入れることです。そこで、今は神の国が近づいたというメッセージを、たくさんの人たちに伝えて欲しいとおっしゃったのです。

しかも、時があまり残されていませんでした。今回と同じ記事が、マタイの福音書の8章に出てきます。そして、12章に行くと、イスラエルが国家として公式にイエスさまを救い主と認めない決定をしたことが分かります。そこでイエスさまは、その世代のイスラエルに、厳しい罰が下ることを宣言なさいました。

すなわち、今回の対話が行なわれた時期というのは、イスラエルがイエスさまを受け入れるか受け入れないかを決めなければならない時が、間もなく来ようとしていたということ、国家の存亡がかかった緊急時だったということですね。

イエスさまが2人目の人物に厳しい命令をなさったのは、そういう背景があってのことです。
ちなみに、今回の箇所の前後で、弟子たちを伝道の旅に送り出す際、イエスさまは「旅のために何も持って行かないようにしなさい。杖も、袋も、パンも、金も。また下着も、二枚は、いりません」(9:3)、「財布も旅行袋も持たず、くつもはかずに行きなさい。だれにも、道であいさつしてはいけません」(10:4)と命じています。

今、この命令を文字通り守っている伝道者が、どれだけいるでしょう。これもまた、緊急時の命令だったと理解すれば、そのような厳しい命令をなさった理由も、今の私たちがこれを文字通り守らなくてもいい理由も分かります。

2.私たちの優先順位

優先順位を確立しよう

今回の箇所は、今の私たちに、家族の葬儀に出るなということを教えているわけではありません。しかし、優先順位を確立することの大切さは、今も同じです。

私たちは、いろいろなことを行なうことができます。しかし、人一人が持っている時間やエネルギーには限りがありますから、あれもこれもはできません。何かをする決断を下すことは、それ以外のことをしないという決断をすることでもあります。

行き当たりばったりに、その時したいことを選ぶのもいいですが、それでは生産的な人生を歩むことはできません。優先順位をしっかりと付けて、本当にやらなければならない所に、限りある時間とエネルギーを注ぎ込みたいですね。「すべてのことは、してもよいのです。しかし、すべてのことが有益とはかぎりません」(第1コリント10:23)

何を優先すべきか

では、私たちクリスチャンは何を優先すべきなのでしょうか。

今回のイエスさまの言葉、「あなたは出て行って、神の国を言い広めなさい」という命令は、イエスさまの願いを表したものでした。イエスさまは、神の民イスラエルを愛しておられました。そして、イスラエルを救い、イスラエルをすばらしい神の国に招こうとしておられました。彼らがイエスさまを拒否して、神さまの罰を受けるということは、決して望んでおられませんでした。だからこそ、何を置いても神の国を言い広めなさいとお命じになったのです。

私たちが優先すべきこと、それはイエスさまの願いです。イエスさまが私にどうして欲しいと思っておられるのか。これが優先順位を決める基準です。
  • 遊びに行くことと、礼拝式に出席すること、どちらかを選ばなければならないとしたら、イエスさまはどちらを選んで欲しいと願っておられるでしょうか。
  • ある人に対して、激しい言葉を投げかけることと、温かい言葉を投げかけること。イエスさまはどちらを選んで欲しいと願っておられるでしょうか。
  • 儲かるけれども違法な手段で商売をすること、あまり儲からないけれど法令を守った商売の仕方をすること。イエスさまはどちらを選んで欲しいと願っておられるでしょうか。

イエスさまの願いは?

もちろん、私たちがイエスさまの願いを知らなければ、優先しようがありませんね。前回、私たちは、聖書を読んだり、祈ったり、集会に出席したり、信仰書などを読んだりして、イエスさまに自分がどれだけ大切に思われているかということをますます知ろうという話をしました。同様に、私たちはそれらの活動を通して、私たちに対するイエスさまの願いを学びます。

聖書を読んだとき、祈ったとき、集会に参加したとき、信仰書を読んだとき、毎回自分に問いかけてみましょう。今回、イエスさまは私にどんな選びをして欲しいと願っておられるのだろうか、と。お互い、どんな場合にも良い決断ができるようになりたいですね。

まとめ

イエスさまの願いを知り、それを最優先に選びましょう。

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