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ヨハネによる福音書1章19〜28節

(2015.8.2)

参考資料

「ヨハネ」は、この福音書を書いたといわれる使徒ヨハネではなく、イエスさまより少し先に活動を開始した預言者、バプテスマのヨハネのことです。バプテスマは洗礼のことで、バプティゾー(水に浸す)からきた言葉です。

19節の「レビ人」は、祭司の下でさまざまな神殿の業務を行なった人々。

20節の「キリスト」は、ヘブル語で「メシヤ」、すなわち旧約聖書が登場を約束してきた救い主のこと。救い主はイスラエルの王として来られ、イスラエルの敵を滅ぼして、理想的な国(神の国)を建設すると約束されていました。ですから、ローマ帝国に支配されていた当時は、特に救い主の到来が待ち望まれていました。

21節の「エリヤ」は、前9世紀に北王国で活躍した預言者です。マラキは、世の終わりの時代、再びエリヤが地上に来ると預言しました。「見よ。わたしは、【主】の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ」」(マラキ4:5-6)。そこで、救い主が来て世界をさばく前にエリヤが来て、イスラエルの信仰を立て直すという信仰が生まれました。

21節の「あの預言者」とは、モーセが登場を預言した人物のことで、救い主のことを指しています。「あなたの神、【主】は、あなたのうちから、あなたの同胞の中から、私のようなひとりの預言者をあなたのために起こされる。彼に聞き従わなければならない」(申命記18:15)。これについては、こちらのメッセージをご覧ください。

23節の「預言者イザヤが言ったように」は、イザヤ40:3の預言です。「荒野に呼ばわる者の声がする。『主の道を整えよ。荒地で、私たちの神のために、大路を平らにせよ』」

24節の「パリサイ人」は、ユダヤの宗教的グループの一つであるパリサイ派に属する人々のことです。聖書に書かれているモーセの律法以外にたくさんの宗教的戒律を作り上げ、それを厳格に守ろうとしました。

聖書からのメッセージ

イントロ

「あなたは誰か」とヨハネは尋ねられました。「祭司ザカリヤの子ヨハネです」では、質問者は納得しなかったでしょう。彼らは、神さまがヨハネをどのような使命を持つ者としてヨルダン川に遣わし、このようなことをさせているのか、それが知りたかったのですから。というのは、ユダヤ人は救い主を待望していて、「もしかしたら彼が?」と考えたからです。

「あなたは誰か」という問いに答えることは、別にユダヤ人でなくても、重要な意味を持っています。第1のポイントでは、それがどうしてなのかという話をします。そして、第2のポイントでは、ヨハネがどのようにその問いに答えたのか、そしてそれが私たちにどのように関係するかをお話しします。

1.なぜこの問いが大切か

人はイメージした通りに生きる

「あなたは誰か」という問いが重要なのは、人は自己概念通りの人生を生きようとするからです。

自己概念とは、自分のことをどんな人間だと思っているかということです。自分に対するイメージと言ってもいいでしょう。

「やさしい」「明るい」「意地っ張り」「臆病」「引っ込み思案」「社交的」……というような性格に関するイメージがあります。また、「たいていのことは成功する自信がある」「自分は何をやっても失敗する」「誰も私を愛してはくれない」「みんなが私を助けてくれる」……など、人生そのものに関するイメージもあるでしょう。

前回も申し上げましたが、人の脳は思い描いたことを実現するように働きます。特に、自分自身についてのイメージは、強力にその人の生き方、たとえば人間関係の持ち方とか、ライフスタイルとかに影響を与えます。

人は、自分で考えている自分のイメージに合うような情報をわざわざ選んで取り込みます。そして、イメージに矛盾するような情報は、そのまま受け入れたのでは混乱しますから、無視したり改ざんしたりしようとします。それでも無視できないとなると、自分のイメージを守るために、それに合うような状況を自ら作り上げようとさえします。

たとえば、自分について「誰も私を大切に思ってくれない」というふうに思っているとします。すると、他の人にされた冷たい態度や嫌な態度については、すぐに反応して「ほら、やっぱりね」と確認します。しかし、示された親切については、簡単には気づきませんし、気づいたとしても「何か裏があるに違いない」なんて思って素直に喜ぼうとしません。さらには、無意識に周りの人が嫌がるようなことをして、案の定嫌われて、「ほーら、やっぱりね」。

自己像が生き方に影響を与える例

また、こんな話もあります。Aさんは独身の女性ですが、誰かを好きになると猛烈に、それこそ異常なほどにアタックを繰り返しますが、相手が振り向いてくれたとたんに気持ちが醒めて、すぐに別れてしまいます。魔性の女などと呼ばれ、自分でも何かがおかしいと思うようになり、カウンセリングをお受けになりました。

そこで分かったことは、Aさんは自己評価がとても低いということです。こんなだめな人間を愛してくれるような人はいないと、心のどこかで思っているのです。それではあまりにもつらいので、なんとか愛されたいと願うのですが、安物の粗悪品ですから、必死で営業しないと振り向いてもらえないと思っています。そこで、ストーカーはだしのアタックを仕掛けます。

しかし、男性に振り返ってもらうと、また別の心のささやきが聞こえてくるのです。「ブランドもののバッグを持つのは、それにふさわしいセレブだけれど、こんな安物の粗悪品を持つのは、やっぱりそれにふさわしい人。こんなだめな女とつき合うような男は、しょせん大した人間ではない」。そこで、とたんに醒める、と。

しかし、自分に対するマイナスの思い込みを再検討し、またクリスチャンになって神さまの愛を受け入れたAさんは、自分がそのままですばらしい存在なのだということを知りました。そして、その後すてきな男性と恋に落ちて結婚し、温かい家庭を築いておられます。

あなたは何者ですか? ご自分のことを、どんな人間だと考えていらっしゃいますか?

2.ヨハネの答えと私たちへの適用

人の評価は気にしない

ヨハネは、「私はキリストでもエリヤでもない」と言いました。それらは人々が到来を期待していたものです(詳しくは、「参考資料」の項目をご覧ください)。自分たちを救い出してくれる救い主。たとえそうでなくても、救い主の前座として現れるエリヤ。ヨハネは、そういう人物であって欲しいと人々に期待されていたのです。しかし、ヨハネはその期待を打ち破り、自分はそのどちらでもないと言いました。

私たちの自己概念は、主に小さいときからの、周りの人たちとの触れ合いによって形作られてきました。あるバスケットボールの名選手は、どうしてそんなにゴールを決められるのかと尋ねられ、「私は、シュートをはずすというイメージを持ったことがない」と答えました。小さい頃、父親がカゴを持ち、そこにシュートをして遊んだそうですが、そのころから百発百中、一度もはずしたことがなかったそうです。なぜかといえば、父親がボールの落ちてくるところにカゴを動かしてくれるからです。

逆に、いつも周りの大人に不完全なところ、足りないところを叱られ、罵倒されてきた人は、もしかしたら「自分は失敗者だ」というレッテルを、いつの間にか自分自身に貼ってしまうかもしれません。そうしたら、自信を持ってさまざまなことにチャレンジすることは難しくなるでしょうね。

友だちからいじめられてきた人は、「自分は大切な存在で、誰からも愛してもらえるだ」とはなかなか思えないでしょう。そして、積極的に人と交わることを恐れるようになるかもしれません。

しかし、ヨハネは、周りの人が自分をどう思っているか、どう言っているか、どう扱っているかというようなことに振り回されませんでした。そして、「私はエリヤでも、あの預言者でもない」と言い切りました。

今、あなたの心を縛っている否定的な思い込みはありませんか? 「私はそんなだめな者ではない」と、それをきっぱりと捨ててしまいましょう。

新しい自己概念

否定的な自己概念、すなわち間違った思い込みを捨てて解放されるためには、新しい自己概念を身につける必要があります。新しい考えが心に満ちてくれば、自然と古い思い込みは消えていくのです。A子さんも「私はこのままで素敵な存在だ」という新しい考えを持つようになったからこそ、古い魔性の女としての生き方から解放されました。

ヨハネは、「私は荒野で叫ぶ声だ」と言いました。救い主が間もなくやってこようとしている。その救い主を迎えるのにふさわしい心を人々の中に喚起する。それが自分に神さまから与えられた使命である。ヨハネは明確にそう受け取っていました。

ですから、他の人々の声に振り回されて、別の自分になることを拒否しました。自分が何者なのかということを、明確に知っていたからです。

あなたについて最もよく知る方

家電製品やパソコン・ソフトなどを使っていて、たまにマニュアルを読んでみると、驚くような便利な機能が備わっているということに気づくことがあります。マニュアルは、その家電やソフトを作った人たちが用意したものです。その家電やソフトの使い方を知りたければ、それをについて一番知っている人、つまり作った人に聞くのが一番ですね。

あなたのことを一番よくご存じなのは、あなたをお造りになった神さまです。神さまは、あなたのことを何とおっしゃいますか? 律法を守らない不信仰者? 取るに足りないこの世のゴミ? 生きる価値のない汚れたもの? 知恵も力もないミソっかす? いいえ。神さまは、あなたのことを大切な宝物と呼んでくださっています。あなたを買い戻すために、イエスさまは十字架にかかり、ご自分のいのちを犠牲になさいました。そうしても惜しくないほどに、あなたのことを大切に思っておられるのです。

また、神の家族である教会の交わりによっても、私たちは新しい自己概念を学ぶことができます。他の人との関わりの中で、否定的なイメージをすり込まれてきたのですから、他の人との関わりの中で、それを修正することも可能です。神の家族との愛の交わりの中で、大切にされ、尊重され、励まされることにより、新しいイメージを育てていきましょう。

まとめ

あなたは何者ですか? あなた自身がどう感じるかとか、周りの人があなたをどう扱ってきたかではなく、神さまがどんなふうにおっしゃっているか、それを聞きましょう。

あなた自身への適用のためのディスカッションガイド


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