我が生涯に一片の悔いなし

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箴言1章1〜9節

(2015.9.6)

参考資料

箴言とは、格言、ことわざというような意味です。1:1には「ソロモンの箴言」となっていますが、聖書の箴言全体が彼の作品というわけではなく、他の人の名も挙げられています。

ソロモンは、イスラエルのダビデ王朝2代目の王です。就任の際、神さまに「善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか」(第1列王3:9)と願い、それが叶えられました。ソロモンは国の経済を発展させ、「平和」を意味するその名の通り、戦争することなく領土を史上最大にしました。

4節の「わきまえのない者」とは「若くて未熟な者」という意味で、後半の「若い者」と同義です。ユダヤの詩では、このように同じ事柄を別の似たような言葉を使って2回言い表す表現(5、8、9節も同様)、あるいは、全く逆の意味を持つ言葉を並べて対比させる表現(7節)が多用されます。

聖書からのメッセージ

イントロ

箴言は、伝道者の書やヨブ記と並んで「知恵文学」と呼ばれます。ヘブル語の知恵(ホクマー)は、「成功するための技術」を意味する言葉です。これからしばらく、箴言を通して「我が生涯に一片の悔いなし」と言える、成功した人生の技術を学んでいきましょう。

特に、今回は7節の「主を恐れることは知識の初め」という言葉に注目します。

1.主を恐れることは知識の初め

知識

聖書において知識があるとか、賢いとかいうのは、単に知能指数が高いとか、学校の成績がいいとかいうことではありません。知恵が「成功するための技術」ですから、知識はその技術に関する知識のことです。「人生において、本当に成功するためには、どんな行動をすればいいのか」ということを、具体的に知っているということです。

1980年代にはやった少年マンガ「北斗の拳」を知らない方はごめんなさい。主人公ケンシロウと闘った宿敵ラオウが、激闘の末に破れ、右腕を高く突き上げて「我が生涯に一片の悔いなし」と叫んで、立ったまま命を落とすシーンは、非常に印象的でした。

私は、別に世界を恐怖で支配する世紀末覇者になりたいとも、立ったまま死にたいとも思っているわけではありませんが、地上での命を終える際、悔いのない人生だったと満足して目を閉じたいと思います。

主を恐れること

そのような人生の成功をもたらす知識の中で、最初に学ばなければならないこと、あらゆる知識の基礎になる事柄とは、「主を恐れること」だとソロモンは語ります。

先日、町田クリスチャンセンターのメンバーの方が書いておられるブログを読みました。そこで、筆者のさとうまさこさんがこんなことをおっしゃっています。
聖書の神を「どのような方であると考えるのか」は、私たちの信仰の確信を決めると言っても過言ではないかもしれません。

聖書の神は、威厳や威光、古代では御稜威(みいつ)と言われたような超絶した力を放つ「恐れ多い方」なのです。万物をお造りになり、私たちに命を与えて養い、罪に堕ちた後も気に掛け続けて救いの計画を着々と実行してこられ、やがて、御子イエスの十字架で私たちをふたたび御許に連れ帰って下さる神です。私たちの想像を超えている方であるゆえに、私たちはこの方を恐れるのです。

このような神を想像することは、伝統的に、日本人には不慣れなのではないでしょうか。なにしろ、大日如来と言われる地位の高い仏様から、自分の子どもに仮託したお地蔵様や、キツネだとみなされるお稲荷様まで、日本には「水平的関係の親しみやすい神様」が大ぜいいるからです。

しかし、聖書の神様は、すべての創造主、お地蔵様の石から、お稲荷様の祠、仏壇仏具の木材や金属まですべて、この方によって造られたものなのです。ご威光が特別なものであるのは当然です。
「主を恐れる」とは、罰やたたりを恐れてビクビクすることではありません。聖書の神さまを尊敬し、そのあまりの素晴らしさに感動しすぎて、圧倒されることです。「畏敬の念」と言った方が、より正確かもしれません。

主への正しい畏敬の念

「わたしはあなたを愛している。わたしはあなたのどんな罪も赦している。わたしはあなたを守り、必ず幸せにする」と神さまは約束してくださいます。しかし、その神さまが、私自身や私の周りにいる人たちにちょっと毛が生えた程度の方だとしたらどうでしょう。その程度の方が約束をしたとしても、どれだけその約束が確かなものだと思えるでしょうか。

また、どんなに神さまが「本当の成功をもたらす生き方、本当の自由や幸せを味わえる人生を手に入れるためには、こういう行動を取ろうね」とアドバイスしてくださったとしても、正しく主を恐れていなければ、そのアドバイスを真剣に受け止め、実行しようとはしないでしょう。

むしろ、「どうせ赦されるんだから、何をやってもかまいはしない」という、クリスチャンではない人たちと全く変わらない生き方をすることになるでしょう。

正しく「主を恐れる」ことなくして、私たちが本当の知恵、「成功するための技術」についての知識を得ることはできません。まさに「主を恐れることは知識の初め」です。

2.実践的知識

父の訓戒、母の教え

8節は、読者を「わが子」と呼び、「あなたの父の訓戒に聞き従え。あなたの母の教えを捨ててはならない」と諭しています。成功した人生をもたらす技術、特に「主を恐れる」という最も基本的な大切な態度を、親はしっかりと子に伝えなければならないし、子もまたそれをしっかりと学んで継承しなければならないということです。

私たちは、親として、あるいは人生の先輩として、子どもたちや自分の後に続く人たちに、「主を恐れる」という態度をしっかりと教えてきたでしょうか。

また、そればかりでなく、自分自身がそれを謙遜に学んでいるでしょうか。

知っている

ユダヤ的な文化における「知識」は、単に情報が頭の中に入っているというだけではありません。それが実際の生活の中で活用できるということです。

たとえば、「携帯電話を知っている」というのは、その構造や通信の仕組みについての知識があるというだけでなく、むしろ「携帯電話を使って他の人とコミュニケーションが取れる」ということです。

ソロモンは「主を恐れることは知識の初め」だと言いました。では、ソロモン自身は、主を恐れていたのでしょうか。

王となった当初のソロモンは、確かに正しく主を恐れていました。自分自身の弱さを自覚して、神さまが知恵をくださらなければ、神の民として選ばれた特別な民族イスラエルを正しく導くことはできないと認め、謙遜に神さまの助けを求めました。神さまもそのことを喜び、彼とイスラエルを祝福してくださいました。

そして、ソロモンは、父ダビデの願いを引き継いで、荘厳な神殿を建設しました。ところが、国が強力に発展して行くに従って、彼の心は神さまから離れていきます。そして、政略結婚のために、たくさんの外国人の妻をめとります。これは、偶像礼拝を防ぐため、モーセの律法では禁止されている行為です。案の定、ソロモンは妻たちが持ち込んできた異教の神々を礼拝し始めます。そして、異教の神々の神殿も次々と建設していきました。

「 【主】はソロモンに怒りを発せられた。それは彼の心がイスラエルの神、【主】から移り変わったからである。主は二度も彼に現れ、このことについて、ほかの神々に従って行ってはならないと命じておられたのに、彼は【主】の命令を守らなかったからである。
それゆえ、【主】はソロモンに仰せられた。『あなたがこのようにふるまい、わたしが命じたわたしの契約とおきてとを守らなかったので、わたしは王国をあなたから必ず引き裂いて、あなたの家来に与える。 しかし、
あなたの父ダビデに免じて、あなたの存命中は、そうしないが、あなたの子の手からそれを引き裂こう。 ただし、王国全部を引き裂くのではなく、わたしのしもべダビデと、わたしが選んだエルサレムのために、一つの部族だけをあなたの子に与えよう』」(第1列王記11:9-13)。

また、ソロモンは様々な建物を建てたり、贅を尽くした生活をしたりするため、民に重税を課して苦しめました。このため、国民の間に不満がたまり、反逆する者も出てきました。

こうして、ソロモンの治世の晩年は、惨めなものになります。そして、彼の死後、神さまの預言通り、北の十部族が反逆して国が南北に分裂してしまいました。

恵みの要素

最後は悲しい物語になってしまいましたが、それでもここには恵みの要素があります。

神さまは2度もソロモンに現れ、悔い改めのチャンスを与えました。また、ただちに命を奪うこともできたのにそうせず、長寿をお与えになりました。そして、彼が生きている間には南北分裂を引き起こしませんでした。ソロモンが生きている間も、ずっと悔い改めるのを待っておられたということです。

その理由は彼の「父ダビデに免じて」でした。これは、神さまが先王ダビデと契約を結ばれたことを指しています。

「あなたの日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちとともに眠るとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。もし彼が罪を犯すときは、わたしは人の杖、人の子のむちをもって彼を懲らしめる。 しかし、わたしは、あなたの前からサウルを取り除いて、わたしの恵みをサウルから取り去ったが、わたしの恵みをそのように、彼から取り去ることはない。あなたの家とあなたの王国とは、わたしの前にとこしえまでも続き、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ」(第2サムエル7:12-16)

そして、ソロモンの罪の故に、ダビデ王朝それ自体を終わらせることをせず、南王国としてその後も存続を許されました。

神さまは、決して私たちと敵対したいわけではありません。むしろ、良好な関係、深く愛し合う関係を結び、それをさらに深めていきたいと願っています。そして、イエス・キリストの十字架は、私たちのあらゆる罪を赦します。

私たちは完璧ではありませんから、主への正しい恐れ(畏怖の念)を忘れてしまうこともあります。しかし、それが示されたとき、いつでもやり直すことができます。そして、神さまが教えてくださる成功のための技術を、改めて実践していきましょう。

まとめ

主への正しい恐れを身につけましょう。

あなた自身への適用のためのディスカッションガイド


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