神を敬う者の口

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箴言11章9〜13節

(2015.9.27)

参考資料




聖書からのメッセージ

イントロ

箴言を通して読んでみると、繰り返し出てくる教えがあることに気づきます。

特に印象的なのが、「両親や教師の教えに従え」という勧め。これは箴言シリーズの1回目で解説したように、両親や教師自身が神さまの教えに忠実であり、神さまの教えに基づいた教育をしているということが前提になります。

次に姦淫、すなわち妻以外の女性と関係を持つことへの警告。これも繰り返し出てきます。それだけ姦淫が人間の幸せを破壊する重大な行為だということでしょう。

そして、もう一つ挙げるなら、言葉の使い方に関する教えです。今日は、私たちが使う言葉が持つ力に注目しましょう。

1.言葉の持つ力

町の盛衰をも左右する力

聖書は、神さまのみこころに添った生き方をすることが、本当の幸せに近づく道であると教えています。それは個人の生活についてだけでなく、教会や会社などといった組織、あるいは町や国などのさらに大きな組織についても言えます。

11節にこのように書かれています。「直ぐな人の祝福によって、町は高くあげられ、悪者の口によって、滅ぼされる」。私たちが語る言葉には、町を発展させる力や滅ぼす力さえあるということです。

正義や愛が優勢な町や国は栄えますが、悪徳がはびこる町や国は、一時的には繁栄しているように見えても、必ず内部から崩壊していきます。そして、人々を間違った方向に導くのも言葉なら、正しい方向に導くのも言葉です。

私の電子メールソフトには、毎日大量の迷惑メールが届きます。楽して儲かるための情報とか、出会い系サイトへの勧誘とか、腰痛や四十肩が一瞬で治る方法とか。最近やたらに増えたのが、郵便物の不在通知です。へたにこういうメールに書かれているアドレスをクリックすると、個人情報が盗まれたり、詐欺に引っかかったり、大量の迷惑メールが届くようになったりします。しかし、その文面は実に魅力的な言葉に満ちています。

私たちは、他の人を悪に誘惑したり、正しいことを行なう意欲を萎えさせたりするような、そんな言葉ではなく、他の人が神さまの望まれる生き方をしたいと思えるような、そんな言葉を使おう。今回の箇所はそれを私たちに勧めています。

成長を促す言葉

スクールソーシャルワーカーとして学校に出入りしていますが、時々先生たちや保護者の方々からこんな質問を受けることがあります。「子どもを厳しく叱ってはいけないのでしょうか?」 以前、カウンセリング・スクールで講師をしていたときも、企業の上司の人から同様の質問を受けることがよくありました。

叱るという行為は、教育の一環です。ですから、厳しく叱ることがいいか悪いかが重要なのではなく、今目の前にいるその人に、どういう言葉をどういう言い方で伝えれば、その人の成長のために、あるいは組織全体の成長のために役立つかということを考えることが重要です。

大声で怒鳴りつけることがその人の成長に役立つならそうすればいいし、にっこり笑って「大丈夫。もう一度やってごらん」と優しく励ますことが、その人の成長に役立つならそうすればいいということです。もちろん、こちらの勝手な思い込みではなく、客観的に判断し、後で本当にそうだったか検証しなければなりませんが。

ちなみに、相手の不適切な行動によって、こちらが迷惑を被った場合、頭にきて怒鳴りつけたり手を出したりすることがありますが、それは単なる復讐、鬱憤晴らしであって、教育ではありません。鬱憤晴らしで叱るなら、相手は傷つくだけで成長はしないでしょう。成長したとしても、それは相手の類い希なる資質のおかげであって、こちらの教育力の賜物ではありません。

逆に、相手に逆ギレされたり嫌われたりすることを恐れて、それで優しく接するのだとしたら、それもまた教育ではありません。愛は恐れからは出て来ないからです。「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです」(第1ヨハネ4:18)

相手が人として、選手として、企業人として成長するために、どんな言葉をどんなふうに掛けてあげることが、最も生産的で、建設的か。それを私たちはいつも考えながら言葉を発しましょう。

箴言だけでなく、新約聖書もそれを教えています。「悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい」(エペソ4:29)

ここで「徳を養う」と訳されている言葉は、「建物を建て上げる」という意味の言葉です。相手が人として成長し、完成していくのを助けるということですね。日本語の「徳」という言葉からイメージして、「自分にはまだまだ徳がないから、他の人の徳を養うなんてできない」などと思わないでください。自分自身は小さなウサギ小屋のような家であったとしても、完成に向かって日々作業が進行しているなら、他の人の大豪邸が完成に向かっていくのを励ますことができます。

自分の心も言葉ひとつ

私たちが語る言葉は、他の人を建て上げるだけではありません。自分自身にも強い影響を与えます。

よく言われるのは、問題にぶつかったとき、「どうせ無理だ」とか「何でこんな不幸な星の下に生まれたんだろう」などとつぶやいていたら、本来の力は引き出せないから、「ちょうどいいストレスだ」とか「絶対乗り越えられる」とかいう前向きな言葉を使おうということですね。

このメッセージを準備している中で、「ちょうどいい」って、けっこう万能な言葉だなあと感じました。神さまは、私たちを愛してくださっていますから、耐えられないような試練には遭わせないと聖書は教えています。その一方で、父が子を訓練するように、問題を使って私たちの信仰の筋肉を鍛えようとなさいます。ですから、いつも問題は「ちょうどいい」のです。「ちょうどいい」。自分の中ではやらせようと思いました。

そして、私たちの使う言葉は、自分自身の人格も形作っていきます。

元メジャーリーガーの松井秀喜さんは、中学2年生の時、食卓で友だちの悪口を言ったところ、お父さんから「人の悪口を言うような下品なことをするんじゃない。今、ここで二度と人の悪口を言わないと約束しなさい」と言われ、それ以来、今に至るまでその教えを守っているそうです。悪口を言いたくなることは山ほどあるそうですが、それをいっさい口に出さないというのです(伊集院静著「松井秀喜の美しい生き方」より)。

松井さんは、チームのメンバーたちからも、メディアの記者たちからも好かれた好人物です。またベトナムの子どもたち20人の里親となって、学費などを援助してこられました。一昨年、松井さんはあの長嶋茂雄さんと共に国民栄誉賞に輝きましたが、母校である星稜高校の山下智茂総監督は「日米の野球での記録だけでなく、人間性が評価されたのだと思う」と話したそうです。

私たちの言葉は、人を建て上げ、自分自身を建て上げ、町の盛衰さえも左右するほどの力があります。しかし……

2.言葉は難しい

言葉による失敗

言葉を自由に用いるのは、非常に難しいことです。イエスさまの弟ヤコブは、「もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です」(ヤコブ3:2)と述べています。それだけ私たち人間は、言葉で失敗することが多いということの表れでもあります。実際、彼はこうも言っています。「舌を制御することは、だれにもできません」(ヤコブ3:8)

弱さを知る

だからこそ、私たちは言葉で失敗する弱い者だということを、いつも自覚しておく必要があります。政治家の失言を見て分かる通り、私たちが言葉で失敗するのは、調子に乗っているときや、気を抜いて油断しているときです。

神さまの守りを求める

私たちは言葉で失敗します。時に人を傷つけ、時に教会の一致を破壊し、時に自分自身の人間性を損なうような言葉を吐いてしまいます。そんな私たちを、イエスさまは十字架の血潮で赦し、「もう一度やってごらん」と送り出してくださいます。

ですから、失敗してもまた立ち上がって、神さまがいつも守ってくださるようにお祈りしながらやり直しましょう。「神さまがこの口に適切な言葉を与えてくださいますように」。そんなふうに、朝に、昼に、夕に、いつも祈りましょう。

まとめ

言葉には大きな力がありますから、神さまの助けをいただきながら大いに用いましょう。

あなた自身への適用のためのディスカッションガイド


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