あなたの計画はゆるがない

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箴言16章1〜6節

(2015.11.1)

参考資料




聖書からのメッセージ

イントロ

人生は思い通りに進むときもあれば、思い通りにならないときもあります。そんなとき、イエス・キリストを信じる私たちはどんな心構えでいることができるでしょうか。

1.神にゆだねよう

神は間違いを犯さない

16:1 人は心に計画を持つ。【主】はその舌に答えを下さる。

「思い通りになる」「思い通りにならない」ということは、私たちの心の中に「こうなったらいいなあ」という希望や、「こうなるのがベストだ」という評価、「これこれこういう手順で物事を進めていこう」という計画があるということです。

そして、私たちは、自分の願い通り、計画通りに物事が進んでいくはずだと思っています。しかし、神さまがその答えを握っておられ、私たちに結果を与えてくださいます。その結果は、私たちの願いや計画通りとは限りません。

16:2 人は自分の行いがことごとく純粋だと思う。しかし【主】は人のたましいの値うちをはかられる。

私たちは、どこかで「自分は間違いがない」と思っていますから、自分の希望、自分の計画がベストだと思います。だからこそ、物事が自分の思い通りにならないと、腹を立てたり、悲しくなったり、イヤになってやる気を無くしたりするのですね。

しかし、神さまは私たちの心を深く探ります。絶対者である神さまが、私たちの内面をご覧になり、評価なさるのだとすれば、いったい誰が「自分は全く清い。自分は全く正しい。自分は全く間違いがない」と言えるでしょうか。

絶対に間違いを犯さないのは聖書の神さまだけです。ですから、

16:3 あなたのしようとすることを【主】にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない。

そう勧められています。

ゆだねるとはどういうことか

では、自分の人生を神さまにゆだねるとはどういうことでしょうか。人生を神さまにゆだねるとは、希望を持ってはいけないということではないし、計画を立ててはいけないということでもありません。たとえば受験生が「あなたが私を合格させてくださいますよね」と祈って、あとは勉強しないで遊んで暮らすということでもありません。

私たちは大きな夢を描き、希望を持ち、計画を立ててかまいませんし、そうすべきです

もちろん、その計画や希望は、神さまのみこころに添ったものでなければなりません。ただ、みこころに従おうにも、通常は信号機のように「こっちがみこころ。こっちに行け」というようなサインが明確に与えられることはありません。 神さまは、私たちを奴隷になさったわけではなく、子としてくださいました。ですから、一挙手一投足に至るまで、事細かに支配しようとはなさらず、多くのことは私たちの判断に任せておられます。
聖書の教え
そこで、私たちは、与えられている聖書の教えを総動員して、何が神さまの望んでおられる行動だろうかということを、その場その場で理性的に判断しなければなりません。たとえ幻や預言などの超自然的な方法で道が示されたとしても、最終的には聖書の教えと矛盾しないことを確認しなければなりません。
静かな平安
判断に迷ったときには、祈りの中で静かな平安が与えられるかどうかを探りましょう。表面的には、不安や納得できない思いで心が立ち騒いだとしても、心の奥底に「それでいい」という平安が与えられているなら、それは神さまのみこころである可能性が大です。
他の忠実なクリスチャンの意見
さらに、イエス・キリストに忠実に従っている他のクリスチャンたちの意見も参考にしてみましょう。クリスチャンが、たった一人で信仰生活を送るのではなく、教会に属して、他のクリスチャンたちと共に成長したり、活動したりするよう定められているのには意味があります。

こうして神さまが望まれる方向を判断したら、その実現のために緻密に計画を立てて実行しましょう。

しかし、どんなに緻密に計画し、準備したとしても、私たちの能力の及ばないことがたくさんあります。自分の能力が及ばないことをあれこれ心配しても仕方がありません。そういったすべての事を整えてくださるのは、神さまのお働きです。そういうことは、神さまにお任せし、自分は自分にできる精一杯を行ないましょう。

それが「神さまにゆだねる」ということです。

ゆだねるのは危険と隣り合わせ

しかし、神さまに人生をゆだねるというのは、危険が伴います。神さまは私たちの「主」なのであって、私たちの奴隷なのではありません。私たちの願いを、そのまま全部叶えなければならない義務はありませんし、そんなことは不可能です。

たとえば、オリンピックの100m走決勝戦で、クリスチャン選手2人が「金メダルを取らせてください」と祈ったとしたら……? 当然、2人のうち1人の祈りは聞かれないし、2人とも金メダルが取れない可能性だって大いにあります。

神さまは、私たちの計画を実現するのではなく、ご自分の計画を実現なさいます。私たちの願いや計画が、神さまのご計画と一致していたらかなえられますが、そうでなければかなえられないことになります。

神さまに人生をゆだねるというのは、場合によっては、自分の願いが退けられることもあるということを認めることです。ということは、よっぽど神さまのことを信頼し、「たとえ私の願い通りでなくても、神さまは最高の結果を与えてくださるお方だ」という信頼がなければ、人生を預けるなんてできません。

そこで、「どうして神さまに人生を任せることができるのか」を考えてみましょう。

2.どうして人生を完全に神に任せられるのか

謙遜の必要性

先ほど申し上げたように、私たちは神さまの前に「自分は正しい」と自信を持って言うことができません。であれば、正義の神さまのさばきを受けてひどい目に遭ったとしても、文句が言えない存在だということです。

16:4 【主】はすべてのものを、ご自分の目的のために造り、悪者さえもわざわいの日のために造られた。
16:5 【主】はすべて心おごる者を忌みきらわれる。確かに、この者は罰を免れない。

神の恵み

しかし、です。そんな私たちを、神さまは滅ぼすどころか、罪を赦してくださいました。

16:6 恵みとまことによって、咎は贖われる。【主】を恐れることによって、人は悪を離れる。

神さまを恐れると書かれていますが、罰を恐れてビクビクするから悪を離れるわけではありません。私たちの罪は赦されるからです。

神の御子イエス・キリストは十字架にかかり、私たちの身代わりとして罪の償いをしてくださいました。ですから、私たちはそのままの姿で赦され、神さまの子どもにしていただきました。

恵みに圧倒されるからゆだねられる

その圧倒的な神さまの愛、イエスさまの恵みは、私たちを厳粛な気持ちにします。そして、神さまに従いたいという思いを与え、さらに、神さまが最善をなさると信じることができます。

「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう」(ローマ8:32)

私たちは、自分なりの希望や計画を持っていいし、それを実現してくださるように大胆に祈ってかまいません。むしろ、私たちはそうすべきです。私たちは神さまの子どもなのですから、神さまは私たちが率直にお願いすることを喜ばれます。

しかし、それでも神さまは私たちの願いや計画とは全く違ったことが起こることを許可なさることがあります。がっかりしたり、悲しくなったり、やる気が失せそうになることもあるでしょう。しかし、そんなときも、「神さまは最善以外をなさいません!」と、改めてそう告白しましょう。

まとめ

神さまは最善以外をなさいません。ですから、「あなたのみこころが実現しますように」と祈りましょう。

あなた自身への適用のためのディスカッションガイド


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