たきぎがなければ火が消える

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箴言26章20〜28節

(2015.11.8)

参考資料

22節の意味は、陰口はおいしい食べ物を食べたときのように、その時は楽しいが、やがて腹の奥に下っていって、毒として本人に害をもたらすということ。「たとい悪が彼の口に甘く、彼がそれを舌の裏に隠しても、あるいは、彼がこれを惜しんで、捨てず、その口の中にとどめていても、彼の食べた物は、彼の腹の中で変わり、彼の中でコブラの毒となる」(ヨブ記20:12-14)

23節の「燃えるくちびる」とは、ほめ言葉や祝福など、良いことを語るということ。

聖書からのメッセージ

イントロ

世の中には、陰口や悪口、事実に基づかない批判などを口にする人がいます。私たちもそのターゲットにされることもあるでしょう。陰口や悪口に対して、クリスチャンはどんなふうに対処すればいいでしょうか。

1.悪口なんか気にしない

悪口を言われない人はいない

箴言が陰口、悪口についてわざわざ書いているというのは、世の中にはそういう人がたくさんいて、様々な問題を引き起こしているということです。どんな時代のどんな社会の中にも、陰口や悪口を言う人は必ずいるものです。

芸能人でも政治家でも、国民的な人気者と言われる人にも、アンチは必ずいます。世界中の人たちから敬愛されたマザー・テレサだって、いろいろ悪く言う人たちがいました。イエスさまだってそうですね。

あなたのことを嫌いな人、あなたの評判を下げようとする人も必ずいます。悲しいことですが、私たちはこの現実を直視しなければなりません。

しかし、あなたの陰口や悪口を言う人は、別にあなたのことだけを批判しているわけではありません。陰口や悪口が好きな人たちの多くは、生活の中で強いストレスと抱えていて、誰についてでもいいし、何についてでもいいから批判して発散したいと考えているのです。

22節に「陰口をたたく者のことばは、おいしい食べ物のようだ」と書かれているように、陰口、悪口を言うのは、一種の快感です。だから、誰彼かまわず批判の対象にするわけです。

そんなわけで、あなたについて陰口、悪口を言う人は必ずいます。まずは、そういうものだと割り切った考えをしてみましょう。

人を呪わば穴二つ

それでも釈然としませんか? 陰口や悪口を言う人のことを赦せませんか? そうですね。しかし、神さまは「復讐はわたしのすることである」とおっしゃいました(ローマ12:19)。神さまは陰口や悪口によってあなたの評判を下げ、あなたを傷つけようとする人に対して、ちゃんと罰を用意してくださっています。

22節の後半は「腹の奥に下っていく」と宣言しています。これは、「参考資料」に書いたように、その人自身にとって毒になるという意味です。

また、27節にも「穴を掘る者は、自分がその穴に陥り、石をころがす者は、自分の上にそれをころがす」と書かれています。陰口や悪口は他人をおとしめて傷つけますが、やがて自分自身に返ってくるということです。

他人の陰口や悪口を聞かされた人は、「この悪口を言っている人は、もしかしたら私がいないところで私の悪口も言っているんじゃないか」と思い、悪口を言っている人を信頼しなくなっていきます。陰口や悪口を頻繁に言う人は、だんだんと孤立していくのです。

実際、アメリカのスコーロンスキーという学者が、それを確かめる実験を行ないました。学生たちに、「AさんがBさんの陰口を言っている場面」を撮影したビデオを見てもらい、その後感想を尋ねました。すると、陰口を言われたBさんの印象は悪くならなかったのに、陰口を言ったAさんは、「この人は嫌な奴だ」というふうに悪印象を持たれてしまったのです。

すなわち、「悪口や陰口を言って他人の評判を下げようとする人は、かえって自分自身の評判を下げてしまうことになる」ということです。ですから、あなた自身がその人たちに復讐する必要はありません。

あなたを好きな人も必ずいる

あなたの悪口を言い、あなたを引き下げようとする人がいる一方で、あなたのことが好きで、あなたを応援したいと思っている人もたくさんいます。

自分の悪口や批判をする人がいれば、当然気になるし、悲しくなりますね。しかし、陰口、悪口を言う人は、どんなにこちらが頑張っても、何をしてもしなくても、何を言っても言わなくても、結局は陰口、悪口を言います。そういう人たちの反応を気にするあまり、自分を応援してくれている人のことを忘れてしまうなら、それは残念なことです。

悪口や陰口を言う人のことを気にして、彼らへの対処を考える前に、自分を応援してくれるたくさんの人たちに感謝し、彼らにもっと喜んでもらうことを考えましょう。

2.自分は同じ過ちを犯さない

正しい人はいない

そして、私たちもまた、自分自身が他人の陰口、悪口を言うことで、一時的な快感を得ようとする誘惑にさらされています。他人のあら探しをし、それを他の人と共に肴にして批判するのは、宴会でおいしい食べ物を食べるような快感です。他人を引き下げると、何だが自分が引き上げられたような気になるからです。

もちろん、他の人の問題点について、いっさい話題にしてはいけないということではありません。私は世を忍ぶ仮の仕事として、スクールソーシャルワーカーをやっています。そして、課題を抱えた子どもや保護者への関わりを話し合うため、様々な機関のメンバーと共にケース会議を行なうことがあります。そういう席では、子どもや保護者の問題行動について話が出ます。それはおかしなことではなく、むしろ子どもや保護者を助けるのに不可欠です。

しかし、注意していないと、その子どもや保護者について困っていることをただ並べ立てるだけ、愚痴をこぼすだけになってしまって、結局何も決まらないで会議が終わってしまうことになります。それではケース会議ではなく、対応に困っている人たちが陰口をたたき合って溜飲を下げているだけです。

私自身、そうしたくなる誘惑をいつも感じています。聖書は、「正しい人はいない」と宣言しています(ローマ3:10-18)。私たちもまた、他人の悪口を言ってしまう弱さを抱えているのです。

しかし、主の御名はほむべきかな。私たちの罪は、イエス・キリストの十字架によって完全に赦されています。私たちが自分の罪を認めて告白するならば、神さまとの愛の関係はただちに回復されます。

他人の陰口、悪口を言ってしまったことに気づいたら、ただちに悔い改めましょう。そして、聖霊なる神さまがこの口をきよめてくださって、他の人を引き下げるような言葉を吐くことがないように助けてくださるよう祈り求めましょう。

他人を引き上げる言葉を使おう

イエスさまの願いは、私たちが罪を犯さなくなることではありません。イエスさまが喜ばれる善を行なうようになることです。この話をお読みください

私たちが陰口、悪口を言わなくなるだけでなく、むしろ私たちの口から出てくる言葉が、他の人をほめたり、感謝したり、勇気づけたりするような、引き上げ言葉となるよう、聖霊さまに祈りましょう。

しかも、23節が「燃えるくちびるも、心が悪いと、銀の上薬を塗った土の器のようだ」と警告していることを心に留め、真心からそれを語ることができるよう祈りましょう。

まとめ

私たちの口が、本人を前にしてもそうでなくても、いつもその人を引き上げるような言葉を出すことができますように。

あなた自身への適用のためのディスカッションガイド


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