東方の博士の礼拝

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マタイによる福音書2章1〜12節

(2015.12.20)

参考資料

ベツレヘムでの幼児虐殺は、マタイの福音書以外の歴史書に記されていません。ベツレヘムの2歳以下の男の子がどれくらいいたかは分かりませんが、せいぜい20人程度だと言われています。それくらいの虐殺など、ヘロデ大王がしてきた大虐殺に比べれば取るに足らないものと見なされたのかもしれません。

聖書からのメッセージ

イントロ

今日の箇所は、東方から来た博士たちが、地上に人としてお生まれになったイエスさまを拝みに来たという話です。ここから、私たちがクリスマスを迎える心構えについて教えていただきましょう。

1.東方の博士たち

博士たちの来訪

東方から来た博士たちが、イスラエルの首都エルサレムにやってきました。

よく、クリスマスの場面を描いた絵や置物で、3人の博士が羊飼いたちと一緒に赤ちゃんイエスさまを礼拝しているものがありますね。しかし、あれは正確ではありません。

当時、イエスさまたち一家は、ベツレヘムの馬小屋ではなく家に住んでいました(11節)。さらに、後にイエスさまを殺そうとしたヘロデ大王が、ベツレヘムに住む2歳以下の子どもを皆殺しにしていますから(16節)、イエスさまはすでに2歳くらいになっていたと考えられます。

また、やってきた人数も、別に3人だとは書いてありません。贈り物が3種類だったので、3人だと言われるようになったようです。「イスラエルの王」に拝謁するために、貴重な宝物を積んで長距離を移動してやってきたのですから、おそらく大人数でやってきたことでしょう。

聖書が東方と言う場合、普通はバビロン(今のイラク南東部)を指します。そして、彼らは天文学者でした。

預言者ダニエル

イエスさまが生まれる500年以上昔、イスラエルはバビロンの王ネブカデネザルに滅ぼされ、多くのユダヤ人(イスラエル人)がバビロンの都に連れて行かれました(バビロン捕囚)。その後、ネブカデネザルが夢を見ますが、バビロンの学者たちが誰もその意味を解き明かせなかったため、王は学者たちを皆殺しにせよと命じました。ところが、ユダヤ人である預言者ダニエルが見事に夢を解き明かしたため、学者たちの命は救われます。ダニエルは、この功績により、学者たちを統括する長官に任命されました(ダニエル書2章)。

バビロンの学者たちは、ダニエルに感謝し、ダニエルに夢の解き明かしをさせたイスラエルの神に興味を持ったことでしょう。そして、ダニエルを通じて、聖書の言葉を聞いたものと思われます。バビロンの伝統を引き継いだ東方の博士たちも、イスラエルに王として来られる救い主の話を知っていました。

さて、博士たちは毎日星空を眺めていますから、これまで見たことのない新しい星が出現すれば、すぐに分かります。しばらく観察したでしょうが、どうもただの星とは思えません。その意味について博士たちは議論したことでしょう。そして、ついに昔バビロンの学者たち、すなわち自分たちの先祖を救ってくれたダニエルの教えと関連づけることができました。

ダニエルは、救い主がいつイスラエルの王として登場するかを預言しています。「それゆえ、知れ。悟れ。引き揚げてエルサレムを再建せよ、との命令が出てから、油そそがれた者、君主の来るまでが七週。また六十二週の間、その苦しみの時代に再び広場とほりが建て直される」(ダニエル9:25)

詳しい計算は省略しますが、それは紀元26年に当たります。救い主が何歳で王座につくかは分かりませんが、仮に30歳で即位するとするとちょうど救い主が誕生する頃です(実際、イエスさまの誕生は、紀元前7年か6年です)。ですから、これだと彼らは思いました。「ダニエルが預言した救い主がいよいよ誕生したに違いない!」と。

あふれる感謝とともに

自分たちがここに存在するのは、ユダヤ人であるダニエルと、彼に夢の解き明かしをさせたイスラエルの神のおかげです。そのイスラエルの神が、恩人ダニエルの預言通りに救い主、ユダヤ人の王を地上に送ってくださったのですから、これはお祝いに行かないわけにはいきませんね。そこで、博士たちは贈り物を用意し、キャラバン隊を組んではるばるイスラエルまでやってきたのです。

2.ヘロデ大王とイスラエルの宗教的指導者たち

ヘロデ大王

博士たちは、イスラエルの王となるべき子どもならば、当然首都エルサレムの王宮で生まれたはずだと考えました。ですから、まずエルサレムにやってきたのです。

当時のイスラエルはローマ帝国の属国でした。そして、ローマ帝国は、ヘロデ大王にイスラエルの統治を委託していました。

そのヘロデ大王は、博士たちの言葉に恐れを感じましたが、何食わぬ顔でユダヤ人の祭司長や聖書学者たちを呼び出し、どこで救い主が生まれるはずか問いただしました。彼らは、すぐに「ベツレヘムです」と答えることができました。旧約聖書のミカ書5:2でそう預言されているからです。

ヘロデは、救い主の今の年齢を東方の博士たちの話から割り出しました。また、救い主がどこにいるかも後で教えて欲しいと博士たちに願います。それは、救い主を殺すためです。「私も行って拝むから」などと言っていますが、それは真っ赤な嘘です。

実はヘロデはユダヤ人ではなく、イドマヤ人でした(アブラハムの子イサクの子ヤコブからイスラエル民族が出ます。そして、ヤコブの兄エサウからエドム民族が出ますが、イドマヤとはエドムのギリシャ語読みです)。ヘロデは、ユダヤ人ではない自分がイスラエルを治めていることについて、密かにコンプレックスを感じていたのです。

しかも、ヘロデは疑い深く、たとえ妻や息子であっても、自分にとって脅威だと思えば殺してしまうような男です。当時のローマ皇帝アウグストが、「余は、ヘロデのヒュイオス(息子)であるより、ヒュス(豚)でありたい」と言ったほどです(ユダヤ人は豚を食べないため、殺される心配がないからです)。また、ヘロデは、自分が王になる前にユダヤを支配していたハスモン家の子孫を次々に殺し、自分に批判的なユダヤ人の祭司たちを虐殺しました。

ですから、正当なユダヤ人の王が生まれたなどというニュースは、ヘロデ大王にとって、とても心穏やかに聞けるものではなかったのです。

イスラエルの宗教的指導者たち

そして、祭司長や聖書学者たちの態度もまた問題です。彼らは、聖書のことを熟知していました。そして、やがて救い主が地上に来られるということや、救い主が来られたら素晴らしいことが起こるということを知っていました。ところが、彼らがイエスさまを礼拝するためにベツレヘムに向かったとは書かれていないのです。まるで他人事のように、「救い主はベツレヘムで生まれます」と語っただけでした。

東方の博士たちの聖書知識は、限られていました。一方、ユダヤの宗教的指導者たちの聖書知識は膨大でした。しかし、彼らは知識に基づいて行動しようとはしませんでした。ベツレヘムは、エルサレムから8キロほどしか離れていないのに、です。千数百キロも旅をしてきた東方の博士たちと大違いですね。

3.私たち

両者の違い

東方の博士たちと、ヘロデ大王やユダヤの宗教的指導者たちの違いはどこにあるのでしょうか。それは、救い主誕生を心待ちにしていたか、そうでないかの違いです。自分にとって、救い主が意味のあるお方なのかそうでないかの違いと言ってもいいでしょう。

大切な人の誕生日なら、その日を喜んでお祝いするでしょう。別にどうでもいい人の誕生日なら、それこそどうでもいいですね。そして、憎い敵の誕生日なら、呪いたくなるかもしれません。自分にとって大切な人が生まれたからこそ、博士たちはお祝いにやってきました。

私たちにとって、クリスマスがどういう日かは、私たちとイエスさまの関係次第です。あなたにとって、クリスマスはどういう日でしょうか。パーティの日? 大売り出しの日? ディズニーランドが特別なイベントで盛り上がる日? それとも、どうでもいい日? むしろ空しくなって落ち込む日? それとも、イエスさまに対する感謝や愛があふれ出る日?

東方の博士たちは、イエスさまが自分たちを罪ののろいから救ってくれる救い主だとは思っていなかったでしょう。自分たちの先祖を救ってくれたダニエルとイスラエルの神への感謝の思いから、彼らは遠国からはるばるお祝いに来たわけです。

イエスがしてくださったこと

しかし、私たちはイエスさまが私たちのために何をしてくださったか知っています。天の神さまを無視したり、逆らったりして、自分勝手な生き方をすることを罪と言います。私たちは、みんな罪人です。そして、神さまを傷つけ、人を傷つけ、自然を傷つけ、自分自身さえ粗末に扱ってきました。

自分の好きなように生きてきて、一時的には面白おかしく生きているように思えても、それで失敗して落ち込んだり、むなしくなったり、他の人との関係に悩んだりしてきませんでしたか? 罪は私たち自身も痛めつけるのです。

そして、罪は神さまに対する大変な失礼であり、敵対行為です。ですから、罪は私たちと神さまとの関係を断絶させてしまいます。私たちは、いつ罰を受けて滅ぼされても文句の言えない存在でした。

しかし、そんな私たちの罪を赦すために、イエスさまは来られました。私たちの罪の罰を受けて十字架にかかって亡くなりました。だから、私たちに対する罪の罰は完了した、私たちは赦された、そのままの姿で神さまに受けいられていると聖書は教えています。

3つの贈り物

東方の博士たちは、イエスさまに3つの贈り物をしました。黄金・乳香・没薬です。伝統的に、黄金はイエスさまが世界を愛と正義によって治める王であること、乳香は神さまと人とを結びつける大祭司であることを表すとされています。そして、没薬は、死体に塗る防腐剤として用いられました。すなわち、これはイエスさまの死を表すと言われています。

もちろん、博士たちはそんなつもりで持ってきたわけでなく、ただ高価な贈り物を贈っただけでしょう。しかし、少なくとも、聖書は、イエスさまが私たちのために死ぬために来られたと教えています。そして、イエスさまが私の罪のために死に、3日目に復活なさったと信じるだけで、私たちは罪が完全に赦されて救われ、神さまの敵ではなく子どもにしていただけると教えています。

感謝とともにささげる礼拝

そんな素晴らしいことをしてくださるイエスさまの誕生をお祝いするのがクリスマスです。だから、私たちクリスチャンは、クリスマスをお祝いします。クリスマスは食べる日ではないし、プレゼントをもらう日でもないし、商売繁盛の日でもありません。私たちを救ってくださったイエスさまに対する、あふれる感謝を表しながら礼拝する日です。

まとめ

イエスさまに対して、あふれる感謝を込めて礼拝しましょう。

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