ヤコブ的生き方とエサウ的生き方

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創世記25章19〜34節

(2015.12.27)

参考資料

アブラハム一族の3代目、ヤコブの物語です。アブラハム一族の家系図は、こちらをご覧ください。

イサクがリベカと結婚したのが40歳で、エサウとヤコブが生まれたのが60歳ですから、イサク夫婦には20年間子どもが与えられなかったことになります。なお、エサウとヤコブが生まれたとき、イサクの父アブラハムはまだ生きていました。そして、その後、15年間生存しています。彼は安心して亡くなったことでしょう。

エサウの名は毛皮(セアル)の衣のように毛深かったところから、ヤコブの名はエサウのかかと(アケブ)をつかんでいたところから付けられました。元々はヤコブの名に「押しのける」というネガティブな意味はなく、むしろそれだけ元気な子だという喜び故の命名でしょう。

ただ、後に長子の権利を失ったエサウが、腹立ち紛れに、「押しのける」(アカブから派生した動詞。足を引っ張るとか、足を引っかけて倒すという意味)という言葉と絡めて、「彼の名がヤコブというのも、このためか。二度までも私を押しのけてしまって。私の長子の権利を奪い取り、今また、私の祝福を奪い取ってしまった」(創世記27:36)と語ったところから、ヤコブの名に悪いイメージがついてしまいました。

また、エサウの別名であるエドムは、赤い(アドム)という言葉(生まれたときの肌の色と、レンズ豆の色)からきています。エドムは、後に彼から出る民族の名にもなります。ちなみに、福音書に出てくるヘロデ大王やヘロデ・アンティパスは、エドム人の末裔であるイドマヤ人です(イドマヤはエドムのギリシャ語読み)。

聖書からのメッセージ

イントロ

今日の話の中心は、イサクがもうけた双子の子どもたちのうち、長子の権利をどちらが手にするかということです。結論を申し上げれば、名実共に弟ヤコブのものになります。このことは、「神の子」にしていただいた私たちクリスチャンにとって、どんな意味があるのでしょうか。

1.ヤコブと長子の権利

アブラハム一家における長子の権利

通常、長子というのは、長男を指します。しかし、アブラハム一家の場合には、少し事情が違っていました。アブラハムには8人の子供が産まれましたが、長子の権利を受けたのは、長男イシュマエルではなく、次男であるイサクでした。また、イサクの子どもたちの場合も、長子の権利を受けたのは弟ヤコブです。

当時の中東世界では、長子の権利をもらった子どもは、他の兄弟たちと明確に差を付けられました。たとえば、相続に際して、長子は父親の土地を受け継ぎ、その他の財産も兄弟たちの2倍を受け取りました。

しかし、アブラハム一家にとって、長子の権利とは、単に物質的な祝福、どれだけ財産を受け継ぐことができるかというだけの話ではありませんでした。むしろ、霊的な側面の方が重要でした。すなわち、アブラハム契約を引き継ぐということです。

神さまは、全世界を救いに導くため、アブラハムという人物を選び、彼と契約を結ばれました。その契約の中で、特に重要な3つの約束があります。
  1. 子孫の約束……子がなかったアブラハムに子が生まれ、子孫が大いに増える。
  2. 土地の約束……カナンの地(今のパレスチナを中心とした広大な土地)が、アブラハムとその子孫のものになる。
  3. 祝福の約束……アブラハムとその子孫は祝福され、アブラハムとその子孫を通して全世界の人々が祝福される。アブラハムとその子孫を祝福する者は祝福され、呪う者は呪われる。
長子の権利を受けるということは、アブラハム契約を受け継ぐということ、すなわち、アブラハム契約における「子孫」であることを認められ、約束の地の所有権を受け継ぎ、自分が大いに祝福されるばかりか、全世界の祝福の基となるという約束と使命を受け継ぐということです。

神さまの選び

双子がリベカのお腹の中で喧嘩している様子に、リベカは我が身の危険を感じました。そこで、神さまに祈ったところ、こんなお告げがありました。「二つの国があなたの胎内にあり、二つの国民があなたから分かれ出る。一つの国民は他の国民より強く、兄が弟に仕える」(23節)

これは、長子の権利は、兄のエサウではなくてヤコブに与えられるという神さまの宣告です。

それにしても、まだ生まれる前で、どちらが正しい生き方をするか分からないのに、なぜエサウではなくヤコブに長子の権利を与えると神さまはおっしゃったのでしょうか。それは知恵に満ちた神さまの主権に属することですから、正確なところは分かりません。ただ、後の二人の生き方を比較してみれば、神さまの判断は間違っていなかったと言えるでしょう。

しかし、長らくキリスト教会では、ヤコブについての評価が不当に低かったように思います。たとえば、「策略を巡らす陰険な奴で、兄や父をだまして長子の権利を奪い取った男」というような評価です。私もかつて教会や信仰書などでそう習いましたし、自分でもそうメッセージしてきました。しかし、彼は長子の権利を奪ったのではありません。それは元々ヤコブのものだったのです。

ヤコブとエサウの性質

偏見を取り去って聖書を読んでみると、むしろヤコブの評価は非常に高いことが分かります。たとえば、27節で「ヤコブは穏やかな人となり、天幕に住んでいた」と書かれています。なんだかひ弱な引きこもりみたいな印象を持つ方もいらっしゃるかもしれませんが、とんでもない。

「穏やか」と訳されている言葉(ターム)は、実は「ノアは、正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった」(創世記6:9)とか、「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいないのだが」(ヨブ1:8)とかで「全き人」とか「正しい」とか訳されている言葉と同じです。ですから、ヤコブの場合も「ヤコブは正しい人であり」と訳さなければならないはずです。

もちろん、ノアやヨブに罪がなかったわけではないように、ヤコブに罪がないという意味ではありません。この言葉は、神さまを信頼し、神さまと共に歩もうと努め、神さまの恵みを信じて救いを受け取っていたという意味です。

そして「天幕に住んでいた」というのは、羊飼いの仕事をしていたという意味です。アブラハムやイサクも羊を飼って生計を立てていましたから、ヤコブは家の仕事を手伝うようになったということです。そもそも羊飼いは決してひ弱ではできない仕事ですし、ヤコブが力持ちだったと分かるエピソードも聖書に載っています。

一方エサウは狩人でした。狩人の仕事そのものは他の仕事同様尊いものですが、彼がヤコブと比べて、あまり家族に対する責任を重く受け止めていなかったということを示唆しています。

そして、一番の違いは、ヤコブは霊的な事柄に心を向けることができる人物であり、エサウは物質的なことにのみ興味関心を向ける人だったということです。

エサウは、長子の権利の物質的な祝福(相続財産)には興味がありましたが、霊的な側面には無関心でした。彼にとって、財産さえ相続できるなら、アブラハム契約なんでどうでもいいものでしたし、神さまとの関係もどうでもいいものでした。ですから、スープと長子の権利を取り替えるなどという真似ができたのです。「エサウは、『見てくれ。死にそうなのだ。長子の権利など、今の私に何になろう』と言った」(25:32)

ちなみに、スープと長子の権利の取り替えは正式な契約なので、ヤコブは法的にも長子の権利を手に入れたということになります。後にエサウが、ヤコブに長子の権利を奪われたと嘆きますが、これは信仰の上でも、法律の上でも間違った解釈です。むしろ、長子の権利を失ったのは、エサウの自業自得というものです。

では、ここから私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

2.霊的な事柄に関心を持とう

最優先に求めるべきなのは?

産業革命以降、私たち人類は物質的な繁栄を追い求めてきました。お金を儲け、大きな家に住み、すてきな新製品やブランド品に囲まれた生活こそが、人間にとっての幸せなのだと考えてきました。そして、ともすれば、精神的なものや霊的なものを置き去りにしてきました。

私たちクリスチャンは、そんなこの世の中で生きています。ぼーっとしていると、世の中の物質主義に染まってしまうかもしれません。そして、神さまを愛し、イエスさまに従う生き方よりも、祈ったらどれだけ物質的な祝福がもらえるのだろうかということばかりに目が向いてしまうようになるかもしれません。

しかし、聖書は、エサウ的な物質的繁栄だけを求める生き方を厳しく戒めています。「また、不品行の者や、一杯の食物と引き替えに自分のものであった長子の権利を売ったエサウのような俗悪な者がないようにしなさい。あなたがたが知っているとおり、彼は後になって祝福を相続したいと思ったが、退けられました。涙を流して求めても、彼には心を変えてもらう余地がありませんでした」(ヘブル12:16-17)

神さまとの関係が正しくなければ、どんなにこの地上で繁栄したとしても意味がありません。イエスさまもおっしゃっています。「たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか」(マタイ16:26)

ですから、私たちクリスチャンがまず求めなければならないのは、物質的な祝福ではなく、神さまとの正しい関係、神さまとのあたたかい真実な交わりです。

第一の関心事

ヤコブは結果的に大いに繁栄しましたが、彼の心は神さまに向けられていました。神さまを愛し、神さまに従うことが、彼の第一の関心事でした。物質的な祝福はそのおまけのようなものです。

王に就任したばかりのソロモンは、自分のために長寿や繁栄を求めず、イスラエルの民のために、国を正しく治める知恵を与えて欲しいと神さまに願いました。彼は、物質的な繁栄よりも、神さまとの関係を最優先し、神さまのみこころにかなう生き方を最優先に求めたのです。神さまはそれを喜び、彼が願わなかったもの(長寿や繁栄)も与えてくださいました。

ただ、後にソロモンは道を踏み外します。それは、彼が最初の志から離れてしまい、神さまよりも物質的な繁栄の方を愛するようになったからです。彼は、国を繁栄させるために、政略結婚を繰り返し、外国の妻たちが持ち込んだ偶像礼拝に染まり始めます。また、ふくれあがった後宮を維持し、多くの豪華な建物を建て、贅沢な暮らしをするために重税を課したため、国民は苦しみ、不満を持つようになりました。ソロモンが死んだ後、国が南北に分裂したのはそのためです。

私たちは何を求めているか

私たちは、イエス・キリストを信じる信仰によって、神さまの子どもとされる特権を与えられました。「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった」(ヨハネ1:12)

そんな 私たちの目は、どこを向いているでしょうか。神さまを愛し、神さまとの関係が深まること。それをもっぱら考え、実践するようにしましょう。いつも自分の心を点検し、エサウのように、「今の私に、神の子とされる特権など、何になろうか」などとつぶやかないようにしなければなりません。

ヤコブは、長子の祝福を父イサクから受けるために、目の見えないイサクをだますという罪を犯しました(先に見たように、長子の権利は元々ヤコブのものですから、エサウから奪った罪はありません。しかし、自分の利益のために嘘をついたことは罪です)。彼は決して完璧な人間ではありません。そして、自分が父親をだましたように、今度は伯父に自分がだまされて苦労もします。

しかし、それでも彼は神さまとの関係を求め続けました。そして、神さまもヤコブを見捨てず、約束を反故にもせず、愛し、祝福し続けてくださいました。

そして、これが、あなたが本当の意味で豊かな人生を送るための秘訣でもあります。

まとめ

いつも、自分と神さまとの関係を振り返り、今よりももっと神さまを愛し、今よりももっと神さまとの関係を深めたいと願い、そうするのに役立つことを実践しましょう。今年の残り数日も、そして来年一年間も、また地上を去るその一瞬までも。

あなた自身への適用のためのディスカッションガイド


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