我に学べ

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マタイによる福音書11章28〜30節

(2016.1.3)

参考資料

「くびき」(29節)とは、2頭の牛を平行に並べて、首同士をつなぐ道具です。その真ん中に鋤などをつけて、牛に引かせて畑を耕したり、荷車を引かせたりしました。画像はこちらのページをご覧ください。
聖書の中では、「アッシリヤのくびき」(イザヤ2:20)など、独立を失って他国に従属するなど、支配者によって与えられるひどい苦しみを表す意味で用いられることが多い言葉です。

聖書からのメッセージ

イントロ

28節は、日本人がクリスチャンになるにあたって、最も大きな影響を与えてきたと言われている(別に統計を取ったわけではありませんが)聖句です。それだけ、日本人は疲れているのかもしれませんね。あなたはどうですか? 今、疲れを覚えていませんか? エネルギーに満ちた一年を送るための秘訣を、この聖句から学びましょう。

1.キリストと共にくびきを負おう

重荷

ガラテヤ6:5には、「人にはおのおの、負うべき自分自身の重荷があるのです」と書かれています。私たちは、それぞれに様々な人生の重荷を抱えています。ある人は人間関係の問題、ある人は病気、ある人は経済的な問題、ある人は自信を失い、ある人は人生の目的を失って苦しんでいます。

イエスさまは、わたしのところに来れば、休ませてあげる、すなわち重荷を軽くしてあげるとおっしゃいました。

重荷はなくならない

しかし、本当にそうでしょうか。イエスさまを信じてクリスチャンになったら、問題が全くなくなって、バラ色の人生がやってくる、ということを教える人がいるとしたら、その人は嘘つきです。

クリスチャンになったからと言って、そのとたんに人間関係の問題が一気に解消することは、まずありません。祈りによって病気がいやされることはありますが、いやされないこともあります。クリスチャンになったら、急にお金が儲かるようになるわけではありませんし、クリスチャンになったら自動的に自信に満ちあふれ、人生の目的を見いだし、精神的な問題がすべて解決するわけでもありません。たとえ一つの問題が解決しても、人生には次から次へと問題がやってきます。

クリスチャンだって悩むし、苦しみます。問題がなかなか解決しないからといって、その人の信仰が薄いわけでも、祈りが足りないわけでもありません。ですから、他の人が苦しんでいるのを見て、「信仰が足りないのよ」などと批判したりしないようにしましょう。先ほどのガラテヤ6:5の前には、他の人に対して誇ってはいけないと教えられています。

くびきのたとえ

人生の重荷がなくならないのだとすれば、イエスさまはどのようにして、私たちを休ませてくださるのでしょうか。それは、イエスさまが一緒にその重荷を担ってくださることによってです。

くびきというのは、通常2頭の牛につながれます。くびきにつながれた牛は、自分1頭だけですべての重荷を引き受けなくて済むのです。もう1頭の牛が、重荷を半分引き受けてくれます。

それどころか、2頭の牛に体力差がある場合、力の強い牛が重荷のほとんどを引き受けてくれることになります。1頭が力も弱く、とても重荷の半分を引き受けるだけの力がなかったとしても、ペアになった牛が十分に力強いなら、易々と重荷を引くことができます。

イエスさまは、時に問題そのものを取り除くことによって、私たちを休ませてくださいます。しかし、多くの場合、問題そのものを取り除くのではなく、イエスさまが一緒にその重荷を担ってくださることによって、私たちの負担を軽くしてくださいます。

ヨセフ物語

私は今、個人的に創世記のヨセフの物語を学んでいます。ヨセフはヤコブ(イスラエル)の11番目の息子で、ヤコブに偏愛され、その上ヨセフ自身も馬鹿正直なところがあったため、10人の兄たちに憎まれ、エジプトに奴隷として売り飛ばされてしまいます。そして、エジプトでも、主人の妻にわいせつな行為を働こうとしたという罪をでっち上げられて、投獄されてしまいます。このように、ヨセフの身には次々と不幸が舞い込んできます。

しかし、第1コリント10:13に、「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます」と書かれていますが、ヨセフの場合もそうでした。ヨセフの物語を俯瞰して眺めてみると、問題が実に絶妙な分量とタイミングでやってきていることが分かります。

そして、それらの問題が、後々の祝福の土台になっています。ヨセフがエジプトに売り飛ばされ、冤罪で投獄されたことが、やがて彼がエジプトの宰相となり、全世界的な飢饉で苦しむヤコブ一家をエジプトに招くことにつながるのです。それにより、ヤコブの一家はカナン人の霊的悪影響から切り離されました(あのままカナンの地に住み続けると、カナン人と同化して、神の民としてのアイデンティティを失う恐れがありましたし、実際それが始まっていました)。そして、やがて神さまへの信仰を中心とした、一大民族にまで成長していきます。

ヨセフ自身には、自分がこんなに次々と問題に巻き込まれる理由は分からなかったことでしょう。しかし、彼は確かに神さまの見えない手に導かれていました。そして、ヨセフ自身もそのことを確信していました。だからこそ、問題の中で腐ったり絶望したりしないで、奴隷に売られたときは奴隷として精一杯働き、投獄されたときは囚人として精一杯おつとめに励み、自分のことだけでなく、同じように投獄された献酌官長や料理官長のことを配慮したのでした。

あなたの問題は、祈っても祈ってもなくならないかもしれません。しかし、その場合、イエスさまはあなたのそばにぴったりと寄り添い、その痛みを分かってくださいます。そして、共に重荷を追ってくださり、あなたが問題に立ち向かい、耐え忍び、克服することができるようにしてくださいます。さらに、見えない手であなたを導いてくださり、様々な問題を、むしろ祝福の種にすることができるようにしてくださいます。

2.キリストから学ぼう

相方の牛のやり方を学ぶ

イエスさまは、「わたしのくびきを負いなさい」と命じた後、「わたしから学びなさい」とおっしゃいました。

まだくびきに慣れていないルーキー牛は、自分が行きたい所に行こうとするかもしれません。「あ、おいしそうな草がある」とか、「かわいい雌牛がいる」とか。ところが、くびきでつながれていると、そちらに行くことができません。最初は窮屈で不自由だと感じるでしょうが、くびきに逆らおうとすればするほど、かえってつらい思いをすることになります。

しっかりと重荷を引くためには、相方であるベテラン牛が進む方向に、同じペースで歩く必要があります。ベテラン牛のやり方を見て、ベテラン牛のやり方を真似するのです。そうすることでルーキー牛は成長して、もっと重い荷物も運べるようになっていきます。

キリストのやり方を学ぶ

同様に、私たちもイエスさまを見て、イエスさまのやり方を真似する必要があります。これが、「わたしから学びなさい」ということです。そうすることで、私たちは今よりも大きな問題が来ても揺り動かされなくなるし、それどころか他の人の重荷まで一緒に担って差し上げることができるようにもなります。ガラテヤ6:2の「互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい」という勧めを守ることができるようになるのです。

私たちは、新約聖書の4つの福音書を読むことで、イエスさまが何を行ない、何を語ってこられたか、何を大切にし、何を避けられたかということを学ぶことができます。また、新約聖書のほかの書物によって、弟子たちが見たイエスさまを知ることができます。それだけでなく、旧約聖書の中には、神であるイエスさまの思いが直接、あるいは間接的に記されています。

また、私たちがイエスさまについて知りたいと願い、学ばせてくださいと祈るとき、私たちの内に住んでくださっている聖霊さまが、イエスさまだったら、何を語り、何を行なうだろうかということを教えてくださいます。

キリストだったらどうするか

あなたは、大きいか小さいかは別として、きっと何かの問題を抱えておられることと思います。イエスさまだったら、この問題のただ中で、何を信じ、何を思い描き、何を行ない、何を語るでしょうか。

この1年、聖書を通し、祈りを通し、あるいは集会を通し、他のクリスチャンとの交わりを通し、様々な出来事を通して、イエスさまのことを深く学んでいきましょう。それにより、1年後には、今よりももっともっとイエスさまのことを深く知り、イエスさまのやり方をもっともっと身につけていることができますように。それによって、今よりももっともっと問題への対処が上手になっていることができますように。

まとめ

イエスさまから、問題への対処法を学びましょう。

あなた自身への適用のためのディスカッションガイド


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