ヤハウェに似た者として

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創世記1章26〜31節

(2016.1.24)

参考資料


聖書からのメッセージ

イントロ

今日は、天地創造の6日目、特に人間が造られた記事を学びます。私たちが創造主の神であるヤハウェによって、ヤハウェに似せて造られたということを意識しながら生きるとしたら、どんな生き方をすべきでしょうか。

1.人間の創造

われわれ

創造主であるヤハウェは、「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて」(26節)とおっしゃいました。

まず、「われわれ」という複数形の代名詞が使われていることに注目しましょう。この前後で「神」と訳されているエロヒームも複数形です。

唯一であるはずのヤハウェが、どうして複数形でご自分を表現しておられるのかということについては、ヘブル語の学者の中でもいろいろな意見がありますが、信仰の目で見るなら、複数形が使われている理由は明らかです。それは、聖書の創造主ヤハウェは、三位一体だということです。

三位一体とは、唯一の創造主に、父・子・聖霊の三つのご人格(位格と言います)があるということです。ただし、神が三人いるわけではなく、あくまでも創造主の神は唯一です。1+1+1=1というわけで、私たちの頭では理解もイメージもできませんが、聖書が神は唯一であると教え、同時に父・子・聖霊のそれぞれを神と呼んでいますので、正統的な信仰を持つキリスト教会では、三位一体を信じています。

ヤハウェに似せて造られた

人間は、その三位一体であるヤハウェに似せて造られました。それが「ヤハウェのかたちとして創造された」ということです。創造主であるヤハウェに似ているとはということでしょうか。

人間は物質的な部分(肉体)と、非物質的な部分(精神、霊魂)からなります。ヨハネ4:24に書かれている通り「神は霊ですから」、人間の肉体的部分がヤハウェに似ているということではありません。似ているのは非物質的な部分です。たとえば、
  • 創造主に似ている人間は、創造的な活動を行ないます。ヤハウェのように無から何かを生み出すことまではできませんが、すでに存在しているものを使って、様々な道具や芸術作品を生み出します。
  • 聖書の中に、ヤハウェが喜んだり、悲しんだり、怒ったりしておられる様子が描かれていますが、人間もまた感情を持っています。一部の動物にも感情があるように見えますが、人間ほど豊かで繊細な情緒を持つ動物はいません。
  • ヤハウェが理性的な存在であり、感情に流されてではなく、計画的に行動しておられるように、人間も理性を持ち、合理的に物事を考え、意志決定を行なうことができます。
  • ヤハウェはきよいお方です。そのお方に似せて造られた人間は、道徳性を持っています。アダムが罪を犯して堕落して以降、この能力は不完全になってしまいましたが、それでも人は「正しいとは何か」を気にしながら生きています(犯罪者であっても、正しいことを意識した上で罪を犯します)。そして、罪を犯せば罪責感を覚えて苦しみます。
  • 三位一体であるヤハウェは、父と子と聖霊とが愛の交わりをしておられます。そのお方に似せて造られた人間は、愛し愛される能力、人格的な交わりを行なう能力を持っています。
  • ヤハウェが創造した宇宙を今も支配し、管理しておられるように、人間にも管理能力が与えられました。実際、人間はこの地球と、地球上のあらゆる生物の管理をヤハウェから委託されました。

非常に良かった

ヤハウェは、ご自分が創造なさった世界をご覧になり、特に最後に造られた人間をご覧になって、「非常に良かった」と自画自賛なさいました。

今、この世界は矛盾に満ちています。私もあなたも矛盾だらけです。それでも、元々造られたとき、世界も人間も非常に良かったのです。

私たちは、ヤハウェによって造られました。しかも、ヤハウェに似せて造られました。さらに、ヤハウェが自画自賛なさるほどに素晴らしい存在として創造されました。次のポイントでは、私たちがそのことを自覚して生きるというのは、どういうことかを考えていきましょう。

2.ヤハウェに似せて造られた者として生きる

正しさを追い求めよう

私たちは、きよいヤハウェによって造られた存在だということを、いつも忘れないようにしましょう。私たちは、ヤハウェに従い、ヤハウェが望まれることを行なうときに、最もぴったりくるように造られています。逆に、ヤハウェの望まれない行ないをすることは、私たちを不幸にします。

もちろん、罪を犯したアダムとエバの子孫である以上、私たちの中には罪の性質が宿っています。どんなに努力しても、ヤハウェのみこころにかなわない思いを抱いたり、それを行動に移してしまったりします。

しかし、前回学んだように、ヤハウェはそんな私たちを見捨てたりなさいません。イエス・キリストの十字架は、私たちの過去の罪も、現在進行形の罪も、これから死ぬまでの間に犯すであろう未来の罪も、すべて赦しました。

ですから、第1ヨハネ1:9にこう書かれています。「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます」。罪を自覚したら、ごまかしたり、責任転嫁したりしないで、あるいはいつまでもぐずぐずと罪責感の中にとどまったりしないで、すぐに悔い改めて、本来行なうべき行ないに帰りましょう。

これを繰り返していくとき、三位一体の神である聖霊さまは、私たちを少しずつ造り変え、本来の神のかたちに戻していってくださいます。「互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは、古い人をその行いといっしょに脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです」(コロサイ3:9-10)

互いの存在を喜ぼう

私たちは、ヤハウェに望まれてこの世に存在するようになったということを、いつも忘れないようにしましょう。私たち人間の命は、どうして尊いのでしょうか。あなたや私はどうしてこの世に生きている価値があるのでしょうか。それは、ヤハウェによって造られたからです。

あなたが尊いのは、勉強ができるからでも、仕事をばりばり行なって稼いでいるからでも、社会に貢献しているからでもありません。また、上手に祈るからでも、たくさん献金しているからでも、たくさんの人に伝道してきたからでもありません。もちろん、それらは素晴らしい行ないです。しかし、そのこととあなたの人間としての存在価値との間には、何の関係もありません。

しかも、あなたは、イエス・キリストがご自分のいのちをささげて買い戻した存在です。それは、イエスさまは、あなたとご自分のいのちを同じ価値だと認められたということです。あなたも私も罪人でした。それにもかかわらず、イエスさまは私たちにそんな高価な値を付けてくださったのです。

あなたは大切な存在です。そして、あなたの隣にいるその人も、あの人も、大切な存在です。ですから、大切な存在として扱いましょう。上司から、しばらく非常に高価なツボを預かってくれないかと言われたとします。あなたはそれを無造作に玄関先に置いておいたり、蹴っ飛ばしたり、叩いたりしないでしょう? きっと大切に扱うはずです。あなた自身も、他の人のことも、大切にしましょう。

ご自分や他の人に、どんな言葉かけをしていますか? その言葉は、「自分は無条件に大切だ。自分は価値あるすばらしい存在だから、今よりももっと価値あるすばらしい生き方ができるはずだ」と信じられるような言葉ですか? それとも「自分なんかダメだ。どうせ大したことなんかできないよ」と思うような言葉ですか?

私たちは、愛し愛される者として造られました。積極的に愛を表しましょう。愛は、相手の存在を喜ぶことから始まります。

正しく管理しよう

人間は、世界を管理する能力を与えられました。それを正しく使いましょう。人類は、自分たちの欲望を満足させるために、自然をほしいままに破壊してきました。それはヤハウェのみこころに反します。

世界を管理するというのが、あまりにもスケールが大きすぎるというなら、私たちの手の届く範囲で、精一杯正しい管理を行ないましょう。たとえば、
  • 時間の管理。限られた人生の時間を、価値のあることに振り分けて、無駄なく過ごしましょう。
  • 言葉の管理。前述の通り、私たちが、自分や他の人に向かってどんな言葉を使っているかを吟味して、意味のある言葉が使えるようにしましょう。
  • 体の管理。私たちの体は、聖霊さまが住まわれる神殿です(第1コリント6:19)。食事や運動、睡眠などに気を遣い、大切にしましょう。
  • 持ち物の管理。物をたくさん持つことに満足していませんか? それは本当に必要な物ですか? 使いこなせないような無駄な物を抱えていませんか?

まとめ

私たちは、ヤハウェに似せて造られました。そのセルフイメージに従った生き方をしましょう。それが私たちの幸せにつながります。

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