神が示す地へ行け

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創世記11章27節〜12章5節

(2016.2.28)

参考資料

アブラム(後のアブラハム)の故郷ウル(11:31)は、先週学んだバベル(バビロン)の南東240キロ、ユーフラテス川の河口近くにあった町です。ウルの人々は月を自分たちの町の神として礼拝していました。カルデヤ人とは、バビロニアの人のことです。チグリス川とユーフラテス川に挟まれた地域をメソポタミアといいますが、その南部がバビロニア、北部がアッシリアです。地図はこちらをご覧ください。

ウルを出たテラ一家が移り住んだハラン(11:31。訳によってはカランと表記される場合もあります)は、ユーフラテス川の上流にありました(現在のトルコ南東部にあるハッラーン)。テラの息子ハランと同じ名ですが、原語では綴りが違うので関係ありません。ここも月の神を礼拝していた町で、テラがここで旅をやめたのは、そのためかもしれません。

11:31には、テラのもう一人の息子ナホルの名が同行者リストに挙げられていませんが、彼もまた同行し、テラの死後もハランの地に留まりました。後に、ナホルの孫リベカがアブラム(アブラハム)の子イサクの妻となりますが、彼女とその家族が住んでいた町の名がナホルといいます。

アブラハム一族の家系図は、こちらをご覧ください。

聖書からのメッセージ

イントロ

ここまでの創世記の記事は、全人類の歴史を取り扱っていました。しかし、この箇所以降は、話題が特定の民族の記録に絞られます。それはアブラハム(ここでは改名前で、アブラム)という人物と、彼から出るイスラエル民族(ユダヤ人)の歴史です。アブラムは、故郷を離れ、カナンの地に向かいました。ここから、創造主であるヤハウェに祝福され、用いられる生き方を学びましょう。

1.二度故郷を離れたアブラム

ウル

ウルは、ユーフラテス川の河口付近にあった町です。アブラム(後のアブラハム)はこの町で生まれ育ちました。ウルは、自分たちの町の神として月を礼拝していました。アブラムの父テラも、偶像礼拝をしていました。「あなたがたの先祖たち、アブラハムの父で、ナホルの父でもあるテラは、昔、ユーフラテス川の向こうに住んでおり、ほかの神々に仕えていた」(ヨシュア24:2)

しかし、あるとき、天地を造られたまことの神であるヤハウェがアブラムに現れて、ウルを出て、ヤハウェが示す地に行くようにお命じになりました。

使徒の働き7:2で、ステパノがそのときのことをこう語っています。「私たちの父アブラハムが、ハランに住む以前まだメソポタミヤにいたとき、栄光の神が彼に現れて、『あなたの土地とあなたの親族を離れ、わたしがあなたに示す地に行け』と言われました。そこで、アブラハムはカルデヤ人の地を出て、ハランに住みました」

ただし、ヤハウェは、ハラン(訳によってはカランと表記)に住むようにお命じになったわけではありません。11:31にはこう書かれています。「彼らはカナンの地に行くために、カルデヤ人のウルからいっしょに出かけた」。目的地は、最初からカナンの地でした。カナンの地とは、今のイスラエル共和国がある地域です。

ところで、ヤハウェが「ウルを離れてカナンに行け」と語られたのは、アブラムに対してでした。彼の妻サライ(後のサラ)が一緒に出かけるのは分かりますが、父テラや兄弟ナホルや甥のロトまでも同行しているのは驚きです。

後に、アブラムの孫ヤコブと、ナホルの孫ラバンとの間に争いが起こったとき、ラバンがこう語っています。「どうかアブラハムの神、ナホルの神──彼らの父祖の神──が、われわれの間をさばかれますように」(31:53)。ここから、少なくともアブラムの兄弟ナホルもヤハウェを信じたということが分かります。アブラムがまことの神ヤハウェに出会い、信じたことによって、テラ一家全体に信仰の大変革がもたらされたのでしょう。そして、家族みんなでカナンの地への旅が始まったのです。

読者の皆さんの中に、家族の中で、自分だけがたった一人のクリスチャンだという方がいらっしゃるでしょうか。一生懸命伝道しようとしても、家族に信仰を理解されず、とても居心地が悪く、また悲しい思いをしていらっしゃるかもしれません。しかし、どうぞ希望を失わないでください。ヤハウェは、偶像礼拝の町のまっただ中でアブラムに現れ、彼を救っただけでなく、家族も救いました。あなたから家族の救いが必ず始まります。

ハラン

ところが、テラの一行は、ユーフラテス川上流にあるハランまで来たところで旅をやめてしまいました。ここも月の神を礼拝する町です。ずっと月の神を礼拝してきたテラにとって、居心地が良かったのかもしれません。もちろん、テラがヤハウェへの信仰を捨ててしまったかどうかは、書いていないので分かりません。年を取っていたテラが体調を崩し、しばらく静養するつもりでとどまったのかもしれません。

ただ、少なくともカナンへの旅が中断してしまうことになりました。そして、それはテラが亡くなるまで続きました。どれくらいの期間だったかは分かりませんが、かなりの長期間だったと思われます。

というのも、後にアブラムはハランからカナンへの旅を再開しますが、その同行者についてこう書かれています。「アブラムは妻のサライと、おいのロトと、彼らが得たすべての財産と、ハランで加えられた人々を伴い、カナンの地に行こうとして出発した。こうして彼らはカナンの地に入った」(5節)。「ハランで加えられた人々」というのは、ハランで手に入れた奴隷たちのことです。新しくたくさんの奴隷を雇えるだけの財産を築くほどの期間、テラ一家がハランに滞在していたことが分かります。ハランは、アブラムにとっての第二の故郷になったのです。

カナン

テラが亡くなると、ヤハウェが再びアブラムに現れました。そして、カナンに行くようあらためて促されました。この命令には約束が伴っていました。アブラハム契約と呼ばれている約束です。

今回は、アブラハム契約について詳しくは学びませんが、無視するわけにいかないほど大切な内容なので、簡単に触れておきます。

アブラムに与えられた契約は、すべての内容がいっぺんに示されたのではなく、何十年もかけて少しずつ明らかになっていきました。今回の箇所はその最初の語りかけです。

アブラハム契約には様々な条項がありますが、特に重要な内容が3つあります。
  1. 子孫の約束……アブラハムとその妻サラ(この時はサライという名)には子がありませんでしたが、やがて数え切れないほどの子孫が与えられる。
  2. 土地の約束……故郷を出たアブラハムには土地がありませんでしたが、カナンの地(南はエジプト国境から北はユーフラテス川まで、西は地中海から東はヨルダン川までの広大な土地)を彼とその子孫に与える。
  3. 祝福の約束……彼とその子孫(ユダヤ人)は大いに祝福され、世界中の人々は、彼とその子孫によって祝福される。
私たちは、アブラム(アブラハム)やユダヤ人のおかげで、世界をお造りになったヤハウェのこと、罪のこと、救いのことを知りました。そして、救い主であるイエスさまも、アブラハムの子孫、ユダヤ人としてこの世に来られました。私たちは、アブラハム契約、特に祝福の約束があるおかげで、イエスさまを信じ、罪を赦され、救われて、ヤハウェの子どもにしていただいたのです。

アブラムは、カナンの地には、とてつもない祝福と使命が待っていることを知りました。そこで、再び信仰を奮い立たせ、父の墓を残して、カナンの地に旅立ちました。このとき、甥のロトはアブラムについて行きましたが、兄弟ナホルはハランにとどまりました(アブラハムの子イサクや孫ヤコブの時代、ナホルの子孫がハラン界隈に住んでいたことでそれが分かります)。

2.古い生き方から新しい生き方へ

私たちにとってのウル

では、この話から私たちは何を学べるでしょうか。ヤハウェに出会ったアブラムは、生まれ故郷を捨てて、遥か彼方にあるカナンの地に行けと命ぜられます。これは、クリスチャンは生まれ故郷でずっと生活してはいけないということではありません。

ウルは、アブラムの古い生活を象徴する町でした。先祖以来、アブラムの家族は、ウルの人々が信じる月の神など、異教の神々を信じ、礼拝していました。ウルを離れて新しい土地に行くというのは、その古い生き方を捨てて、ヤハウェを中心とした新しい生き方に移れという意味です。

私たちの古い生き方とはどういうものだったでしょうか。たとえ無神論者であったとしても、創造主であるヤハウェ、救い主であるイエスさま以上に大切にしているものがあるなら、それが「神」です。

あるときイエスさまはおっしゃいました。「だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません」(マタイ6:24)。もしも、イエスさま以上に富を愛するなら、それは富を礼拝し、支配されていることと同じです。

富だけではありません。仕事であれ、地位であれ、恋愛であれ、肉欲であれ、趣味であれ、ヤハウェ以上に大切なものがあるなら、それはヤハウェが神であることを否定する罪です。私たちは、この罪を悔い改め、イエスさまの十字架と復活を信じて赦していただく必要があります。

あなたはイエスさまを信じてクリスチャンになりましたか? だとしたら幸いです。あなたはすでにウルを旅立ったアブラムのようです。

私たちにとってのカナン

アブラムが向かったカナンは、ヤハウェによる約束の地でした。そこに行けば、アブラムはヤハウェから大いに祝福され、また彼を通して世界中の人々が祝福されるという約束がありました。

アブラムにとって、ウルを捨てて旅立つことは、大変な犠牲が伴いました。私たちも、古いなじみの生き方を捨てるのは犠牲が伴います。何か寂しいような、損をするような気持ちになるかもしれません。あるいは、イエスさまを信じない人たちからは、馬鹿にされたり、迫害を受けたりすることもあるでしょう。それでも、アブラムは従いました。その方がはるかに素晴らしい人生が待っていると信じたからです。

イエスさまを中心とした生き方を貫くことは、私たちを祝福へと導きます。たとえお金が無くても、地位や名声が無くても、それでも「自分はヤハウェに受け入れられ、愛されている」という確信は、この世のものでは決して得ることができない喜びや平安や感動や希望やエネルギーを私たちに与えます。

私たちにとってのハラン

もし、クリスチャンになって、そういう天からの喜び、平安、希望、エネルギーを体験していないのだとしたら、あるいはかつては体験していたとしても、今生き生きとそれを体験していないのだとすれば、イエスさまとの関係で何かがおかしいのかもしれません。イエスさまの方はいつも変わらないのですから、問題があるとしたら私たちの側の態度です。おそらく、ハランにとどまって定住してしまったアブラム一行のように、前の生き方に戻ってしまっているのでしょう。

かつて、クリスチャンである私たちは、これからはイエスさまを主として、イエスさまに従って生きていこうと決意しました。けれど、いつの間にか、イエスさまが喜ぶ生き方をすることよりも、前のように自分の欲望を満足させるような生き方、お金を得て贅沢な暮らしをすることを優先する生き方、肉欲を追い求めるような生き方、人目を気にして周りからほめられる優先するような生き方、感情にまかせて生きる生き方に、逆戻りしてはいなかったでしょうか。

そんなアブラムに、ヤハウェはもう一度声をかけてくださいました。「さあ、ハランを離れて、前の生き方を離れて、約束の地を目指す新しい生き方に戻りなさい」。

アブラムはその声に応答しました。妻サライも応答しました。甥のロトも応答しました。しかし、兄弟ナホルはハランにとどまりました。そして、聖書の歴史の表舞台から姿を消します。いつの間にかイエスさまから心が離れてしまったことに気づいたとき、私たちの前にも二つの人生が用意されています。アブラムのように、あるべき所に戻る人生か、それともイエスさまから心が離れたままの人生か。

完璧なクリスチャンはいません。どんなに敬虔な人であっても、罪を犯してしまうことがあります。失敗してしまいます。そう、ハランはどこにでも転がっているのです。しかし、私たちのヤハウェは、赦しの神、恵みの神、再チャレンジの神です。間違いに気づいたなら、「あなたを一番にしていませんでした。今、私の神になっていたものを手放して、あなたをもう一度一番にします。あなたに従うことを優先します。あなたが喜ばれる、この行ないに戻ります」と祈りましょう。

ウルを離れたときと同じように、ハランから旅立つのにも犠牲が必要です。しかし、そこにはあふれるばかりの祝福が用意されています。

まとめ

古い生き方を離れ、イエスさまが喜ばれる生き方へと、勇気を出して踏み出しましょう。

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