この世からの分離

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創世記13章1〜18節

(2016.3.13)

参考資料

4節の「以前築いた祭壇」は、12:8参照。

10節の「ツォアル」は、死海の南岸にあった町。「主の園」は、アダムとエバが置かれたエデンの園のこと。死海は、今は塩の海で周辺は荒野ですが、この当時は淡水だったのでしょう、周辺はエデンの園のように豊かに緑が広がっていました。

聖書からのメッセージ

イントロ

前回学んだように、アブラムは創造主ヤハウェによる守りを信じ切れなかったために失敗してしまいました。私たちもヤハウェのみこころから外れて罪を犯し、失敗してしまうことがあります。大切なのは、それに気づいたときにどうやってあるべき姿に回復し、成長を再開するかです。アブラムの姿勢からそれを学びましょう。

1.原点回帰

ベテルに戻る

エジプトを去ったアブラム一行は、エジプトに下る前にいたネゲブ地方(パレスチナの南部)を通り抜けて、ベテルまで上っていきました。

ベテルは、アブラムが最初にカナンの地に入った頃、シェケムからネゲブに移動する途中に立ち寄った場所です(正確に言うと、ベテルの町ではなく、町の外、少し東に行ったところにテントを張りました)。

「彼はそこからベテルの東にある山のほうに移動して天幕を張った。西にはベテル、東にはアイがあった。彼は【主】のため、そこに祭壇を築き、【主】の御名によって祈った」(12:8)

さらに、ベテルからネゲブに移り住んだアブラムは、そこで飢饉に見舞われ、ヤハウェの守りを信じ切れないでエジプトに下ってしまいます。ということは、アブラムの信仰は、ベテルまではしっかりしていたのですね。

エジプトを出たアブラムは、そのベテルに向かいました。アブラムは、失敗から立ち直るために、まずは自分の信仰がまだしっかりしていた時の状態に戻ろうとしました。すなわち、再びヤハウェに信頼し、ヤハウェのみこころにかなった生き方を再開しようとしたのです。

原点に戻ってやり直す

黙示録2章で、イエスさまがエペソの教会に対して、賞賛と叱責の言葉を語っておられます。叱責に関して、イエスさまはこうおっしゃいました。「しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう」(黙示録2:4-5)

聖書の教える悔い改めとは、自分を責めて痛めつけることではありません。罪を犯したとき、失敗したときには、自分がどこから落ちてしまったのかを思い出すようにと、イエスさまはおっしゃっています。

罪を犯したことに気づいたら、
  • すぐに「本来あるべき姿」はどうだったのかイメージしましょう。
  • そして、そのあるべき姿の自分はどういう行動を取ることが期待されていたのか、それを考えましょう。
  • さらに、それを実践しましょう。

2.ロトとの分離

信仰のテスト

前回も学んだ通り、信仰にはテストが伴います。ヤハウェは、信仰者が困難や誘惑に直面するのをあえて許して、信仰によってそれを乗り越えさせようとします。それによって、その信仰が本物だということを証明するチャンスを与え、信仰をさらに確かなものにするためです。

今回のテストは、アブラムとロトの牧者同士の争いです。アブラムは、サライを後宮に召し入れたエジプト王から、たくさんの花嫁料をもらい、しかもサライがアブラムの妻だとばれた後も、それを取り上げられませんでした。そのせいで「アブラムは家畜と銀と金とに非常に富んでいた」(2節)のです。

そこで、アブラムとロトが一緒に暮らすのには窮屈になり、しかも牧草や水をめぐって、家畜を世話する牧者同士がケンカするようになりました。アブラムとロトとの関係はまだ良好でしたが、このままではいずれ二人も争うことになってしまうでしょう。そこでアブラムはロトと離れて暮らすことを決意しました。

ここでアブラムは、ロトに好きな場所を選ぶように言います。アブラムはロトの父親代わりなのですから、年長者を敬うことが当然だった古代においては、アブラムに選択の優先権があるはずです。ところが、アブラムはその権利をロトに譲りました。

富に支配された人は、どれだけたくさん持っていても満足できませんし、むしろ不安に陥ってしまって、もっともっと欲しくなります。しかし、アブラムはたくさんの富を持っていましたが、富に支配されてはいませんでした。彼は、多くの財産を、ヤハウェからの祝福として感謝して受け取り、楽しんでいました。しかも、それに振り回されて一喜一憂することはありませんでした。ですから、ロトに優先権を譲ることができたのです。

優先権を譲られたロトは、遠慮するどころか、土地が非常に潤っていたヨルダンの低地を選び、そこに向かっていきました。しかし、エジプトでの失敗経験を悔い改めたアブラムは、原点に立ち返って、ヤハウェによる守りを信じるようになっていました。ですから、いい土地をロトに取られても、悔しいと思いませんでした。

嫉妬心からの解放

私たちの中に、他の人やグループをうらやむ心がないでしょうか。うらやましいという思いを、前向きな向上心に昇華できるならいいのですが、それが嫉妬心になってしまうのは問題です。それは自分自身を苦しめますし、他の人に対する不適切な行動を生み出しかねません。

嫉妬心の背後には、今の自分に対する不満があります。あるいは将来に対する不安があります。そうすると、うまくやっているように見える他の人がうらやましくなるわけです。逆に、今の自分に満足しており、心に余裕のある人は、他の人に嫉妬する必要がありません。

アブラムはヤハウェの守りを信じたからこそ、ロトに嫉妬して、彼の成功を邪魔しようなどと思いませんでした。私たちは、イエス・キリストが命を捨てても惜しくないと思われたほどに、大切に思っていただいています。そして、私たちはイエスさまのおかげで罪を赦され、ヤハウェの子どもにしていただきました。

こんなにも愛され、守られているのですから、他の人をうらやむのはやめましょう。そして、今与えられているものを感謝して受け取り、それを十分に用いましょう。

そのとき、ヤハウェは私たちにより多くのものを任せてくださるようになるでしょう。「その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』」(マタイ25:21)

アブラムにもさらなる祝福が与えられました。それを次のポイントで確認しましょう。

3.新たな約束

契約の再確認

信仰のテストに合格したアブラムに、ヤハウェがあらためて現れ、契約(土地と子孫の約束)を再確認なさいました(14-17節)。

ここで注目すべきは、新しい約束が加わっている点です。前回ベテルに来る前に与えられた約束は、カナンの地は子孫のものになるというものでした。「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える」(12:7)。ところが、今回はアブラムにもこの地が与えられるという約束が加わっています。「わたしは、あなたが見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう」(15節)

ところが、結局、アブラムは、妻サライのための墓地といくつかの井戸の他は、ほとんど土地を手に入れることなく死ぬことになります。しかし、ヤハウェは約束を守られる方です。彼は世の終わりの時代(イエスさまが再臨なさった後に実現する神の国、すなわち千年王国の時代)に復活し、この約束を実行していただけます。彼はそれを信じていました。

ヘブル人への手紙11:9-10に、このアブラハムの信仰について書かれています。「信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。彼は、堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都を設計し建設されたのは神です」

ですから、土地がちっとも手に入らず、遊牧民としてテント生活をしなければならなくても、気にしませんでした。

私たちもこの世にあっては他国人

イエス・キリストの十字架と復活を信じた私たちも、世の終わりに復活し、神の国の一員となり、そこに土地屋敷をいただき、イエスさまとともに働く素晴らしい機会を用意され、永遠にヤハウェの栄光を見上げながら暮らすことができるようになります。

アブラハムは、時々ヤハウェを信頼しきれずに失敗することもありましたが、基本的にこの世に対しては他国人であると思っていました。すなわち、この世での成功・不成功にとらわれなかったということです。彼は、そのような気持ちでいられるときには、平安で希望と喜びに満たされていました。

私たちもこの世にあってヤハウェの守りを信じましょう。それどころか、この世での生活は一時的なものであることを悟って、そのようなものに一喜一憂しないようにしましょう。

まとめ

それでもやっぱり信じ切れずに失敗し、この世のものに振り回されてしまうこともあるでしょう。そのたびに、アブラムのように罪を認めて悔い改め、本来あるべき姿に立ち戻りましょう。

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