血の契約

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創世記15章1〜21節

(2016.3.20)

参考資料

1節の「これらの出来事」とは、戦争に巻き込まれて捕虜となったロトをアブラムが救出した話です(2012年に取り上げましたので、今回のシリーズでは割愛します)。

2節の「ダマスコのエリエゼル」は、アブラムが信頼していた奴隷。当時の中東の法律では、主人に子がいない場合、奴隷を養子に迎えて財産を相続させることになっていました。

動物を切り裂き、その間を契約の当事者二人が通過するというのは、この当時行なわれていた契約の儀式の一つです。約束した義務を果たさなかったら、この動物のように斬り殺されてもいいという意味があり、それだけ厳粛な契約だということです。

16節の「エモリ人」は、当時のカナンに住んでいた諸民族の総称。イスラエルの出エジプト後のカナン占領は、カナン諸民族へのさばきという側面もあるということです。21節ではカナンの10部族のひとつとして名が挙げられています。アブラムと同盟を結んでいたマムレも、エモリ人でした(14:13)。

17節の「煙の立つかまどと、燃えているたいまつ」は、創造主ヤハウェの栄光の輝きです。すなわち、ヤハウェご自身が動物の死体の間を通られたということです。

18節の「エジプトの川」はナイル川のことではなく(19節以降の民族リストにエジプト人は含まれていないため)、一般的にはエジプトとシナイ半島との国境にあった水なし川、ワディ・エル・アリシュのことだと考えられています。

19-21節にアブラムの子孫(イスラエル)に与えられる民族のリストが載っていますが、当時これらの民族が住んでいた地域(すなわちカナンの地)を、やがてイスラエルが領有するようになるという意味です。この預言が実現するのは、世の終わり、キリストの再臨後に実現する千年王国の時代です。

聖書からのメッセージ

イントロ

創造主であるヤハウェは、アブラムとの契約(アブラハム契約)をさらに確かなものとするために、当時の風習に従って契約の儀式を執り行われました。私たちも、契約によって救われ、ヤハウェの子どもとされ、キリストに従う者になりました。アブラムの経験を通して、私たちへの約束の確かさを確認しましょう。

1.信仰義認

アブラムへの約束

12章以降、3回にわたってアブラムはヤハウェの語りかけを聞いています。その内容はアブラハム契約と呼ばれる様々な約束ですが、特に「子孫の約束」「土地の約束」「祝福の約束」の3つが重要だということは、これまでの聖書の解説でお話ししてきました。そして、アブラムはそれらの約束を信じていました。

そして、今回の箇所で、ヤハウェによる4回目の語りかけがありました。ヤハウェは、アブラムに祝福があることを保証なさいました。しかし、アブラムは訴えました。ヤハウェは確かに自分を物質的に祝福してくださっているし、やがてカナンの地全部が自分のものになるという約束も自分は信じているけれども、相続させる子がいなければ意味がないですと。私に子が与えられるという約束は、当時の風習に従って奴隷を養子に迎えるという意味でしょうかと。

それに対して、ヤハウェは、アブラム自身が生む子どもが跡継ぎとなり、その子から星のような数の子孫が出ると約束なさいました。

それに対するアブラムの応答、そしてその応答に対するヤハウェの反応はどうだったでしょうか。聖書にはこう書いてあります。「彼は【主】を信じた。主はそれを彼の義と認められた」(6節)

義と認められるとは

ここで語られている「義と認められる」という言葉は、聖書の専門用語です。この言葉を理解するには、ヤハウェがどういうお方かを理解しなければなりません。ヤハウェは限りなくきよくて完全なお方です。ですから、ヤハウェと罪や汚れ、不完全さは相容れません。罪がなく完全な存在でなければ、ヤハウェに祝福されるどころか、共にいることすらできないのです。

ところが、人間は生まれながらにして罪人であり、不完全です。私たちの内側には、隙あらば自分勝手に生きていきたいと願う心、ヤハウェに完全に従うことを邪魔する性質があります。ですから、本当であればきよくて完全なヤハウェに受け入れられ、祝福されることなど期待できないはずなのです。

しかし、ヤハウェがある条件を満たした人を受け入れ、交流し、祝福してくださることがあります。ヤハウェが、「この人はわたしに受け入れられる条件を満たした」と認め、受け入れてくださること。これを聖書は「義と認められる」、あるいは「義とみなされる」と表現しています。すなわち「救われる」と同じ意味です。

では、アブラムが義と認められるための条件、救われるための条件は何だったのでしょうか。それは、「ヤハウェが約束なさったことを信じた」ということです。具体的には、アブラムから生まれる子どもが跡継ぎとなり、その子からたくさんの子孫が出るということです(もちろん彼は、土地の約束や祝福の約束も信じています)。すなわち信仰によって義とされたのです。

私たちも信仰によって救われた

信仰によって義とされたのは、アブラム一人ではありません。創世記の初めから黙示録の終わりに至るまで、救いはヤハウェを信頼し、ヤハウェの約束の言葉をそのまま認めて受け入れる信仰によって与えられます。時代によって、信じなければならない約束の内容は違いますが、ノアも、モーセも、ダビデも、預言者たちも、使徒たちも、ルターも、カルバンも、マザー・テレサも、世の終わりの信者たちも、みんな信仰によって義と認められ、ヤハウェと深い交わりを獲得し、永遠に続く祝福の人生を手に入れました。 この話をお読みください

私たちもまた、信仰によって救われます。私たちが信じるべき契約の内容は何でしょうか。それは「恵みの福音」(良い知らせ)と呼ばれていて、具体的には第1コリント15:1-8に書かれています。特に3-4節をお読みください。

「私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと」

これを信じること以外に義と認められ、救われるための条件はありません。あなたも、福音の内容に対して、「はい。これが真実だと認めます」と言えますか? 言えるとしたら、あなたは誰が何と言おうとクリスチャンであり、すでに救われています。

そして、これまで一度も教会の集会に行ったことがない人でも、過去どんなひどい生活をしてきた人であったとしても、今ここで恵みの福音を信じるなら、直ちに義と認められ、罪が赦されて救われ、ヤハウェの子どもにされ、永遠に続く祝福の人生を与えられます。もしあなたが一度も「福音を信じる」と告白したことがないのなら、今ここでなさいませんか? こう祈ってください。

「天の神さま。わたしは、御子イエスさまが私の罪を赦すために、十字架にかかって死に、葬られたこと、そして3日目に復活なさったことを信じます。あなたは、私のすべての罪を赦し、あなたの子どもとして大切にしてくださいますから、ありがとうございます」。

そのように祈れたあなたは、ぜひ私にメールをください。一緒に新しい神の子どもの誕生をお祝いさせていただきたいと思います。今日からあなたは、全宇宙を作り、支配しておられる偉大なお方の子どもです。何があっても大丈夫!

2.片務契約

血の契約

アブラムはすでに契約を信じていましたが(だから義と認められたのです)、さらにその約束を確かなものとして保証するために、ヤハウェは当時の風習に従って契約の儀式を執り行いました。それは、血の契約と呼ばれている儀式です。

当時の契約の儀式には、たとえば手の契約(当事者同士が握手する)、靴の契約(相手に自分の靴を渡す。ルツ4:7)、塩の契約(塩を交換して自分の塩と混ぜる。靴なら契約を無効にして取り返せますが、混ざった塩はもう取り返せませんね)などがあったようです。

血の契約は、約束を破ったら死を持って償うという、最も厳粛な儀式でした。具体的には、動物を二つに切り裂いて、その死体の間を当事者二人が通過します。

普通とは違う儀式

ところが、ヤハウェとアブラムの契約の儀式は、普通の血の契約の儀式とは異なりました。動物を用意して切り裂くところまでは、アブラムは参加しましたが、その後アブラムは眠らされてしまいます。これは通常の睡眠ではなく、眠っていながら外で起っていることが認識できる、いわゆる催眠状態です。アブラムは、契約の儀式そのものに参加することを許可されず、ただ起っていることを外から観察するだけでした。

起ったこととは、「煙の立つかまどと、燃えているたいまつが、あの切り裂かれたものの間を通り過ぎた」(17節)ということです。ヤハウェは人の目には見えません。そして、同時にどこにでも存在しておられます(神の遍在)。しかし、ご自分が共におられることを人に示すため、目に見える形で栄光の輝きをお見せになることがあります。たとえば光、火、煙、雲、雷などと表現されるもので、英語ではシャカイナ・グローリー(Shekinah Glory)と呼ばれています。今回の箇所のかまどの煙やたいまつの炎はシャカイナ・グローリーです。

すなわちこれは、ヤハウェご自身が死体の間を通られたということを意味しています。通常なら、当事者二人で通るはずなのに、ヤハウェお一人だけが通られたということです。

このことが意味することは、アブラハム契約は、ヤハウェには実行する義務があるが、アブラムにはない、いわば一方的な約束を定めた契約だということです。これを法律用語で片務契約といいます(双方が義務を負うのは双務契約です)。

この後も、何度もアブラムはヤハウェを信じ切れず、失敗を重ねます。たとえば次の章では、なかなか子どもが生まれないアブラムとサライの夫婦は、「ヤハウェだけに任せていても埒があかない。私たちもちょっと手助けしないといけないんじゃないか」と考えます。そして、当時の風習に基づいて、エジプトで手に入れた若い女奴隷のハガルがアブラムの側室となり、長男イシュマエルが誕生しました。

不信仰の罪を犯したアブラムに、ヤハウェは訓練としての罰をお与えになります。ハガルやイシュマエルの存在は、平和だったアブラムの家庭に様々な葛藤や争いを生み出しました。ですから、罪は犯さないに越したことがありません。私たちも、いつもイエスさまの御心に従って生きているかどうか、自分をチェックしなければなりませんね。

ところが、ヤハウェはアブラムへの究極の罰として、救いそのもの、契約そのものを取り消しにすることはなさいませんでした。この後アブラムが、そして契約を引き継ぐことになる息子のイサクや孫のヤコブ、さらにヤコブの子孫であるユダヤ人がどんなにひどい罪を犯しても、訓練としての罰は下りますが、契約そのものは決して、決して取り消しになりませんでした。

ユダヤ人は、イエスさまが来られた時に、この方を救い主(メシヤ、キリスト)だとは信じず、ローマ総督の手に渡して殺してしまいました。その罪のために、紀元70年にエルサレムはローマ軍に攻撃されて破壊され、ユダヤ人は全世界に散らされてしまいます。そして、ナチスドイツによるホロコーストに代表されるように、世界中で迫害され、存在を抹殺されようとしました。

ところが、ヤハウェはユダヤ人への子孫の約束、土地の約束、祝福の約束を忘れておられません。ヤハウェはユダヤ人の存在を1900年に渡って守り続け、1948年には、約束の地にイスラエル共和国を作ってくださいました。

アブラハム契約は、ヤハウェからの一方的な約束、片務契約なのです。ですから、今も有効です。

福音も片務契約

私たちがイエス・キリストの十字架と復活を信じることで救われるという福音も、(今回は詳しくお話ししませんが)アブラハム契約の延長線上にあります。ですから片務契約です。その証拠をいくつか聖書の言葉から挙げてみましょう。

「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです」(第1ヨハネ4:10)

「こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません」(ローマ8:1)

「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです」(エペソ2:8-9)

私たちは、イエス・キリストの模範に従って、ヤハウェの望まれる生き方、行動をしなければなりません。しかし、行ないによって救われることは誰にもできません。誰も、行ないの正しさによってヤハウェに認められ、愛され、祝福を受けることはできません。救いは恵み、すなわち一方的な約束によって与えられるものです。

私たちとヤハウェが結んでくださった救いの契約は、動物ではなくイエス・キリストが死んでくださって締結された、厳粛な血の契約の中でも、最も厳粛な契約です。ですから、決して、決して破られることがありません。

自分の不完全さ、罪深さを嘆くあまり、イエスさまの十字架の価値を値引いてはいませんでしたか? 自分があまりヤハウェに愛されていないように感じていませんでしたか? 自分なんか、イエスさまに祝福されたり、用いられたりすることはないと、勝手に考えてはいませんでしたか?

まとめ

アブラムは、その不完全さにもかかわらず、選ばれ、祝福され続けました。アブラハム契約は片務契約だからです。私たちクリスチャンに与えられた救いの契約もまた片務契約です。安心しましょう。そして、ますます感謝を持って、イエスさまに仕えていきましょう。

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