笑いの子の誕生

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創世記21章1〜13節

(2016.4.17)

参考資料

割礼は、ユダヤ人の男子の、外性器の包皮を火打ち石で切り取る儀式のことです。割礼は他の民族にも見られますが、生まれて8日目に行なうのがユダヤの割礼の特徴です。これは、生まれてきた子どもが、アブラハム契約の元にあること(すなわちユダヤ人であること)を表しています。ユダヤ人のクリスチャンの多くは、今でも生まれてきた息子に割礼を施します。

新共同訳は、6節のサラの言葉をこう訳しています。「神はわたしに笑いをお与えになった。聞く者は皆、わたしと笑い(イサク)を共にしてくれるでしょう」

8節の「乳離れ」は、だいたい3〜5歳くらいです。イシュマエルとイサクは14歳の年齢差があるので、このときのイシュマエルは17-19歳です。

9節の「イサクをからかっている」は、イサクを笑いものにするという意味で、原文では「(イサクを)イサクする」という言葉遊びになっています。

聖書からのメッセージ

イントロ

いよいよアブラハム夫妻に、約束の子イサクが誕生します。イサクという名前は「笑う」という意味です。この箇所を、笑いというキーワードで読み取ってみましょう。

1.4つの笑い

アブラハムの苦笑

アブラハムが99歳になった時、創造主ヤハウェが彼の前に現れ、このように約束なさいました。

17:15 また、神はアブラハムに仰せられた。「あなたの妻サライのことだが、その名をサライと呼んではならない。その名はサラとなるからだ。
17:16 わたしは彼女を祝福しよう。確かに、彼女によって、あなたにひとりの男の子を与えよう。わたしは彼女を祝福する。彼女は国々の母となり、国々の民の王たちが、彼女から出て来る。」
17:17 アブラハムはひれ伏し、そして笑ったが、心の中で言った。「百歳の者に子どもが生まれようか。サラにしても、九十歳の女が子を産むことができようか。」
17:18 そして、アブラハムは神に申し上げた。「どうかイシュマエルが、あなたの御前で生きながらえますように。」
17:19 すると神は仰せられた。「いや、あなたの妻サラが、あなたに男の子を産むのだ。あなたはその子をイサクと名づけなさい。わたしは彼とわたしの契約を立て、それを彼の後の子孫のために永遠の契約とする。


アブラハムは、自分たち年寄りが子どもをもうけるなど不可能だと思い、思わず苦笑いをしてしまいました。そして、女奴隷ハガルとの間に生まれ、すでに13歳になっていた長男イシュマエルが自分の跡継ぎとなって、アブラハム契約の継承者となれるようにと願います。

しかし、ヤハウェは、あくまでもサラが生む子どもが契約の継承者だとおっしゃいました。そして、生まれてくる子どもの名前をイサク(ヘブル語でイツハク)とつけるように、ヤハウェはお命じになりました。これは「笑う」という意味です。アブラハムは笑ったけれど、必ず約束は成就するというヤハウェの強い意志が感じられます。ウィットに富んだ命名ですね。

サラの苦笑

それからまもなく、ヤハウェは2人の天使を伴い、旅人の姿を取ってアブラハムの元を訪れました。

18:9 彼らはアブラハムに尋ねた。「あなたの妻サラはどこにいますか。」それで「天幕の中にいます」と答えた。
18:10 するとひとりが言った。「わたしは来年の今ごろ、必ずあなたのところに戻って来ます。そのとき、あなたの妻サラには、男の子ができている。」サラはその人のうしろの天幕の入口で、聞いていた。
18:11 アブラハムとサラは年を重ねて老人になっており、サラには普通の女にあることがすでに止まっていた。
18:12 それでサラは心の中で笑ってこう言った。「老いぼれてしまったこの私に、何の楽しみがあろう。それに主人も年寄りで。」
18:13 そこで、【主】がアブラハムに仰せられた。「サラはなぜ『私はほんとうに子を産めるだろうか。こんなに年をとっているのに』と言って笑うのか。
18:14 【主】に不可能なことがあろうか。わたしは来年の今ごろ、定めた時に、あなたのところに戻って来る。そのとき、サラには男の子ができている。」
18:15 サラは「私は笑いませんでした」と言って打ち消した。恐ろしかったのである。しかし主は仰せられた。「いや、確かにあなたは笑った。」


サラもまた、月経の止まった自分に子どもなんか産めるはずがないと思って、心の中で苦笑いをしてしまいます。ここでも、ヤハウェはサラの不信仰を理由として、約束を取り消しになさいませんでした。

神がくださった笑い

今回の箇所で、イサクを産んだサラはこう語っています。「神は私を笑われました」(6節)。この言葉は、「神は私に笑いを造ってくださった」とも訳せる言葉です。新共同訳は「神はわたしに笑いをお与えになった」と訳しています。

約束の子どもはイサク、すなわち笑うという意味の名前を持っています。ヤハウェは、サラの胎内にイサク(笑い)を形作り、この世に生み出させてくださいました。そして、これまでは不信仰の苦笑いしかできなかったサラに、喜びと感動の笑いを与えてくださいました。

人々の笑い

サラはまたこう言いました。「聞く者はみな、私に向かって笑うでしょう」(6節)。これは、サラと喜びを分かち合う祝福の笑顔です。

ところが、全ての人がイサクの誕生を喜んだわけではありませんでした。長男イシュマエルとその母ハガルです。正妻の子であるイサクが誕生したせいで、跡継ぎとしての地位を失ってしまったのですから。

元々イシュマエルが生まれたのは、サラの考えに基づいています。アブラハムとサラは、年を取ってきたサラから子どもが生まれるということを信じ切れず、若い女奴隷ハガルによってイシュマエルを得ました。しかし、ハガルとイシュマエルの存在は、たびたびアブラハム一家に家庭内不和をもたらしました。

イサクが生まれて後、イシュマエルがイサクをいじめているのを見たサラは、イシュマエルの存在を脅威に思うようになります。そして、イシュマエルとハガルを家から追い出すようアブラハムに求めます。アブラハムにとっては、イシュマエルも大切な息子ですから、もちろん悩みました。しかし、ヤハウェもまた、アブラハムにサラの言うことを聞くよう、すなわちイシュマエルとハガルを追放するようお命じになりました。

アブラハムに子どもが生まれるという約束が最初に与えられてから、実際にイサクが生まれるまで25年もかかっています。その途中で、アブラハムやサラは不信仰に陥って罪を犯してしまうこともありました。その不信仰の罪にもかかわらず、ヤハウェは契約を決して取り消しになさいませんでした。以前学んだ通り、ヤハウェがアブラハムに与えた契約は、ヤハウェからの一方的な約束、片務契約だからです。

それでも、こうして罪の結果は刈り取らなければなりませんでした。私たちクリスチャンも、どんな罪も赦していただけますが、「だったら安心して好き勝手な生き方をしよう」というのは、とても損な生き方だということが分かりますね。

ただ、ヤハウェは、イシュマエルについても、彼と子孫を祝福すると約束してくださいました。今、彼の子孫であるアラブ人は、ユダヤ人よりもはるかに広大な土地を領有し、世界の政治や経済に強い影響を与えています。ヤハウェは、どこまでも恵みに満ちたお方ですね。

2.私たちに笑いを与えるヤハウェ

祝福の約束

私たちにも、祝福が約束されています。それは、父なる神さまは、イエス・キリストの名によって私たちが祈りをささげるとき、その祈りを聞いてくださるということです。それによって、私たちはこの地上で永遠に価値のある働きをすることができます。

「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです」(ヨハネ15:16)

これは、最後の晩餐の日、イエスさまが繰り返し繰り返し弟子たちにおっしゃったことです。それだけ、どうしても当時の弟子たちに、そして現代の弟子である私たちに信じて欲しい約束だからです。

もちろん、私たちの願いより、ヤハウェのご計画の方が優先されますから、「イエスさまのお名前によって」という言葉をくっつけさえすれば、祈ったことが全部その通りに実現するということではありません。しかし、仮に願い通りでないとしても、ヤハウェは、私たちが祈ったよりももっと素晴らしいことをしてくださいます。そうでなければ、「何でもお与えになる」という約束が嘘になってしまいます。

ですから、私たちは祈らなければなりません。もっともっと祈らなければもったいないです。そして、明確に「これはかなえられない。わたしには別の計画がある」とヤハウェに示されない限り、簡単にあきらめずに祈り続けなければなりません。

苦笑いしか出ないとき

しかし、そうはいっても、あまりにも何も起らない日々が続くと、私たちは待ちきれなくなってしまいます。女奴隷によって子どもを作ろうとしたり、つい苦笑いをしたりしてしまった、アブラハムとサラのように。

祈りは聞かれるなんて言われても、苦笑いしか出ないような時もあるでしょう。「どうせ、私には大した祝福は与えられてないよ」と、自虐的な笑いが出てきそうな時もあるでしょう。

しかし、ヤハウェは、アブラハムとサラの不信仰の苦笑いを、喜びと感動の笑いに変えてくださいました。不信仰の結果として、イシュマエルを追い出さなければならない悲しみを味わいましたが、イシュマエルのこともヤハウェは見捨てず、アブラハムの代わりに面倒を見てくださいました。

結局のところ、ヤハウェがどういうお方だと思っているかということが、私たちの信仰生活の質を決定します。あなたの中の神さまは、どういうお方ですか? 苦笑いを苦笑いのままになさるお方ですか? それとも……?

まとめ

実現を信じて祈りましょう。そして、祈り続けましょう。

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