主に信頼する者は守られる

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創世記26章1〜33節

(2016.5.8)

参考資料

25章の前半には、アブラハムが亡くなった記事が載っており、それからその章の後半でイサクとリベカの子エサウとヤコブが生まれていますが、アブラハムが亡くなるのはヤコブたちが15歳の時です。彼は、アブラハム契約の子孫の約束が着実に実現しているのを見ることができました。

エサウとヤコブの誕生の記事は、2015年12月27日に取り上げましたので、解説を割愛します。

1節のアビメレクは、都市国家ゲラルの王の称号です。ペリシテ人はこの時代にはまだそこに住んでいませんが、後の時代(紀元前13世紀頃)に渡来してその地方一帯を支配するようになるため、ここではゲラルの人々をペリシテ人と呼んでいます。後の時代には、ペリシテ人の王もアビメレクと呼ばれるようになりました(第1サムエル21:10、詩篇34篇序文など)。

「アブラハムの時代にあった先のききん」は、12:10で描かれています。この時、アブラハムはエジプトに下り、同様に妻を妹と偽っています。20章でも、アブラハムは(おそらく飢饉のために)ゲラルに下り、妻を妹と偽ってアビメレク(イサク時代とは別人でしょう)に叱責されています。

20-22節の井戸の名。エセクは「争う」、シテナは「敵意」、レホボテは「広い所」という意味です。

32節のシブアは「誓い」という意味。井戸はベエルですから、その土地の名がベエル・シェバと呼ばれるようになりました。ただし、21:31を見ると、アブラハムの時代にすでにベエル・シェバと呼ばれています。それはアブラハムがアビメレクに七頭の子羊を贈って、その土地の井戸が自分のものだということを確認したことに由来します(シェバは七という意味)。イサクはそれを思い出し、今回新しい意味も付け加えて、改めてその名で呼んだのでしょう。

聖書からのメッセージ

イントロ

イサクは、父アブラハムや息子ヤコブと比べると、聖書の中で目立ちませんが、彼らに勝るとも劣らない偉大な信仰者であり、まことの神ヤハウェに圧倒的に祝福された人です。

私もあなたも、キリスト教界で尊敬されるような立場にいないかも知れませんし、世間で注目されるような活動をしているわけではないかも知れません。しかし、だからこそ、イサクから多くを学ぶことができるはずです。

1.イサクの失敗

父と同じ信仰

この頃、イサクはイスラエル南部のネゲブ地方に住んでいましたが(25:11)、飢饉がやってきて、家畜に与える牧草が足りなくなってきました。そこで、飢饉知らずの国エジプトに下ろうと考えます。

ところが、ヤハウェが現れて、エジプト行きを禁じ、アブラハム契約で約束されたこの地に留まるよう命じます。そして、大いなる祝福を約束されました。イサクが、アブラハム契約の正式な継承者としてヤハウェに認められている証拠です。

親子はよく似ると言います。それは、親の言動を間近で見ながら、知らぬうちに親をモデルにするからでしょう。子どもは親や教師が何を語っているかよりも、何をしているかの方に強く影響を受けるものです(書いていて、自分でドキッとさせられます)。イサクも、父アブラハムの信仰をしっかりと学び取り、受け継ぎました。

アブラハムは、ヤハウェが行けと命じた時、行き先を知らずに生まれ故郷を旅立ちました。子どもがなかなか生まれなくても、多くの子孫が与えられるという約束を信じました。

イサクもまた、飢饉のまっただ中で、ヤハウェの守りを信じました。そして、エジプト行きの計画を捨てて、約束の地の範囲内にある、ゲラルに向かいました。

父と同じ過ち

モデルである アブラハムの信仰強さを学び取ったイサクでしたが、同時に弱さもまた学び取りました。

アブラハムは、エジプト(12章)やゲラル(20章)で、美しい妻サラのために自分が土地の人々に殺されるのではないかと恐れ、妻を妹だと紹介してしまいました。イサクもまた、ここで同じ過ちを犯してしまいます。

アブラハムの場合、エジプトやゲラルで、サラが王さまの後宮に召し上げられてしまいます。そのたびに、ヤハウェが介入なさってエジプトやゲラルに災害を引き起こしたため、サラの貞操は守られました。

イサクの場合には、そうなる前に王であるアビメレクが気づきました。そして、イサクとリベカに触れてはならないと、国民に厳しく命じました。これは、アブラハム時代に、彼の妻サラを召し入れたために国がひどい目に遭ったことを、アビメレクが知っていたからでしょう。とにかく、ヤハウェは、約束通りイサクと家族を守ってくださいました。

強さと弱さ

私たちの中にも、強さと弱さが混在しています。あなたがクリスチャンであれば、あなたには確かに強い信仰があります。あなたは、その目で見たわけではないのに、聖書の中に書かれたヤハウェの存在や行ないが真実だと信じました。そして、自分の罪を認め、イエスさまの十字架と復活によって罪が全て赦されたことを信じました。

と同時に、私もあなたも弱さを抱えています。ある種の誘惑には強いけれど、別の誘惑にはいつもやられてしまうということがあるかもしれません。あるいは、現実の問題を見て、落ち込んだり投げやりになったりすることがあるかもしれません。どうしても愛せない人がいるかもしれません。

以前、ある講演会で、面白いたとえを聞きました。私たち人間は、オーケストラのようなものだという話です。オーケストラには、トランペット、バイオリン、オーボエ、ティンパニなど、様々な楽器があります。バイオリンやトランペットのように目立つパートもあれば、ビオラやバスーンのように、どちらかというと目立たないパートもあります。しかし、トランペットがオーケストラなわけでも、バイオリンがオーケストラなわけでもありません。全部まとめて、全体としてひとつのオーケストラです。

それと同じように、私たちの中にも様々な部分があります。それらの部分は、好きだけれど嫌い、やりたいけれどやりたくない、誠実だけどいい加減というふうに、矛盾しているように見えることもありますが、それが私であり、あなたです。そんな話でした。

私たちの中には、強い部分もあれば、弱い部分もあります。信仰的な部分もあれば、不信仰な部分もあります。創造主ヤハウェは、そんな私たちの全てを愛し、救ってくださいました。私たちだけではありません。あの人のあの部分も、この人のその部分も、全部ひっくるめてヤハウェは愛してくださっています。

イサクは、父親譲りの信仰深さを持っていましたが、弱さの故に失敗してしまいます。ところが、ヤハウェはそんなイサクを見捨てませんでした。イサクは自分が殺されることを恐れていましたが、そんなことにならないよう守ってくださり、妻リベカが奪われることさえ防止してくださいました。それどころか、これまでの牧畜業に加えて新しく農業を始めたら、飢饉にもかかわらず、たった1年で100倍の収穫を得ました。アブラハム契約が、確実に実行されています。

イエスさまが十字架にかかって死んでくださったのは、信仰深く強い私たちのためではなく、信仰が弱いどころかひどい罪人である私たちを赦し、救うためです。今日も、イエスさまの圧倒的な愛と恵みに感動し、感謝をささげましょう。

2.イサクの成長

あえて戦わなかった

さて、イサクは失敗しましたが、それが彼の信仰を強める結果となりました。その点を次に見ていきましょう。

圧倒的に祝福されるイサクに対して、ゲラルの人々はねたみを起こします。そして、アブラハムが掘った井戸をふさぐという嫌がらせを行ない、ついにはゲラルからイサクを追い出してしまいました。さらに、行く先々でイサクが掘った井戸を、理不尽にも奪い取っていきます。

ところが、イサクはそれに対して力で対抗したり復讐したりしませんでした。彼に力がなかったからではありません。14章で、外国の連合軍がソドムやゴモラの地方を攻撃し、アブラハムの甥ロトを始めたくさんの人々や財産が略奪されるという事件が起りました。その時、アブラハムは武装したしもべ318人と共に追撃し、敵を打ち破ってロトたちを救出しました。

イサクは、アブラハムの財産を全て引き継いだ上、その後さらに繁栄していましたから、彼が持っていた軍事力はアブラハム以上です。もし本気で戦ったら、ゲラルの羊飼いなど、たちどころに追い払うことができます。にもかかわらず、イサクはあえて戦おうとしなかったのです。

失敗を通して学んだ

それは、彼が恐れのあまり妻を妹だと偽った、その失敗のおかげで、彼の信仰が強まったためです。イサクは人を恐れて失敗しました。そして、自分と契約を結んでくださったヤハウェは、何が何でも自分を守り、祝福してくださると、改めて強く思い知らされました。

ですからイサクは、自分に嫌がらせをするゲラルの人々と力で対抗しようとは思わず、ヤハウェの御手に全てをお任せしました。そして、せっかく掘った井戸を譲って、さわやかに次の場所に移動していったのです。

そんなイサクの生き方をヤハウェも喜ばれました。そして、2度目にイサクの元に現れて、改めてアブラハム契約を確認してくださいました(24-25節)。

失敗は残念なことであり、できれば失敗しないように注意する必要があります。しかし、それでも失敗してしまうことがあります。本当の失敗は、失敗から何も学ばないことです。

私たちはいつもヤハウェに赦されています。そして、いつでも再出発することができます。思わずも失敗したり、罪を犯したりした時は、きっちりと悔い改めて、そこから大切な何かを学び取って、再挑戦していきましょう。

戦わずして勝った

こういうわけで、イサクはますます祝福され、繁栄していきました。そして、イサクをゲラルから追い出したアビメレクが、彼の元を訪れ、平和条約を結ぶよう願います。アビメレクはこう言っています。「私たちは、【主】があなたとともにおられることを、はっきり見たのです」(28節)

イサクは戦いませんでした。そして勝利を得ました。最大の勝利は、敵を打ち負かすことではなく、敵だった人が味方になることです。

私たちも、私たちの生き方を見た他の人たちに、「私たちは、【主】があなたとともにおられることを、はっきり見たのです」と言ってもらえるようになりたいですね。いいえ、きっとそうなれます。聖霊なる神さまに導かれているのですから。

まとめ

人生にはいろいろ嫌なことや思いがけないことが起こります。特に、人間関係のトラブルは、私たちが抱える問題のほとんどを占めるかもしれません。しかし、イエス・キリストを信じる私たちは、私たちの手の届かないことに関してはすべてイエスさまにお任せして、一喜一憂せず、その時その時を精一杯誠実に生きることに意識を向けましょう。

「人を恐れるとわなにかかる。しかし【主】に信頼する者は守られる」(箴言29:25)

あなた自身への適用のためのディスカッションガイド


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