あなたのベテル体験

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創世記28章1〜22節

(2016.5.22)

参考資料

2節の「パダン・アラム」は、メソポタミア(チグリス川とユーフラテス川に挟まれた地域)北部のこと。アラム・ナハライムとも呼ばれています(24:10)。伯父ラバンが住んでいた「ハラン」の町は、当時イサク一家が住んでいたベエル・シェバから、直線距離で730キロほどで、実際に歩けば800キロにはなるでしょう。これは、新幹線で郡山から東京を経由して大阪に行く以上の距離です。地図はこちらのサイトを参照。

3-4節は、イサクがヤコブを正式な跡継ぎ、アブラハム契約の継承者として認めたことを示しています。前回はだまされて祝福しましたが、今回は自分の意思で祈っています。

19節の「ベテル」は、「神(エル)の家(ベート)」という意味を持ちます。なお、かつてアブラハムがカナンの地に来た時、ベテルに近い山地に祭壇を築いて礼拝しました(12:8)。

聖書からのメッセージ

イントロ

ヤコブは、最悪の精神状態の時、まことの神ヤハウェと出会う体験をしました。その体験は、その後ラバンの元で苦労する20年間、希望を失わずに生きていく支えとなりました。私たちも、生きづらいこの世の中を、生き生きと生きていくどころか、他の人にまで喜びや平安や力をお裾分けできるような、体験をさせていただきましょう。

1.ヤコブのベテル体験

ヤコブの精神状態

前回、ヤコブに長子としての祝福を横取りされたと考えた兄エサウは、父イサクが死んだら(実際には43年も先ですが)ヤコブを殺してやろうと決意します。それを知った母リベカは、ヤコブを彼女の兄ラバンの元に避難させようと考えました。そこで、イサク夫妻が手を焼いていた、エサウのカナン人の嫁たちのことを引き合いに出して、ラバンの元でヤコブの嫁探しをするようイサクを誘導しました。

ラバンが住むハランまでは、800キロほどの道のりでした。時速4キロで、1日10時間歩くとして、20日間かかる計算です。この計算で行くと、ベテルに着いたのは3日目の夕方でしょう。

このときのヤコブの精神状態はどうだったでしょうか。まず、恐れ。兄エサウが追いかけて来て、自分を殺すのではないかと恐れていたことでしょう。

次に、罪責感。自分が家族と離ればなれにならなければならなくなったのは、彼自身の罪が招いたことです。それは、彼自身がよく分かっていました。

それにヤコブは、自分の罪の結果、イサクと前のような親密な関係でなくなってしまったことにも苦しんでいたでしょう。ラバンの元に向かう理由は、名目上はラバンの娘の一人を嫁に迎えるためです。ところが、後にラバンの家に到着したヤコブは、ラケルをめとるためにラバンに支払う花嫁料の代わりに、7年間(最終的には14年間)ただ働きをしなければなりませんでした。旅立つに当たって、花嫁料を用意できなかったということです。

アブラハムがイサクのために嫁探しをしたときには、たくさんの花嫁料を用意し、しもべに持たせました(24:10)。ところが、イサクはヤコブのために何もしてくれませんでした。はっきり書かれていませんから、想像するしかありませんが、イサクはヤハウェのみこころを受け入れ、ヤコブが正式な跡継ぎだということは認めたものの、感情的にはだまされたことをまだ赦せていなかったのかもしれません。

ヤコブは、どうして自分は全知全能であるヤハウェの約束を信じ切れず、人間的な知恵に頼って、しかもお父さんをだまして傷つけるようなひどい真似をしてしまったのだろうかと、後悔しても後悔しきれない心の痛みを味わっていたことでしょう。

そして、将来への不安。イサクの嫁探しに出かけたアブラハムのしもべは、護衛の従者をたくさん連れていました。しかし、ヤコブは一人旅です。しかも、徒歩での旅のようです。途中で山賊や猛獣に襲われるかもしれません。果たして無事にハランの町に着くことができるのでしょうか。そして、結婚できるかどうかは別として、いつベエル・シェバに戻ることができるのでしょうか。将来がまったく見えません。きっと、不安でいっぱいだったことでしょう。

霊的体験

そんな惨めなどん底気分で眠りについたとき、彼は夢を見ました。天地をつなぐはしご(新共同訳では階段)を、天使たちが上り下りしている姿です。そして、なんと天にいらっしゃるはずのヤハウェが、彼のすぐそばに現れてくださいました。

ヤハウェは、ヤコブを祝福なさいました。この祝福の言葉は、アブラハム契約の内容と同じです。アブラハムからイサクへと継承されてきた契約が、次はヤコブに継承されるということを、ヤハウェご自身が直接保証してくださったということです。

前回学んだとおり、ヤハウェの選びは、私たちの行ないによるものではなく、ヤハウェの主権によるものであり、私たちが罪を犯したからといって取り消しになることはありません。ヤコブは、罪のまっただ中で、ヤハウェの恵みを体験しました。

さらに15節では、ヤハウェはヤコブを守り、約束の地であるカナンに必ず連れ戻すと保証してくださいました。

ヤコブの応答

夢から目覚めたヤコブは、そこで枕にしていた石に油を注ぎ、礼拝を捧げました。そして、約束通りこの地に戻ることができた暁には、再びこの石の所に来て礼拝を捧げ(神の家とは礼拝する場所ということです)、これからハランで手に入れる財産の十分の一を捧げますと約束しました。

21節では、「こうして【主】が私の神となられるなら」という言い方がなされていますが、これはヤコブが、「あなたがこうしてくれたら、私はこうする」というふうに、ヤハウェと取引をしているわけではありません。彼は、ヤハウェの守りと祝福の約束を信じました。そして、それが実現したときには、こうすると約束したのです。

ハランへの旅は、まだ17日も残っています。ハランで、伯父ラバンにかくまってもらえるかどうかも、まして花嫁料も持っていないのに結婚できるかどうかも分かりません。いつ故郷に帰れるかも分かりません。それでも、ベテルでの体験は、ヤコブの恐れや罪責感や不安をいやしました。

この後、ラバンの元で、ヤコブは14年に渡って苦労を重ねます。ラバンにだまされたり、意地悪されたりしたのです。しかし、このベテルでの体験は、彼を霊的にも精神的にも支えました。そして、約束されたとおり、ヤコブは守られ、無事に故郷に帰ってくることができました。しかも、たくさんの家族と財産と一緒に。

2.私たちのベテル体験

どん底に来られるヤハウェ

どん底気分に陥っていたヤコブは、そこで初めて、ヤハウェとの生き生きとした出会いを体験しました。これまでは、彼にとってのヤハウェは、祖父アブラハムの神、父イサクの神でした。ヤコブは、アブラハムやイサクを通してヤハウェを知っていただけです。しかし、今やヤハウェはヤコブの神となり、彼自身に語りかけ、祝福してくださるお方になってくださいました。

私たちも、長いクリスチャン生活の中で、どん底気分を味わうことがあります。それは、私たち自身の自業自得の場合もあります。こんなひどい自分は、決して祝福されることはないだろうと思うときもあるでしょう。

しかし、知ってください。ヤコブは、天地をつなぐ階段を見ました。私たちにも、天地をつなぐ階段が与えられています。それはイエス・キリストです。イエスさまの十字架と復活は、罪人である私たちと、天にいらっしゃるきよい父なる神さまとを結びつけました。ですから、私たちにも、たとえどんなに罪深く、不信仰で、そのせいでどん底状態に陥ったとしても、なお希望があります。

それどころか、そういうどん底状態のときこそ、私たちはまことの神ヤハウェとの生き生きとした出会いを体験することができます。

増田牧師のベテル体験

振り返れば、私の場合も、イエスさまとの関係が深まったり、心の重荷から解放されたり、新しい生き方ができるようになったりしたのは、順風満帆の時ではなく、どん底状態の時です。たとえば、この話をお読みください

ベテルに帰ろう

皆さんにも、そういう体験がありますか? まだだという方は楽しみにしていましょう。どん底に落ち込んだとしても、そこにはそれに勝る祝福が待っています。

そして、かつてそういう体験をしたという方は、そのときのことをいつも思い起こしましょう。ヤコブは、伯父さんに意地悪されて苦しかった20年間、ベテルでの経験を思い起こして、それを支えにしました。

私たちも、かつてのベテル体験を、過去のものにするのではなく、いつも思い起こし、支えとしましょう。そのために、その体験について、折に触れて他の人に話すことをおすすめします。そうすれば、あなたが励まされるだけでなく、他の人も励ましを受けることができますから、一挙両得です。

まとめ

あなたのベテル体験は何ですか?

あなた自身への適用のためのディスカッションガイド


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