祝福の後のテスト

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創世記29章13〜30節

(2016.5.29)

参考資料

17節の「レアの目は弱々しかった」というのは、視力が弱いということではなく、まなざしに力強さがなく、魅力的な輝きに欠けていたという意味です。

30節は、さらに7年たって、14年目にラケルと結婚したということではなく、レアとの婚礼の週(当時の披露宴は1週間から10日も続けられました)が終わって、すぐにラケルと結婚したという意味です。

レアの女奴隷ジルパと、ラケルの女奴隷ビルハは、やがてヤコブの側室となって子を産みます。

聖書からのメッセージ

イントロ

ベテルでの霊的体験に励まされたヤコブは、無事に伯父ラバンの家に着きます。祖父アブラハムや父イサクは、霊的祝福を受けた後に、信仰を試すテストがやってきましたが、ヤコブも例外ではありませんでした。そして、私たちも。

1.ヤコブへの信仰のテスト

テストのポイント

アブラハム、イサクと契約を結ばれた創造主ヤハウェは、ヤコブを、生まれる前からイサクの後継者と決めておられ、それを母リベカにお告げになりました。ところが、ヤコブはそれを信じ切れず、目が見えなくなった父イサクをだまして、兄エサウのふりをし、祝福の祈りを受けました。

そのために、ヤコブは兄エサウの恨みを買い、家族と一緒にいられなくなり、伯父ラバンの元に逃れてきました。途中のベテルで、彼はヤハウェと出会いました。そして、不信仰と詐欺の罪を赦され、それどころかイサクの後継者、アブラハム契約の継承者として改めて認められ、さらに必ず無事に故郷に連れ帰らせると約束していただきました。
 ※詳しくは前回のメッセージをご覧ください。

ヤコブはそれを信じて、心晴れやかにラバンの元を訪れますが、ここで信仰のテストがやってきます。

ベテルでの体験により、ヤコブは罪責感から解放され、将来に対する不安からも解放されました。ところが、それを揺さぶられるような出来事が、伯父のラバンによってもたらされたのです。それでもヤコブは、罪責感や不安をぶり返すことなく、ヤハウェの赦しと守りを信じられるでしょうか?

ラバンの策略

ラバンは、ヤコブが下の娘ラケルと結婚したがっていることを知りました。しかし、ヤコブはほとんど一文無しの状態で旅をしてきたので、支払うべき花嫁料を持っていません。そこでヤコブは、7年間ただ働きすることで、花嫁料に代えたいと申し出ました。ラバンはそれを快く了承しました。

ヤコブは大喜びで、ラバンの羊飼いの一人として働きました。「ヤコブはラケルのために七年間仕えた。ヤコブは彼女を愛していたので、それもほんの数日のように思われた」(20節)と書かれています。ヤコブの喜びがいかばかりだったか想像できますね。クリスチャン生活の原動力も、罰に対する恐れではなく、イエスさまへの愛による喜びであるべきです。

ところが、ラバンはヤコブの愛の喜びを利用して、彼を「給料のいらないしもべ」として、7年たった後もずっと手元に置こうと考えました。

そして、約束の7年が過ぎて婚礼の時が来ると、ラバンは約束していたラケルではなく、彼女の姉レアを妻としてヤコブのベッドルームに送り込みました。当時の婚礼では、花嫁はずっとベールをかぶって顔を隠していましたし、夜は暗闇で見えませんから、朝になるまでヤコブには分かりませんでした。

こうして、愛するラケルと結婚するために、ヤコブはもう7年間ただ働きしなければならなくなりました。

罪責感を刺激する出来事

ここには大きな皮肉があります。かつてヤコブは、母リベカの提案に乗って、目が見えないイサクをだましました。その自分が、夜の暗闇で目が見えなくなっているときに、ラバンとレアにだまされたのです。

この出来事は、否が応でもイサクをだました自分の罪を思い起こさせるものでした。もしかしたら、ヤコブは、自分は未だに罪を赦されておらず、ヤハウェから罰を受けているのだと感じたかも知れません。だとしたら、ヤハウェに祝福を約束されたことも、無事に故郷に連れ帰ると約束されたことも、あやふやになってしまいます。

7年たって、ベテルでのものすごい霊的体験の興奮がすっかり冷めてしまっても、しかも約束と全く逆に思えるような出来事が起こっても、それでもヤハウェの約束を信じ続けることができるかどうか。これがヤコブに与えられたテストです。

ヤコブは信じ続ける方を選びました。そして、自暴自棄になって生活が荒れてしまったり、腹いせにレアをいじめたり、ラバンに暴力で復讐しようとしたりする代わりに、ヤハウェの守りを信じて、愛するラケルをめとるため、さらに7年間のただ働きを了承しました。

約束の実現

ヤコブが妻たちのために14年間ただ働きした後、ヤハウェはいよいよ約束の実現にかかられます。

30:25 ラケルがヨセフを産んで後、ヤコブはラバンに言った。「私を去らせ、私の故郷の地へ帰らせてください。
30:26 私の妻たちや子どもたちを私に与えて行かせてください。私は彼らのためにあなたに仕えてきたのです。あなたに仕えた私の働きはよくご存じです。」
30:27 ラバンは彼に言った。「もしあなたが私の願いをかなえてくれるのなら……。私はあなたのおかげで、【主】が私を祝福してくださったことを、まじないで知っている。」
30:28 さらに言った。「あなたの望む報酬を申し出てくれ。私はそれを払おう。」
30:29 ヤコブは彼に言った。「私がどのようにあなたに仕え、また私がどのようにあなたの家畜を飼ったかは、あなたがよくご存じです。
30:30 私が来る前には、わずかだったのが、ふえて多くなりました。それは、私の行く先で【主】があなたを祝福されたからです。いったい、いつになったら私も自分自身の家を持つことができましょう。」
30:31 彼は言った。「何をあなたにあげようか。」ヤコブは言った。「何も下さるには及びません。もし次のことを私にしてくださるなら、私は再びあなたの羊の群れを飼って、守りましょう。
30:32 私はきょう、あなたの群れをみな見回りましょう。その中から、ぶち毛とまだら毛のもの全部、羊の中では黒毛のもの全部、やぎの中ではまだら毛とぶち毛のものを、取り出してください。そしてそれらを私の報酬としてください。
30:33 後になってあなたが、私の報酬を見に来られたとき、私の正しさがあなたに証明されますように。やぎの中に、ぶち毛やまだら毛でないものや、羊の中で、黒毛でないものがあれば、それはみな、私が盗んだものとなるのです。」
30:34 するとラバンは言った。「そうか。あなたの言うとおりになればいいな。」
30:35 ラバンはその日、しま毛とまだら毛のある雄やぎと、ぶち毛とまだら毛の雌やぎ、いずれも身に白いところのあるもの、それに、羊の真っ黒のものを取り出して、自分の息子たちの手に渡した。
30:36 そして、自分とヤコブとの間に三日の道のりの距離をおいた。ヤコブはラバンの残りの群れを飼っていた。


ヤコブは、ぶち毛とまだら毛のやぎ、黒毛の羊を要求しました。これらは、中東では珍しい毛並みです。ところが、ラバンは、ヤコブに財産を一切与えたくないので、これらの山羊と羊を息子たちに託して、ヤコブから遠く離しました。ところが、

30:37 ヤコブは、ポプラや、アーモンドや、すずかけの木の若枝を取り、それの白い筋の皮をはいで、その若枝の白いところをむき出しにし、
30:38 その皮をはいだ枝を、群れが水を飲みに来る水ため、すなわち水ぶねの中に、群れに差し向かいに置いた。それで群れは水を飲みに来るときに、さかりがついた。
30:39 こうして、群れは枝の前でさかりがついて、しま毛のもの、ぶち毛のもの、まだら毛のものを産んだ。
30:40 ヤコブは羊を分けておき、その群れを、ラバンの群れのしま毛のものと、真っ黒いものとに向けておいた。こうして彼は自分自身のために、自分だけの群れをつくって、ラバンの群れといっしょにしなかった。
30:41 そのうえ、強いものの群れがさかりがついたときには、いつもヤコブは群れの目の前に向けて、枝を水ぶねの中に置き、枝のところでつがわせた。
30:42 しかし、群れが弱いときにはそれを置かなかった。こうして弱いのはラバンのものとなり、強いのはヤコブのものとなった。
30:43 それで、この人は大いに富み、多くの群れと、男女の奴隷、およびらくだと、ろばとを持つようになった。


枝を使ったのは、おそらく当時の迷信に基づく行為です。通常はそのようなものには意味がありませんが、ヤコブの場合にはばっちりと思惑通りに行きました。背後でヤハウェが働いてくださったからです。こうして、ヤコブは急速に経済的祝福を得ることができました。

2.私たちへの教訓

信仰にはテストが伴う

クリスチャンにとっての信仰とは、聖書を通して与えられているヤハウェの約束を信じるということです。私たちには多くの祝福が約束されています。たとえば、
  • 罪が完全に赦されていること。
  • 罪の性質からも徐々に解放され、少しずつ心や行ないがきよめられていくこと。
  • どんな苦難も、ハンディキャップも、祝福の種に変えられること。
  • 聖霊の賜物が与えられ、教会の仲間たちと協力して、偉大で永遠に価値のある働きを行えること。
  • 死んでも魂は安らぎの場所で休むことができること。さらに、世の終わりに肉体的にも復活して永遠に生きることができること。
  • 生きている間に行なった隠れた良いわざが、世の終わりに全て報われること。
  • 世の終わりに住む世界では、もはや苦しみも悲しみも争いも死も一切無いこと。
などなど。それをあなたは信じていらっしゃいますね?

しかし、信仰にはテストが伴います。一見、聖書の約束とは全く逆の状況が襲ってきます。
  • 罪が赦されていると信じているのに、自分が過去行なった罪や失敗を人から指摘され、責められるかも知れません。
  • 何があってもヤハウェに守られているから大丈夫だと信じているのに、職を失ってしまうかも知れません。
  • ヤハウェに創造された神の作品だから、自分は尊い存在だと信じているのに、人から馬鹿にされたり、軽く扱われたりするかも知れません。
  • 死んでも永遠に生きることができると信じているのに、重い病気にかかってしまうかも知れません。
  • 聖霊さまが少しずつ自分を聖めてくださり、敵でさえも赦し、愛する能力も育ててくださると信じているのに、頭に来るようなことをする人が現れるかも知れません。
聖書の約束と逆のことが起こった時、聖書の約束を信じられなくなりそうな状況がやってきた時は、「これはテストだ」と確認しましょう。

信仰のテストの目的

信仰のテストはどうしてやってくるのでしょうか。あなたを愛しておられるヤハウェと、あなたをヤハウェから引き離して滅ぼそうとしているサタン(悪魔)とでは、テストの利用目的が違います。

サタンは、信仰のテストを用いて、あなたにヤハウェの約束を疑わせ、信仰を奪い取ろうとしています。しかし、同じ信仰のテストを用いて、ヤハウェはあなたの信仰を鍛えようとします。

ぎりぎり15キロのダンベルを持ち上げる力のある人が、5キロのダンベルで運動しても筋肉はあまり鍛えられません。15キロの負荷を掛けて初めて筋肉が太く強くなっていきます。あなたの信仰も、約束を信じる信仰が揺さぶられるようなテストを通過することで、ますます強く太くなっていきます。

ヤコブは、叔父ラバンの意地悪な仕打ちを通して、信仰者の家系アブラハム一族の後継者にふさわしい存在として鍛えられていきました。ベテルでは感動的な幻のサポートを受けて信じました。しかし、ハランでは、感情的なサポートなしに信じることができました。ヤコブの信仰が大きく成長したことが分かります。

そして、あなたもです。ヤハウェの愛や約束を疑いたくなりそうな、そんなつらい状況、ひどい状況にいらっしゃるとしたら、それはあなたが信仰者としてますます強くなり、その結果、あなたが祝福されるだけでなく、あなたの家族やお友達、周りの人たち、世界の人たちに、祝福をもたらす器となれるということです。

この話を読みましょう

これさえなければ、あんなことさえなかったならと、私たちは時に思います。しかし、神さまの御手の中で、「あのようなことがあったからこそ」と言える、そんな人生が与えられます。

まとめ

聖書の約束をしっかりと握りしめましょう。そして、それを疑わせるような状況がやってきた時には、これからますます祝福されるしるしだと受け止めましょう。

あなた自身への適用のためのディスカッションガイド


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