方向転換しよう

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創世記33章18節〜35章15節

(2016.6.12)

参考資料

「エル・エロヘ・イスラエル」は、「イスラエルの神である神」という意味。前回、ヤコブはまことの神ヤハウェから新しい名を与えられましたが、その名を用いてヤハウェを礼拝しました。

「シェケム」は、約束の地カナンの中の町です。ヨハネ4章では「スカル」。前回、ヤコブがヤハウェと格闘したペヌエルから、西に50キロ弱の所にあります。祖父アブラハムがハラン(パダン・アラム)を発ってカナンの地に入った時も、まずシェケム近郊で祭壇を築いて礼拝し、「あなたの子孫にこの地を与える」という約束を受け、その後南のベテルに向かって進みました(12:5-8)。しかし、ヤコブはしばらくここに滞在していたようです。ヨハネ4章でイエスさまがサマリヤの女に水を求めた「ヤコブの井戸」は、ヤコブがシェケム近郊に滞在中掘ったものです。

ヤコブが土地取得で支払った「100ケシタ」がどれくらいの価値なのかは不明です。

聖書からのメッセージ

イントロ

ヤコブは、強欲な伯父ラバンと決別し、また彼の命を狙っていた兄エサウとも和解して、いよいよ約束の地カナンに戻ってきます。そして、娘ディナが土地の族長ハモルの息子シェケムによって強姦されてしまいます。その結果、ヤコブの2人の息子たちが大虐殺を働いてしまいます。

この一連のひどい出来事から、私たちは、道を誤ったときにどうするかを学びましょう。

今回は、被害に遭ったディナや、加害者であるシェケム、あるいは復讐のために大虐殺を働いたシメオンやレビではなく、ヤコブに焦点を合わせて読んでいきます。

1.ヤコブの過ち

ディナ事件

ヤコブは、伯父ラバンの元を離れ、契約の神ヤハウェがアブラハム、イサク、ヤコブとその子孫に与えると約束なさったカナンの地に戻ってきました。そして、シェケムの近郊に留まりました。地図はこちらのサイトを参照(シケムという標記になっています)。

そして、そこで娘ディナが、土地の族長の息子シェケムによって強姦されるという悲しい出来事が起こってしまいました。

ディナと同じ母を持つ次男シメオンと三男レビは、密かに復讐を企みます。そして、ディナとの結婚を望むシェケムに、町中の男が割礼を受けることを条件として提示します(35:13-17)。割礼とは、男性器の包皮を火打ち石で切り取る儀式のことで、アブラハム契約のしるしでした(17:9-14)。

シェケムを重んじていた町の男たちは、彼のために皆割礼を受けました。そして、3日たって傷が化膿し、最も痛みが激しいとき、シメオンとレビはシェケムの町を襲い、男たちを皆殺しにし、女性や子どもたち、家畜や財産をみんな略奪してしまいました(35:25-29)。これは、たとえ復讐のためだとしても、明らかにやり過ぎです。

ヤコブは困り果てます。このままでは、近隣の町々に住むカナン人たちが同盟を結び、復讐のために自分たちを根絶やしにするかも知れないと恐れたからです(34:30)。

元はといえば

しかし、元はといえば、これはヤコブが犯した過ちの結果でした。

カナン人は、偶像礼拝を行ない、また道徳的にも退廃していました。今回の箇所でも、シェケムやハモルは、強姦そのものについては一切謝罪していません。別に悪いことをしたとは思っていなかったのでしょう。

ヤコブの祖父アブラハムは、その子イサクがカナン人と不用意に交流しないように注意を払っていました。そして、イサクの結婚相手も、土地のカナン人の娘でなく、遠いハランの町にいる親族の中から選びます。

ところが、ヤコブはこの点でまったく注意を怠りました。その結果、娘ディナが土地の娘たちと仲良くなって、護衛もつけずにシェケムの町を訪問するようになっていました。ヤコブがカナン人との交流を強く戒めていれば、今回の事件は起こらなかったはずです。

また、シメオンとレビが割礼を条件にディナとの結婚を認める発言をした際、ヤコブはそれに反対していません。もしヤコブがカナン人との交流自体を強く警戒していれば、これを止めたでしょうから、あの大虐殺を防ぐことができたはずです。

そもそもの間違い

しかも、ヤコブはシェケム近郊に土地を手に入れましたから(33:19)、しばらくそこに留まり続けるつもりだったようです。これがそもそもの間違いでした。

ヤコブの最終目的地は、父イサクの元です(この時は、イサクはヘブロンにいました。35:27)。そして、そこに到着する前に、シェケムの南40キロほどにあるベテルを目指さなければならないはずでした。なぜでしょうか。

父の家を出て伯父の家に逃れる途中、ヤコブは天使とヤハウェの幻を見、必ず無事に連れ戻すと約束していただきました。それはベテルでの出来事でした。その時彼は、再びベテルに戻ってきて、財産の十分の一を捧げて礼拝すると誓願を立てています(28:20-22)。そして、ラバンの元を離れて生まれ故郷であるカナンの地に戻れとヤハウェがおっしゃった時も、このベテルでの誓願のことをヤコブに思い出させておられます(31:13)。

ところが、ヤコブはすぐにベテルに移動せず、シェケム近郊にしばらく留まろうとしたのです。お気づきでしょうか。ディナ事件を描いた34章には、全く神さまが登場しませんし、神という言葉さえ出てきません。

イスラエル、神と戦って勝った者という名を与えられたヤコブでしたが、まだまだ古い性質が残っています。契約の神ヤハウェはヤコブを離れてはいませんが、ヤコブの方がヤハウェから離れてしまいました。その結果、今回の事件が起こってしまったのです。

2.ヤコブの悔い改め

ヤハウェの命令

ディナ事件は、強姦と大虐殺という非常に悲しくおぞましい結果に終わりました。そして、ヤコブは再び恐れにとらわれることになりました。しかし、ヤコブはヤハウェに忘れられ、呪われたからこんな結果を刈り取ったのではありません。

むしろ、ヤハウェはなおもヤコブを愛しておられます。そして、彼がヤハウェとの愛に基づいた交わりを回復し、ヤハウェの望まれる生き方をして欲しいと願っておられます。

そこでヤハウェは、復讐を恐れるヤコブに声を掛けられました。それは、ベテルに行って、そこで誓約通り礼拝するようにという命令です。「神はヤコブに仰せられた。『立ってベテルに上り、そこに住みなさい。そしてそこに、あなたが兄エサウからのがれていたとき、あなたに現れた神のために祭壇を築きなさい』」(35:1)

ヤコブの応答

ヤコブはぐずぐずと躊躇などせず、即座に応答しました。まず、家族やしもべたちが持っていた偶像を全て手放し、身を清め、着物を着替えて、ベテルに向かって出発しました。そして、かつて誓約したとおり、ベテルでささげものをし、礼拝をしました(35:2-15)。

悔い改めとは、罪責感に苦しむことでも、自分を責めて痛めつけることでもありません。方向転換です。自分の行動や態度が、ヤハウェの目から見れば間違いだったと認めて、ヤハウェが望まれる行動や態度に改めることです。

その時、ヤハウェも祝福を持ってヤコブの悔い改めに応えてくださいます。周りの町々は追撃してきませんでした。ヤハウェが、奇跡的な力によってそれを防いでくださったからです(35:5)。

また、ヤハウェは、改めてアブラハム契約の約束をヤコブに確認なさいました。

35:9 こうしてヤコブがパダン・アラムから帰って来たとき、神は再び彼に現れ、彼を祝福された。
35:10 神は彼に仰せられた。「あなたの名はヤコブであるが、あなたの名は、もう、ヤコブと呼んではならない。あなたの名はイスラエルでなければならない。」それで彼は自分の名をイスラエルと呼んだ。
35:11 神はまた彼に仰せられた。「わたしは全能の神である。生めよ。ふえよ。一つの国民、諸国の民のつどいが、あなたから出て、王たちがあなたの腰から出る。
35:12 わたしはアブラハムとイサクに与えた地を、あなたに与え、あなたの後の子孫にもその地を与えよう。」


「あなたの名は、もうヤコブではなく、イスラエルでなければならない」という言葉が心に響きますね。新しい名前にふさわしい生き方をして欲しいという、ヤハウェの強い願いが伝わってきます。

3.私たちの悔い改め

ヤハウェの愛を信じよう

私たちも、ここまでひどい結果でなくても、自分の罪や不適切な行動の結果、困った事態に巻き込まれてしまうことがありますね。まさに自業自得だと、自分が情けなく思えるかも知れません。しかし、それはヤハウェによる刑罰ではないということを知ってください。

イエス・キリストは、私たちの罪を赦し、私たちが神の子どもとなるために、十字架にかかり、復活してくださいました。それを信じた私たちは、罪が赦され、神の子とされています。その立場は、何があっても取り去られることがありません。私たちは、どんなに不完全でも、どんなに罪深くても、そのままの姿でヤハウェに愛されているのです。

私たちが罪や不適切な行動の結果、自業自得のように困った事態に陥るとしたら、それは私たちのためであり、間違った道から正しい道に引き戻そうとする、ヤハウェの愛に基づく行動です。私たちにとって、最終的な本当の幸せは、ヤハウェとつながり、ヤハウェに従うときに与えられるからです。

ヘブル
12:4 あなたがたはまだ、罪と戦って、血を流すまで抵抗したことがありません。
12:5 そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。
12:6 主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」
12:7 訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。
12:8 もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子ではないのです。
12:9 さらにまた、私たちには肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、なおさらのこと、私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。
12:10 なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。
12:11 すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。

方向転換しよう

自分のやったことの報いを受けているなと感じたら、むしろ自分がまだヤハウェにあきらめられていないことを思い出し、どこから落ちてしまったのか考えましょう。そして、本来あるべき姿に立ち戻りましょう。そのための力は、あなたの内に住んでおられる聖霊なる神さまがくださいます。

まとめ

道を誤ったと気づいたときは、すぐに悔い改めて、聖霊さまの助けを求めながら、正しい行ないに戻りましょう。

あなた自身への適用のためのディスカッションガイド


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